曽我 紀厚 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
私は大学卒業後にメーカーに就職しました。弁護士になって「若いうちに自分のやりたいようにやりたい」と思う一方で、企業に就職して大きな仕組みの中で社会を支えることにも魅力を感じており、どちらかひとつに絞ることができませんでした。
心の底から弁護士になりたいと思ったのは会社に入ってからのことでした。企業には、その企業の中でのみ通用するルールがあります。組織の内部であっても、誰が言った言葉か、誰向けの資料かに神経を使わなければなりません。
そのような仕組みに触れたことで、逆に普遍性のある世界、すなわち、誰が言ったかではなく、正しいのかそうでないのかに基づいて動く世界が魅力的に感じるようになりました。
私にとって、企業のメンタリティや経営のしくみなど、企業に勤めていたからこそ身に付いた感覚など、今の弁護士業務に活かせる経験は大きな財産になりました。
今までの仕事経験と現在の仕事状況
弁護士になって初めて所属した事務所では、「最初のうちはなんでもやってみろ」といろいろな経験をさせてもらいました。訴訟もやりましたし、金融やM&Aなど様々な分野に関わらせて頂いたことは本当に有り難かったと思います。
その後は鳥取ひまわり基金法律事務所を開所し、赴任しました。東京に現在の事務所を構えた後も、鳥取と東京を行き来しています。
鳥取県を選んだ理由
弁護士過疎地といっても、「弁護士が少ししかいない地域」とゼロワン地区と呼ばれる「弁護士がいないに等しい地域」では大きな違いがあります。当初訴訟事件をそれほど扱っていなかった私にとって、ゼロワン地域に行き、誤った前例をその地域に植え付けてしまうことを恐れました。そこで、弁護士過疎地の中でもゼロワン地域ではない鳥取を希望しました。
私が赴任した頃は、鳥取県全体で20数人しか弁護士がいませんでした。全弁護士が処理できる件数を超えた事件が無数に有り、依頼を頂いた案件は分野にかからず全部やらなければならないと考えていました。現在は鳥取の弁護士の数も増え、ひとりひとりの弁護士にかかる負担は以前よりも減りました。
処理件数を増やすよりも、丁寧に処理をしたり、分野面における隙間を無くすことの方が、ユーザーである市民にとっては重要になっていると思います。鳥取の支所は、ノウハウや専門分野の経験を持った弁護士とのつながりを活かす、鳥取の市民の方々にとって独自の存在意義を持つ事務所にしたいと考えています。
仕事をする上で意識していること(信条・ポリシーなど)
依頼者、つまりお客さんの目線に立つことを常に意識しています。弁護士の目線から考えたときに「めんどうだな」と思うことであっても、それはあくまで弁護士側の事情に過ぎません。弁護士の数に関する問題も、弁護士目線ではなく、ユーザー目線から解決法を探ることができれば、と考えています。
また、言葉には表現されない問題の本質を見極めることを心がけて案件を見るように心がけています。
これは過去の経験に基づく反省ですが、忙しくて時間に余裕がなかったときは、依頼者の話を聞く際に、こちらから必要事項を一方的に質問するという形式になってしまいがちです。 しかし、弁護士の方で「大事なこと」「事件の問題点」を勝手に決めて話を進めてしまうと、かえって本質から離れてしまうこともあります。
例えば、離婚事件の場合、依頼者が本当に離婚をして関係を断ち切りたいのか、それとも愛情が足りないことが不満なのかによって解決の方法は変わってきます。お年を召した相談者が、息子さんに多額のお金を使われてしまっているという相談では、口で「息子に全財産を取られた。息子をこらしめてやりたい」と仰っていても、実は頼まれてもいないのに息子にお金や物を与えていたのは相談者本人だったりします。
初回の法律相談の相談者は自分の悩みがどこにあるのか分からなくなってしまっている場合が多いので、ひとつひとつの事実関係を整理してホワイトボードにまとめるだけで「ああ私の不安の元はこれだったんだ」「今後きちんと考えるべき問題はこれなのか」と不安や問題の本質が見えてくる場合もあります。
関心のある分野
東京・地方ともに、家事や民事事件に会社法が絡む案件が多くなってきていると感じています。例えば、企業の経営者の離婚問題においては、株式等による出資を介して、財産分分与の問題は会社の財産の評価にまで発展します。
また、高度経済成長期に創業された方々が年輩になっているためか、相続の際に株の持分が問題になるケースもあります。このような案件は、離婚や相続問題といった一般民事の経験、会社法の知識のどちらか一方のみでは最良の解決はできません。
今後は、ベテラン弁護士の知識や経験と、若い弁護士の機動力を上手にミックスすることで、良いサービスを提供できる法律事務所を構築したいと考えています。