須田 洋平 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
国際的に人権活動が出来る仕事に就きたいという思いがあって、弁護士になろうと思いました。高校生の頃にユーゴスラビアやルワンダでの大量虐殺をテレビや雑誌で見て衝撃を受け、その後、その過ちを二度と繰り返さないために国際裁判が行われるのを見て、自分もその場で仕事がしたいと思いました。
司法試験合格後にICTY(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)のインターンになるなど、国際刑事法などの方面の弁護士になろうという意思を持っていました。
海外での活動
とりあえず日本の司法試験を目指し、大学4年生の22歳で合格しました。合格したときには、修習生の平均が28歳とかそのくらいでしたから、6年間くらいの間は海外で勉強したり、仕事をしたいという気持ちになりました。
実際に海外に出てからは、海外を拠点にして弁護士の活動をしたいと考えるようになりました。アメリカとフランスの大学で法律を勉強し、ベルギーの人権NGOで仕事をしました。
その後、1年間ワシントン州最高裁判所のロークラークとして裁判官に仕え、ワシントン州の弁護士登録もしました。そして、先程話したICTYのインターンになりました。
日本に戻ろうと思った理由
アメリカに住んでいたときに9.11があり、アメリカ社会が外国人にとって居づらいところになってしまい、この国は自分が住み続ける国ではないのかなと思いました。
そんな中で、海外から見た日本の良さは何なのかを考えるうちに、欧米中心の価値感が行き詰っている時代であるように感じ、次の時代につながるような考え方は実は日本の昔ながらの考え方なのではないかと感じるようになりました。
例えば環境問題についても、人間が自然を支配するのではなく人間も自然の一部であって自然の知恵を借りている、という日本の伝統的な考え方はこれからの世界に必要な考え方でしょう。このようなことを考えて日本に拠点を戻すことを決めました。
日本での弁護士活動
環境問題の分野でも国際人権の分野でもやっていきたい気持ちでした。環境問題に関しては、新石垣空港の裁判が私のテーマと大いに重なるものだったので、すぐに参加しました。
国際人権については、拉致問題など北朝鮮の人権に関わっておられる川人先生の事務所の中で取り組んでいきました。その他、日本発の国際人権NGOであるヒューマンライツ・ナウがその頃に立ち上がったので、その中で子どもの人権やビルマの人権侵害の問題にも取り組みました。
独立した経緯
当初から川人法律事務所にいるのは3年くらいという話でした。3年経った時に、海外に行くか事務所を作るか、あるいは国際人権、環境問題あるいは日本的な哲学を大学で教える道に進むか、などを決めようと思っていたのです。
枠にとらわれないで活動したかったので結局独立して事務所を構えることにしました。国際人権も環境問題も、自分の思い通りに積極的に取り組みたいと考えています。
関心のある分野
やはり国際人権があります。また、労働者の人権も関心があります。これは過労死や過労問題の第一人者である川人先生のもとで、仕事上のイロハを含めて沢山のことを学んできたからです。
その他の業務だと、私は英語やフランス語を使って外国人の労働者のサポート問題にも取り組んでいます。企業法務もしていますが、外国との取引や合弁事業の契約書のチェックなど外国語の知識がないとできない仕事のオファーが多いです。
難民申請の仕事もやっていて、入管には月1くらいで行ってNGOから依頼を受けています。特にアフリカ人はフランス語しか通じない人が多いので需要があるのです。
印象に残っている案件(事件)
仕事に就いて最初にやった労災事件があります。ある会社の社員さんが自殺されてしまい、それが過労による鬱が原因だと考え御両親とともに労災申請を目指しました。なかなか証拠を揃えるのが困難で、過去のメールに探りを入れたり、労働基準監督署の人と繰り返し面会をして証拠を照らし合わせたりするなど、川人法律事務所全員で力を合わせました。
本当に厳しい事件でしたが、結局は労災だったことを認めてもらいました。事件の真相を世の中に認めてもらえ、それが依頼者に報告ができたことが非常に嬉しかったです。
仕事の中で嬉しかったこと
100%満足する解決はなかなか難しいにせよ、依頼者が納得して頂ける解決を達成したときはやはり嬉しいです。
弁護士になって大変だと感じること
お客様に納得して頂ける解決を目指し、それを実践することです。相手が思うように譲歩してくれない、お役所が認めている労災を会社が認めない、など色々な困難があります。
休日の過ごし方
休日はなるべく作ろうとはしていて、だいたい週に1日くらいはあります。今年ついにJ1に昇格したベガルタ仙台のサポーターなので、サッカーを見に行くなどしています。
弁護士としての信条・ポリシー
抽象的ですが、「美意識を持って仕事をする」ということです。どういう解決が依頼者にとって長期的な解決になるのか、ということを常に念頭に置いています。そして常にフェアプレイを心がけています。訴訟はある種の勝負になりますし、違法とまでは行かなくても多少アンフェアな手段を使えば楽にクリアできる問題も確かにありますが、そういったことは一切しないことにしています。
今後の弁護士業界の動向
弁護士の在り方が変わってくると思います。どう変わってくるかと言えば、例えば企業法務では、企業内の予防法務として弁護士業務もコンサルティング業に近づくでしょう。これは街弁でも同じことで、訴訟弁護士の姿からコンサルティグ化が進んでいくでしょう。
訴訟は長い時間がかかりますから話し合いでの解決を求めるのは自然です。さらに現実的に裁判所や裁判官の数はなかなか増えませんから、弁護士が増える中で裁判以外の事件解決を見越す必要もあります。実際の現状の訴訟では、当事者への配慮の足りない「醜い」と思ってしまうような書面も多々あり、私自身にも訴訟以外での解決を望みたい気持ちがあります。予防的に問題に取り組みADR(裁判外紛争解決手続き)を活用する、こういうことに目を向けるのが時代の流れになるでしょう。
今まで「町の名士」による話し合いでの解決から公正な裁判での解決に移ってきて、そしてこれから再び「町の名士」のような存在としての弁護士による解決という時代の流れになるのでしょう。
今後のビジョン
企業法務でも労働問題でも、外国語を使った仕事を何年間かやっていきたいです。その一方で、次の世代に教えるための仕事がしたいです。
大学で教えるのか、あるいは「現代の松下村塾」のような形で教えるのかは分かりませんが、私自身が6年間海外を見てきて逆に日本の良いところが見えるようになったので、海外に日本の良さを広めるきっかけになるような仕事ができればと思います。国際人権についても研究を続けて、それを教育の場に持ち込んでいきたいです。
(2010年8月インタビュー実施)