伊藤 芳朗 弁護士 インタビュー
弁護士を目指した理由
小学生の頃に、伯父が「医者か弁護士が儲かるぞ」と言っており、私は血を見るのは嫌だなと思っていたので、弁護士がいいかなと漠然と考えていました。
そして、高校生になり、政治経済の授業で憲法の生存権に関する朝日訴訟の話を聞いたことが大きなきっかけになりました。訴訟では、結局負けてしまいましたが、この裁判のおかげで、生活保障の受給額が上がり、生存権を考える先駆けとなった裁判でした。
私自身、自分が弁護士になったら裁判を通じて社会を変えることができるのではと思い、弁護士になりたいと思うようになりました。
印象に残っている事例
数多くの事件を受け持ってきましたが、中でもある暴走族の刑事事件が特に印象に残っています。その事件とは、暴走族総勢10人が高速道路上で車を止めて、一般の乗用車を襲って金品を巻き上げるという強盗致傷の事件でした。
私が被告人の弁護人として担当したのは、その暴走族の頭の弁護でした。警察の調べによるとその頭が配下の者に指示を出していた首謀者と思われていたのですが、私が接見に行ってもずっとシラを切って、周りが何をやっていたのかわからないという感じでした。
しかし、他の者は皆、頭である彼の指示でやっていたと話していたのです。そのような状況だったので、私と彼との間で話が進んでいきませんでした。
その子の家は裕福な家庭であり、ある会社の社長の一家でした。父はいないのですが、母と兄との3人で暮らしていたようです。このような恵まれた家庭で何故この子がこのような非行に走ってしまったのか疑問でした。母親に聞いても母親自身もわからないといった様子でした。
そんな時、彼のお兄さんに会って話を聞いたら糸口をつかむことができたのです。彼は、あるスポーツをやっていたのですが、兄もまたそのスポーツをやっていました。兄はノンプロではありますが、実業団で今でもプレーしているといいます。そして、母親もそのスポーツをやっていて、現在もコーチをしているようです。そのスポーツにとても熱心なスポーツ一家であったのです。
彼はそのスポーツ推薦で高校に進学しましたが、中退してしまったようなのです。その理由を兄に聞いてみたところ、彼には才能があったが、中学でIHの選手には入れなかったということが原因だったそうです。
そして、そういう話をしていくうちに見えてきたことは、母親の厳しすぎる躾が根本にあるということが分かりました。
彼が小学生の頃、算数の宿題で問題を間違えると理不尽な体罰を受けていたり、留守番中に友達からプール行こうと誘われただけで母から殴られ、体中に痣を作っていました。
また、彼の試合の日には毎試合ビデオで撮って、帰ったらビデオを見て駄目だしされ、ののしられていました。そのような状況にあったため彼にとってそのスポーツは辛くて苦しいだけのものだったようなのです。
兄によると、彼は生まれてから2回しか母親から褒められたことがないそうなのです。彼は褒められたら必ず泣くというのです。
彼としては、IHに出られた兄とIHに出られなかった自分を比較され、家の中に居場所がなかったのでしょう。たまたま、彼の世代には他に良い選手がいたというだけのことなのに、彼は必要以上に自分を卑下していたのです。
そのような状況であったため、高校でスランプに陥り、そのスポーツをやめてしまい、そこから転落の人生を歩んでいったそうなのです。
私は、母が、何故弟を慰めてやらなかったのかと憤りを感じました。母の愛情さえあればこのような事件は起こり得なかったはずです。
裁判では、お兄さんに証言台に立って頂きました。そこでお兄さんは、自分は弟が可愛くてしょうがないのだと、もしかしたら自分が弟のようになっていたのかもしれないのだとおっしゃいました。法廷内の雰囲気が変わり、涙ものの証言でした。彼も泣いていました。未だこの事件の示談は成立していなかったのですが、終結を先延ばして彼の変化が見たいと主張したところ、裁判官も理解してくださって終結を延期してくださり、判決も軽くなりました。
彼としては兄はスポーツで成功した別世界の人でした。その人が自分のことを可愛いと言ってくれたことが、彼にはたまらなく嬉しかったのでしょう。
そうやって家族が変化していくにつれ、彼自身にも罪を認め、自分が指示していたと証言しました。最後には、自分が罪を被るから、軽い刑は望まないとまで言ったのです。
私はこの事件で、家族関係に少し変化をつけることができたと思います。そういう意味でとても印象深い事件でした。
仕事で嬉しかったこと
依頼者の方から感謝されたときですね。これに尽きます。
大変だと感じること
私の弁護士としての持ち味は、先の見通しが良いということです。例えば、民事事件ではこれはこのくらいの金額で和解だなとか、これは勝つ、これは負ける、という見通しがつくということです。
自分の利益、考えに固執する依頼者の方は少数ではありますが、依頼者の方にもいろいろな方がいらっしゃいますし、私の言うことを聞かずに失敗していく方もいるものです。そういう人の説得が大変ですね。
休日の過ごし方
海外旅行をしたり、登山、音楽鑑賞、あとは宝塚歌劇団の舞台を鑑賞したりしますね。
弁護士としての信条
ポリシーというと少し違うのですが、私は裁判=芸術(アート)であると思っています。どう裁判を作っていき、流して、どう結論付けるかということを意識しています。
例えば、最終準備書面で、裁判官の心を動かすような、気持ちを惹き付けるような一言を添えたり、なるほどなと思わせるような理屈を考えたりしています。そういうことを思いついた時が楽しいのですよ。
例えば、予防接種訴訟で、ある弁護士が憲法29条を持ち出し、「財産権でさえ保障の規定を置いているのであるから、生命や身体ならば尚更だ」と主張し、裁判所が採用しました。それまで、こんなことを言う人はいませんでした。
この主張がなされた裁判が予防接種訴訟のリーディングケースとなりましたし、この視点が弁護士として一番重要なものなのだと思います。自分もこういう柔軟な発想の弁護士でありたいと思います。
依頼者に対して心がけていること
1つは依頼者の方を責めないことです。依頼者の方も自分の過ちは分かっているので、その傷口に塩を塗るようなことはしないことです。
もう1つは、勝ちすぎないことです。判決で勝てることでも和解を勧めることがあります。勝ち誇ってしまっては、相手方は窮鼠猫を噛むようなことをするかもしれませんし、判決で勝っても任意にはお金を支払わないことが多いのに対して、和解の場合にはスムーズに支払われることが多いのです。
特に関心のある分野
被害者側、医者側を問わず医療訴訟をよくやるので、関心は強いですね。
しかし、医療ミスを叩き過ぎると現場は委縮してしまい、冒険的な手術はやらなくなります。そこで、保険制度のような無過失保障制度に移行していくことが望ましいと思います。大学で医療訴訟の講義をする機会があるのですが、今の学生の時点で委縮していますから、マクロ的に見ても、日本の医療の発展のためには今の訴訟では駄目でしょうね。
悩みを抱える方へのメッセージ
弁護士に相談する際には、セカンドオピニオンを貰って下さい。自分に合う弁護士、合わない弁護士ということは当然あると思いますし、良い返答が得られても、複数の相談をしたほうが無難かと思います。