箭内 隆道 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
大学のゼミの教授が石丸先生という元裁判官だった方で、元々は裁判官になりたくて司法試験を目指しました。
しかし司法修習中に今の事務所の所長に出会って、弁護士になりたいと思いました。修習中に民暴(民事介入暴力)に関する活動について所長に聞いたんですね。「こういうことがしたい!!」という思いになると同時に所長の人間的魅力にも惹かれ、そのまま事務所に入れてもらいました(笑)。力にまかせた理不尽な要求に対して、法律を使って守ることができる。まさに正義を実現できる仕事だと思いました。
また、同じ時期に「経済界が弁護士を必要としている」という話を聞きました。当時も企業法務系の大きな事務所はあったのですが、まだまだ企業にとっても弁護士の敷居は高かった。それまではビジネス法務をやろうとは全く考えてはいなかったのですが、そういう話を聞いて、必要とされる世界で自分の力を発揮していきたいとも思いましたね。
印象に残っている事例
やはり1年目の案件が印象に残っていますね。事務所の事件と刑事事件両方あります。事務所の事件の方は大規模な強制執行の事案です。九州での建物一棟の強制執行だったのですが、この案件では徹底抗戦されました。
まず、現場に行ってみると車がバーっと止めてありバリケートを作っているんですね。怖そうな人もいっぱいいて「来るなら来い!!」といった様子で待ち構えているわけです。そこは強制執行ですから、こちらも警察に警備要請もして大人数で行きますし、抵抗したら公務執行妨害罪になり得ますからこちらも(大声で)それを指摘したりして、まあバリケードは自主的に解かれたのですが、さらに相手が周到に策を練っていたのです。
この時は「引渡命令」という、民事執行法上の制度に基づいて裁判所から決定を得て強制執行を申し立てたのですが、強制執行の対象の人物を仮にAとすると、決定はこのAという人物になされていることになりますね。
それでこのAに対して強制執行を進めていたら、最後の最後に「この建物には実はBが住んでいる。だからこの部分の占有者はBである」と言ってきたんです。Bが運転免許証を見せてきて、ほら住所はこの建物だろ、と言ってきました。さらにAが「この建物は実はC社のフロアでもある」ということを主張してきました。C社の会社登記簿謄本を見せてきて、やはりC社の本店もこの建物にしていたんです。それまで任意交渉や催告執行の際にはそのような事実は一言も言ってこなかったのにです。
そうなると当事者はAだけではないということになりますから、確かに理論上建物の全てに強制執行ができない。果たして、Aらの主張に迫力があったものだから、執行官が「今日は無理ですかね‥」とか言って少し気圧されたのですが、こんなのは妨害目的に決まっています。
そこでどうしたかというと、だったらBもC社も正当な手続で強制執行の対象にしてやろうじゃないかということで、直ちに依頼者の九州支社をお借りして、「不動産明渡断行仮処分」という、民事保全の申立書を作成することにしたんです。
東京の事務所や依頼人と連携して証拠も全部集めて、その日のうちに裁判所に申し立てて、仮処分の決定をその日のうちに裁判所に貰い、その決定に基づく強制執行の申立てもして、なんと次の日にはBにもC社にも強制執行ができるという状況にしたのです。法律上の手続とはこのようなこともできるのか!と思い印象に残りましたね。
入所してわずか一月後の事件であり私は言われるがままに動いただけでしたが(笑)、これはまさにプロの仕事だと唸りました。民暴に屈しない、ということの意味が、単に脅しに負けないというだけでなく、諦めず法律を駆使することで依頼者の権利を実現できるということなのだと実感できましたので。
もう一つ印象に残っているのは、当時弁護士登録して1年目は受任が義務づけられていたことで担当した刑事事件ですね。業務上過失致死の事件なのですが、小学生の女の子が亡くなってしまったという事件です。言葉にすると軽くなってしまいますが、子供を亡くしてしまったご両親の悲しみというのを本当にじかに感じました。
この時は、被告人を弁護する中で、ご両親に謝罪文を書こうということを勧めたのですが、被告人は書きたくないと言うんですね。いかにも減刑目的みたいで嫌だ、出所したら直接謝りに行きたい、と言って。
実際、被告人と対話を重ねる中でものすごく反省していることが伝わってきていたので、結局謝罪文は出さなかったのです。そうしたら法廷で、裁判長に「あなたが今できることはやらないとダメでしょう!」ともの凄く怒られましてね。
刑事弁護として「これで良かったのだろうか」と思いつつ、何とか被告人の真意を、裁判所と、傍聴しているご両親にわかってもらわなくてはという気持ちが溢れてきて、弁論では「被告人が謝罪文を書かなかったのはこういうことなのです。僕には被告人の反省の気持ちが伝わってきています」ということを主張しがら号泣してしまいました。法廷が終わった後に、検察官の方にすごくいい弁論だったよと声をかけていただいたことを覚えています。
今考えると、結果としては被告人の利益を守ることに徹しきれていない弁護活動だったようにも思い反省もたくさんあるのですが、それでも、被害者のことも考えながら、被告人にも可哀想なところがある、と心から感じながら活動できた、という自負はあり、私の弁護士活動の原点になっています。
結局その被告人は実刑になってしまうのですが、出所後に紆余曲折を経て、ご両親の所に定期的に謝りに行くようになったそうなのです。ずっと継続して謝罪に来るようになった中で、そのお父さんが「娘がちょうど20歳になる頃まで続けてくれたら、許そうと思う」と私におっしゃったんです。
その時は感動しました。本当に有難いという気持ちと、お子さんが亡くなるというこの上ない重いことがあっても、変えられることはあるんだなと思いました。あの時の刑事裁判がいい機会になって、私が被告人と関わる中で何かの影響を与えられたなら良かったなと思いました。
仕事の中で嬉しかったこと
債権差押さえで債権がヒットした時は嬉しいです(笑)。せっかく裁判で勝訴判決を得ても実際お金を払ってこない、では強制執行しようと思っても相手方にどういう財産があるかわからない、そうすると、現在の制度では結局のところ実効的な回収は難しいんですね。
で、誰でも銀行の預金くらいは持っているだろうからということで預金債権を差し押さえることも多いのですが、実務上、金融機関の支店単位で債権を割り付けてしか差し押さえができないんですね。
だから差し押さえをする時には、債務者の住所などの情報から推測して「この支店に口座があるんじゃないか」と見当をつけて差し押さえるわけです。それで見事に当たった時は嬉しいという意味です。やはり裁判で勝っても債権回収を実現できなければ意味がないですからね。
そんなことしか嬉しいことはないのか、と思われるかも知れませんが(笑)、よく思い出してもあまり思いつかないですね…。
あとは結果を抜きにして、チームを組んで仕事をする中で高度な議論をしている時には自分の力を発揮できているなと感じるので嬉しいですね。訴訟で結果が出た時というのは、嬉しいというより心底ほっとするという感じです。勝って嬉しいというより、負けなくてよかった、という感覚です。
弁護士になって大変だと感じること
一番難しいのは裁判官になるほどと思わせるような良い理論構成を考えることです。常識的に考えるとこちら側の主張が通るべきだ、と思うような事案であってもその主張方法はいろいろ考えるのですね。
例えば「こんな契約は無効だろう」という契約があったとしたら、錯誤無効、公序良俗無効、権利濫用などいろいろな主張の仕方ができる場合がほとんどです。依頼者の要求を実現するための主張の仕方を考えて、裁判官に納得してもらえるような形にするという弁護士のまさに本業なのですが、ここがやはり一番難しいし、弁護士の腕の見せ所だと思いますよ。
今後の弁護士業界の動向
この10年でも大分変わってきていると感じます。企業法務に関しては、やはり依頼者の方にいろいろな選択肢がある中で選ばれているんだなという感じを受けます。以前はそもそも依頼を引き受けてくれる所を探すのも難しいという状況だったと思いますから、競争は激しくなってきていると思います。あとこれまで弁護士がやっていたことを企業の内部で対応されることも増えてきました。これからもそのような領域は増えてくることは予想されます。
他方、我々弁護士は、最終的な紛争解決手段である訴訟の担い手として国の訓練を受けてこの仕事をしており、「この件は訴訟になったらどのような展開になるか」「どういうところを頑張れば闘えるのか」という判断ができるところに存在意義があると思っています。
ですから、私としては今後は益々「訴訟に強い」ということが重要になってくると思いますが、その前提として、そもそも訴訟制度ですとか、先にも触れましたが勝訴後の実際の権利実現のための執行制度が、もっともっと使いやすい、そして実効性のあるものにして、ヨリ国民に使ってもらえるようにしないといけないなということは、制度に携わる者として痛感するところです。ですから、日々案件を担当させていただきつつ、弁護士業界として制度改革的提言ももっと積極的に行う必要があると思っています。
なお、当事務所もこれまで業務宣伝的なことは全くしていなかったのですが、最近では積極的に外にアピールするようになりつつあります。例えば「虎中通信」と題して、依頼者に役に立つ法律情報を定期的に発信するといった活動もしています。