泉 徳治 弁護士 インタビュー
弁護士を目指した理由
大学1年生の時に、教授から、法学部に入った以上、法学部の卒業試験だと思って司法試験を受けなさいと言われました。卒業試験のつもりで受けた司法試験に合格したものですから、司法修習生になりました。
修習時代、当事者の主張を法律的に構成し、証拠を検討し、判決としてまとめていくことに興味を持ち、裁判官になりました。裁判官を約46年間務めました。
定年退官になったとき、TMI総合法律事務所から顧問として事務所に来ないかと誘われ、裁判官としては定年になっても、法律家としての仕事を続けることができることに魅力を感じ、TMIに入所しました。
裁判官の仕事との違い
弁護士になってから、事務所の弁護士から対処方法等について何件かの相談を受けましたが、弁護士になってみると、裁判官を説得するには大変なエネルギーが必要であると感じました。裁判官は、常時300件ほどの事件を抱えている状態の中で、毎月45件ほどの新件を受けるわけですから、1件に当てることができる十分な時間がありません。
例えば、事件の真相を知る上に、事件の現場を見るということは大変重要ですが、現場検証をするということはまずありません。時間がないからです。どうしても、当事者の構成したストーリーの良し悪しで、結論を決めがちであり、判決を書きやすい方向の結論に走り勝ちです。その裁判官の足を止めさせ、客観的な証拠を十分に見て欲しい、大局的観点から妥当な結論を出してほしいと訴えなければなりません。非常な努力が必要です。
仕事で嬉しかったこと・大変なこと
事件に追われている裁判官を相手に、簡潔な文書で当方の主張に耳を傾けてもらうことが大変です。裁判官にわかってもらえるよう、主張をどのように組み立てるかに苦労をします。
私は、裁判官時代、拡大鏡で個々の証拠を眺めた後、ヘリコプターの上から事件全体を眺めなおし、妥当な結論に到達しようと努力しておりました。弁護士になっても、できるだけ客観的な証拠を集め、それを時系列的に並べて、証拠自身に語らせるということを心がけておりますが、先を急ぐ裁判官の注意を引くことは大変です。まだまだ楽しい、嬉しいという段階には至っておりません。
弁護士としての信条
事件の真相を可能な限り法廷で再現するにはどうしたらよいかを常に考える。裁判官に、常識に合った妥当な結論に到達してもらうにはどうしたらよいかを常に考える。そのことを心がけております。
依頼者に対して心がけていること
依頼者が事件で本当に憤慨しているのはどの点にあるのか、それを聞き出し、感じ取ろうとしております。当事者が一番憤慨している点が、裁判官に対し最も説得力を有する点です。
そして、当事者が最も訴えたいと思っていることを法律的に理論構成し、証拠で立証することが弁護士の仕事だと思っております。
特に関心のある分野
今は、事務所の弁護士の相談相手になり、お手伝いをしているだけですが、司法の役割は、民主主義のシステムを正常に保つこと、個人の人権の中核的なものを擁護すること、少数者の基本的人権を擁護することにあると思っております。そのような事件で、誰も引き受け手がないようなものがあれば、自分でやってみたいと思っております。
裁判官時代に取り組んだ事例
やはり、6年2か月務めた最高裁判事時代の事件が印象深いですね。特に、判例変更をした3件の事件、法令違憲判断をした2件の事件です。
■判例変更について
1つ目は小田急線の連続立体交差事業認可処分取消等請求訴訟で、いわゆる行政訴訟です。都市計画事業としての小田急線立体交差事業の事業計画認可取消請求訴訟について、線路の敷地内の土地に権利を有する人には原告適格(原告として訴訟を追行し判決を受けるための資格)が認められるが、沿線の人には原告適格が認められないというのが従来の最高裁の判例でした。
しかし、沿線の人たちも騒音、振動などで影響を受けます。そして、その沿線の人達の影響についても都市計画法は配慮しており、沿線の人たちも都市計画法で守られた権利が侵害されたとして、訴えることができる、と判例変更しました。
2つ目も行政事件で、土地区画整理事業の事業計画決定について、取消請求訴訟が提起できるかどうか、ということについてです。それまでは「青写真判決」という有名な判決がありました。事業「計画」の段階ではまだまだ青写真のようなものであって、実際にそうなるか分からないということで、まだ権利の侵害がないとして、裁判所は取消請求訴訟の訴えを却下しました。しかし、事業計画決定の段階で住民の権利に対する法的影響が発生しており、訴えは適法である、と判例変更しました。
このように、それまでの最高裁は門戸を非常に狭くして、門前払いをしていたのですが、これを変更して、取消請求訴訟が起こせるように、門戸を広くする方向で判例変更しました。 3つ目の変更は、刑事事件でしたが、ここでは省略します。
■法令違憲判決について 1つ目は、国籍法の一部について、憲法違反とした判決です。ある日本人の男性とフィリピン女性の間に、子どもが生まれたのですが、その子どもには日本国籍が与えられませんでした。両親が結婚をしたか、もしくは父から生前に認知を受けていれば日本国籍を与えられるのですが、婚外子には、日本国籍は与えられないと国籍法は定めていたからです。これは、婚外子かそうでないかによって、子どもを差別することになるので、憲法14条1項違反であると判断しました。
2つ目は、在外日本人選挙権剥奪訴訟における違憲判断です。外国に住む日本人は、比例区の選挙では投票できたのですが、小選挙区など地方区の議員の選挙では投票できないということを公職選挙法が定めていました。しかし、外国に住んでいても選挙権を持つ以上、地方区においても選挙権の行使を認めるべきであって、これを制限するのは憲法で保障されている選挙権を侵害するものである、と判断しました。
これまで最高裁が法令違憲の判断をした事件は8件しかないのですが、そのうちの2件に関与させてもらったということで、非常に印象深いですね。
裁判官として心がけていたこと
私は若い頃に最高裁調査官を3年半務めたのですが、その中でサラリーマン税金訴訟という事件を担当しました。自営業と違いサラリーマンが一律源泉徴収されて申告納税を認められないのは憲法14条の平等原則違反ではないか、と訴えた事件です。憲法14条違反か否かをどういう基準によって判断したらいいのか、どのような方程式でもって判断すればいいのかということを非常に悩みました。それで勉強しました。
そうして分かったことは、日本の最高裁では、憲法に適合するか否かの明確な判断基準ができていないということでした。「公共の福祉に反するか」、「合理的な制限の範囲内であるか」、「他人の権利を不当に侵害するか」といった非常に曖昧な基準で判断し、しかも事件ごととに適用する基準が変わり、一貫性がないのです。
このような曖昧な基準で判断すると、憲法で保障されている基本的人権が非常に危うくなります。あまりに判断の幅がありすぎて、どこからどこまでの行為が許されるのか分かりません。そもそも「基準」と言えるかどうかすら怪しい。
それで、私は、憲法に適合するか否かを判断する方程式をなんとか打ち立てられないものかという観点で調査をいたしましたが、「侵害される権利の性格」と「侵害される理由」から、合憲性の審査基準を緩やかにしたり厳格にしたりする、そして審査は「侵害の目的」と「侵害の手段」の両面から行うというのが、学説の通説であることを知りました。
サラリーマン税金訴訟では、侵害される権利が財産上の権利であって、侵害される理由が所得の性格の差異ということであるので、この場合は国会に広い裁量権を認め、一応の合理性を持っていれば合憲である(憲法の教科書で言う合理性の基準です)、というように判決になりました。
同判決は、「租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、これを憲法一四条一項の規定に違反するものということはできないものと解するのが相当である」と述べております。
そして、伊藤正己裁判官が、「同じ税金における取り扱いの差でも、侵害の理由が、例えば男女平等に関わることだったら別の基準にしなければならない(合理性の基準ではダメである)」という補足意見を付けておられます。
このように法廷意見と、伊藤先生の補足意見とで、1つの基準が打ち立てられたわけですね。
私は、芦部先生の本を読んだり、アメリカの判例を研究したりと非常に勉強しました。アメリカでは、憲法に適合するかどうかを判断する際、取り扱う権利の性質によって、厳格に審査するか、そうでないかを決めます。その基準がしっかりと確立しているのです。
例えば、選挙権などの民主主義のシステムに関する権利の侵害については、民主主義の根幹に関わることですから厳格に審査しなければなりません。1人の投票価値が地域によっては、0.2票になってしまうという問題はその1つですね。
また、少数者の権利の侵害に関しても、裁判所は厳格に審査しなければなりません。一人一票になって民主主義のシステムがいかにうまく機能したとしても、例えば婚外子の権利は救済されないですね。婚外子の相続分は嫡出子の2分の1ですが、その是非を国民投票にかけたら、「これでいい」とする国民が大部分だと思います。国民の大多数が現状でよしとする以上、国会はこれを是正しません。なぜ是正しないかというと、そんなことをしたら選挙に負けてしまうからです。民主党は政権をとるまでは、マニフェストに「婚外子の差別(民法900条の差別)はなくします」と書いていました。
しかし、いよいよ民主党が政権をとれるかもしれないという選挙の際には、これはマニフェストから姿を消しています。民主党政権になりましたが、改正をしようという動きはないですね。それは改正を持ち出したら、次の選挙で自民党に負けるからです。出生児のうち婚外子は約2%です。2%の少数者のために政治は動かないのです。多数決原理では、どうしても助からない少数者が出てきてしまいます。しかし、少数者であっても、憲法で認められた基本的人権は、保障されなければならないのです。その役割を果たすのが裁判所です。
もう1つは、「精神的自由」のような、基本的人権のコアとなる人権が制限される場合には、厳格に審査されなければなりません。
このような基準がアメリカでは確立しているわけです。アメリカで確立している基準が全て正しいかどうかは別として、憲法で保障された特に重要な人権については、高い垣根を作って守る必要があります。その垣根の高さが審査基準です。また、このような垣根、審査基準をあらかじめ作っておかないと、裁判所の判断が事件ごとに揺らぐことになり、人権を守ることができないのです。
裁判所が厳格な審査をするということは、今言った3つの分野においては、司法が一歩前に出て判断するということです。税金問題などに関しては、裁判所は一歩退いて立法者の意見を尊重するけれども、選挙権に関する問題や、婚外子のような問題については、、裁判所が一歩前に出て判断するということです。
このようなことを、サラリーマン税金訴訟をきっかけにして、裁判官時代にずっと考えておりました。私は、最高裁判事になってまもなく国民審査を受けましたけれども、その公報の中で、今言ったような姿勢で裁判に取り組みますと述べ、そういう態度で最高裁の6年2か月を過ごしました。
私の意見は反対意見になることが多かったのですが、1人でも意見を言うことで全体の議論が活発になります。我田引水になりますが、そのようなことが、国籍法の違憲とか公職選挙法の違憲の判決につながったと思っています。ある事件では負けてしまった意見でも別の事件では生きてくるということです。