
常に期待される人間でありたい
人の役に立つ仕事がしたい、大学在学中に司法試験合格
将来の自分の仕事について真剣に考え始めたのは、中学生の時だったと記憶しています。 人のため、社会のためになる仕事がしたいと思って、医者と弁護士の仕事に興味を持ちました。
医学部受験に必要な理数系の勉強も好きだったので、最後まで迷いましたが、仕事の自由度や仕事内容そのものが秘める可能性を考えると、弁護士の仕事の方が自分に合うだろうという結論に至りました。
弁護士になると決めて大学に入ったので、大学に入ってからはもう勉強するのみでした。
幸いなことに大学では、司法試験合格者や卒業生の現役弁護士が勉強を教えにきてくれたんです。一人で勉強するというよりは、みんなで切磋琢磨するという環境の中で勉強できたので、勉強が嫌だと思うことは一度もありませんでしたし、吸収も早かったですね。
そして、大学在学中に司法試験に合格。1975年に京都府で弁護士登録を果たしました。
やっと認められた“死後認知”
忘れられない事件があります。
あれは、たしか弁護士3年目くらいの頃です。 私が弁護士3年目というと、2018年の現在より40年以上も前ですので、随分昔のことになります。
一人の韓国籍の女性が事務所を訪ねて来たんです。 彼女には、北朝鮮出身の男性との間に授かった息子さんがいたんですが、父親である男性とは入籍をしていなかった。歴史的に見ても、ちょうど1970年代当時から婚外子の出生は増えているんですね。
彼女の相談内容は、「息子が進学したり学校生活を送ったりする中で不便を感じたので、息子には私の姓ではなく、父親の姓を名乗らせたい。父親は2年半前に亡くなっているのですが、なんとか父親の名字を名乗ることは叶いませんでしょうか」というものでした。
日本国内において、子から父親への死後認知請求が、父の死後3年まで有効であるということを知っていた私は、「そういうことなら、死後認知請求という手続きをしましょう」と、依頼を簡単に引き受けました。しかし、手続きを進めていくと、韓国法では死後認知は2年までしか認められていないことが判明したんです。
「これはえらいことになった」
本当にどうしようかと思いましたね。簡単な手続きで名字を変更できると思っていたし、依頼者にも「変更できるでしょう」と言ってしまった。
なんとかできないものかと、必死になって同業者や学生時代の仲間などに聞いて回りました。
すると、出版社に勤める友人が「名古屋にその分野に明るい先生がいるから、一度聞いてみてはどうか」と教えてくれました。すぐさま連絡を取り、相談。
貴重なアドバイスをいただくことに成功しました。
そして裁判所と交渉の末、死後認知が認められ、息子さんは父親の姓を名乗れることになりました。 大変お喜びになる依頼者の笑顔を見て、私も心から嬉しく思い、この仕事は人の人生を大きく好転させることができる、やりがいがある仕事だと再認識しました。
"寺子屋"の教え子たち
29歳の時、「京都市内の大学で月に一度、司法試験受験生に勉強を教えないか」というお話をいただいたんです。それはいい試みだと思って、すぐに参加することにしました。
でも実際にやってみると、月に一回程度の勉強会では、あまり意味がないと感じたんです。
そこで私は、生徒たちを集めて週に一回、事務所で"寺子屋"を始めることにしました。 どうしても弁護士になりたいという熱い気持ちを持つ学生を、私にできる形で応援したいと思ったからです。
実際に弁護士が仕事をしている法律事務所で受験勉強するこということは、受験生のモチベーション維持のためにも非常に効果的で、当事務所の寺子屋から、徐々に司法試験合格者が出始めました。合格者の中には、弁護士になったあと、当事務所の勤務弁護士になった人もいました。
法科大学院制度が始まってから、この寺子屋活動はだんだんと縮小しましたが、京都市内の弁護士の中には、私の"教え子"がたくさんいます。
いまでも年に一度は寺子屋メンバーで集まり、近況を報告しあっています。 教え子の活躍を見るのは、本当に嬉しいですし、大きな刺激にもなりますね。
弁護士は、法律を切り口にする“総合コンサルタント”
現在、私の仕事内容は、企業や労働に関するものがほとんどです。
中小企業の顧問業務をはじめ、クレーマー対策、中小企業庁との折衝など、さまざまな業務を担当しています。 歳を重ねるに連れて、経営に関するアドバイスをする機会も増えてきました。
仕事をする上での私のモットーは、幅広い知識をアンテナ高く収集し続けることです。
私は若い頃から、時間があるとあちこちへ出かけていって、いろんな人と会うようにしています。 法律とは全く関係のない商工会議所の会合や企業が主催する講演会などにも積極的に出向くことで、世の中の動向にもだんだんと詳しくなり、みるみるうちに人脈も広がりました。
また、書物から学ぶことも忘れてはいけません。
企業からの相談を受ける時に、その業界について、その会社について、どれだけ知っているかということは、とても大事なポイントです。
例えば、同じ労務に関しての相談でも、介護分野と芸能分野では、業界の抱える事情は明らかに違います。
どんな分野のご相談がきても、迅速かつ的確なアドバイスができるように、私は常日頃から、さまざまな分野の業界誌を取り寄せ、目を通すことにしています。
新聞も、ただ読むのではなく「この事件、自分に相談されたとしたらどんなアドバイスができるだろう」と意識しながら読みます。 本も週に3〜4冊は必ず読む習慣がついています。
このように通勤時間や移動時間も有効に使って、常に新しい情報や価値観をインプットしているからこそ、ここぞと言う時に有効なアドバイスを差し上げることができるのです。
「法律の専門家」ではなく、「法律を切り口にする総合コンサルタント」として幅広くみなさまのお役に立つためには、毎日の勉強が必要不可欠なのです。
雪に耐えて梅花麗し
弁護士になって40年以上。これまでさまざまな人に出会い、さまざまなトラブルを解決してまいりました。 トラブルの内容は、その時々によって千差万別ですし、そのトラブルを抱える関係者の辛さや苦しみも、時と場合によって異なります。
それでもこの40年の経験を経て、確かだと思うことが一つあります。
それは、「雪に耐えて梅花麗し」ということ。
この言葉は、西郷隆盛が残した言葉だと言われていて、「人間は苦難や試練に耐え、それを乗り越えた時に大きく成長する事ができる」とか「人間が大成するには何事も忍耐が必要」という意味です。
人の人生ほど、不確かなものはありません。 突然、想像を絶する試練に出会ったり、どうにも許しがたいことが起こるかもしれません。
でも、どうか負けないでください。 冬の厳しい寒さに耐えた花は、春になると大きく綺麗な花になります。
不安なことや実務的な質問があればいつでもご相談にいらっしゃってください。 あなたの人生にも、大きく綺麗な花が咲きますよう、私が全力でサポートいたします。