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「未来から来た」情報工学者・長尾真、飽くなき人間への興味と哲学への回帰
情報工学者の長尾真氏

「未来から来た」情報工学者・長尾真、飽くなき人間への興味と哲学への回帰

図書館界や出版界の度肝を抜いた「長尾構想」を提案した京大名誉教授の長尾真氏。情報工学の第一線で活躍、京都大学総長や民間から初となる国立国会図書館長を歴任。大学を退官した後も学会や講演に引っ張りだこで、今も京都を拠点に各地を飛び回る日が続いている。

「本当は、未来から来た人なのではないか」。そう言われるほど、長尾氏の研究には先見性がある。1960年代からコンピューターによる言語翻訳を手がけ、文字や画像の認識について先駆的な研究を行なった。その一部は郵便番号読取機にも応用されている。今では当たり前になりつつある人工知能や顔認識技術の向上にも、この頃尽力している。

1990年代からは研究の集大成として「電子図書館」を提唱。インターネット上に情報があふれることを予測し、世界でもまだ珍しかったデジタル情報の記憶装置として、知のインフラを描いた。

日本の情報科学や認知科学を語る上で避けては通れない巨人だが、長尾氏の視線の先には常に人間という存在があるという。そのルーツは少年時代。1936年、伊勢神宮で神職をしていた家に生まれた。そのまま神職を継ぐのかと考えていたが、1945年に終戦。京大への進学をきっかけに研究の道へと入った。以来、科学技術の最先端を走ってきた長尾氏だが、人間への興味が失われることはなかった。

82歳。では、長尾氏が現在、最も関心を抱いていることは何か。意外な答えが返ってきた。(聞き手:岡本真氏、構成:編集部・猪谷千香)

長尾真氏

●「普通のことを普通に考えることが、難しい」

岡本真氏(以下、岡本):先生のお仕事を振り返ってあらためて気づかされるのは、その「先見性」です。今、人工知能が注目を集めていますが、すでに30年前には人工知能に関する本を立て続けに出版されています。あまりに未来予測が的確なので、長尾先生は未来から来た人なのではないかと(笑)。これからの若い世代に向けて、どうしたらそんな独創性の高い研究を発想することができるのか、教えてください。

長尾真氏(以下、長尾):独創性が高いなんて……むしろ、当たり前のところをやりたいなあと思っています(笑)。そこに真実があると考えているんですね。他の人がこう言ったからどうする、ということより、人間として、健全な形で楽しく生きていくためには、どうしたらいいのかということを考えると、あんまり極端なことをぐいぐいやるより、ある種のバランスが取れた形で進んだ方がいいということを言っています。

だから、大学の研究者が狭い専門分野を深く掘り込むのと比べて、社会全体のバランスの中で何が足りていないのかを考え、今の時点でこういうことをやるのが大事だという発想で研究する方が、はるかに難しい。専門分野を掘り込むのはある意味、易しいことだと、ある本に書いたら、一流の研究者の人がそれを読んでショックを受けたとおっしゃったこともありました。そういう立場で考えると、独創性が高いかどうかは疑問です。まあ、普通のことを普通に考えているわけです。そんな感じですねえ。

岡本:でも、それはすごく大事なことですよね。

長尾:確かに、勉強をやっていると『他の人がこういうことをやった。じゃあ、もうちょっとこれをこうすれば、もうちょっと面白くできるよ』ということはいくらでもあります。だけど、それでは碌なことはできない。本当に社会のために役に立つ、しかも本質的な問題を解決する。そういうテーマは何かと考えるためには、苦しまざるを得ないことはたくさんあって……。

半年、1年、考えないと良いアイデアが出てこないこともあるし、ある種のテーマだとパッと出てくることもあるし。色々ですけれども、本当に自分が興味あって、社会にも役に立つ、誰もやっていない、本質的な問題を掘り起こすための苦しみを味わいながら、ああでもない、こうでもない、というのを1週間も2週間も考えます。その時間は生産的でないように見えるかもしれないけど、それは、苦しみを経た上で自分にとってはこれが大事だという、信念をもって見つけたテーマです。今の若い人たちにはそういうものを見つけていただきたいんですね。

編集部:やはり、苦しむものなのでしょうか……?

長尾:まあ別に苦しむ必要はないです(笑)。1週間ぐらい考えても、これも大したことでないから没にしようとか、そういう試行錯誤をずっとやります。そういう状況がずっと続いていると、くだらないことで時間つぶしになるけれど、心が安定してきます。でも、何もせずに、このアイデアもあかんな、これもあかんなと考えているのはある意味苦痛です。しかし、そういうことをずーっとやっていると、いつかは、これは面白いというか、自分はこれだというのが出てくる。なんでか知らないけど。

純粋数理をやっている人は、2年も3年も同じことを考えていますよね。フェルマーの定理を証明したくて一生、なんの成果も出さずに死んじゃった数学者はごろごろいるわけです(笑)。でも、そういう苦しみがないと面白いことは出てこないんじゃないかとは思います。

長尾真氏

●「やっぱり、研究はロマンを持たないと。それが一番大事なんじゃないか」

岡本:ただ、最近感じるのは、大学で研究者があらゆることに忙殺されて、肝心の研究をする時間がないことです。

長尾:それが本当に残念です。時間的な余裕、心の余裕を持たないと、大学としての意味がなくなりますよね。

岡本:これは、GAFA(編集部注:Google、Apple、Facebook、Amazon)の問題にも通じていまして、優れた人材がより環境の整った海外の大学や企業に流出していってしまい、国内に残らないという現状があります。しかし、大学も知のインフラを担う拠点ですので、大学をどう再構築するか。大学が本来の目的である教育と研究と地域貢献を行えるよう、もう一度きちんと組み上げないといけないのかなという気がしています。

長尾:大学には色々な研究者がいるし、いろいろな学問もありますが、異分野の人たちと真剣に議論する場がすごく大事だと思いますね。私なんかはどちらかというと、一人で考えて見つけることが多いのですが、人と議論をしていると、自分自身で面白いことを言っている時があって、なんで自分はこんな面白いことを口走ったのかなあと思うこともありますね。異分野の人との対話が大切です。

総合大学は、異分野の人と徹底的に議論するということをもっともっとやってく必要があると思います。私が教授になった時、35、6歳の頃から、言語学や心理学の人たちや医学の人たちと月に一回、徹底的な議論をしました。そういうところからも面白いテーマが出てきます。総合大学はそういうことを積極的にやって、新しいものの考え方を切り拓いていかないと、タコ壺みたいなことをやっていたら、総合大学の意味はない。そういう余裕を持ってもらいたいです。やっぱり、研究はロマンを持たないと。それが一番大事なんじゃないかと思います。

岡本さんは、ヤフーを退社後に起業して、図書館づくりのコンサルタントをしていらっしゃいますが、「図書館をよくしたい」というロマンをもってるわけでしょう。僕はそれにものすごく惹かれるんですよ。普通なら気づかない図書館の新しい活動を発掘して、紹介しておられる。規模は小さいかもしれませんが、色々な図書館で司書の方ががんばっていらっしゃる。そういうことを見つけて紹介するというのは、やはり、知的インフラを日本でどう育てていくかということに通じるロマンでもあります。

図書館の世界も、施設が大きい小さいとか、どこに勤めているかなど、違いは当然のことでありますが、自分の周囲の人たちに良い知的環境を提供しようと司書の人たちはみんながんばっておられる。非常に素晴らしい世界であって、それが人間性の良いところじゃないかと思います。まあ、それに応えるように地方自治体の図書館への理解も必要で、それがあれば鳥取県立図書館や熊本市の「くまもと森都心プラザ図書館」のように良い活動ができます。ですから、首長の方たちには図書館に対してもっと目配りをしながら頑張っていただきたいと思います。

岡本真氏

●「情報学の人達にも哲学の人達にも、爆弾をぶつけようかと」

岡本:先生ご自身は、今、最大のご関心はどこにあるのでしょうか?

長尾:そうですね。情報学や人工知能は、人間の頭脳の活動をどうみるか、そこをしっかり究めることが必要ではないかと思ってずっとやってきたのですが、それはどちらかというと、本来は哲学の世界なのではないかと思い、メモをまとめています。

哲学の世界は、人間とは何か、つまり、人間の頭脳活動は何であるかを明らかにしようとしてやってきたわけですが、欧米でも哲学の流れからすると、アメリカの分析哲学とか、ヨーロッパの心理学とか、認知科学的哲学の世界がある意味で、壁につきあたってしまっている。どちらの方向に進んで行ったらよいかわからないという状況があるんじゃないか。

それはそれとして、日本における哲学者は何をしているのでしょうね。「哲学」学はやっているわけです。ヘーゲルがどうしたとか。でも、世界の哲学の考え方の流れの最先端をちゃんと認識して、その先をどうしていくのか、そういうことを考えている人がほとんどいないのが残念ですね。あるいは、自分が本当に哲学者として、物を考えている人が何人ぐらいいるのかということを考えると、やはり伝統的な哲学の亜流というか、解釈学をやる、そういう人たちがほとんどではないかと見えますね。

哲学は古代ギリシャから流れてきて、今日はどこにあって、その先は何になっていく可能性があるのかと考えた時、情報学や人工知能を考えていくことが、ひとつの哲学の流れになる、将来的な方向になる可能性があると思ったりしています。そんなことをちょっと書いてみて、これからの哲学者はこんなふうに考えたらどうでしょう、哲学の解釈学をやってるんじゃ、だめじゃないですかと言いたいのです。

こんな乱暴な本を出してくれる出版社はないでしょうから自費出版して、情報学の人達にも哲学の人達にも、「爆弾」をぶつけようかと思ったりしています(笑)。

岡本:先生はお育ちになられた環境の中で、工学という実用の学問を学んでいく必要がありながらも、もともとは文学青年でもあったわけですよね。人文学として見た時に、一人の研究者のライフサイクルの中で、今、先生のご関心が哲学にあるというのは非常に印象的でした。

長尾:学問というものは、最後には人間に戻っていくのはしようがない。人間とは何かという難しいことを考えるのもいいけれど、人間をハッピーにするとか、隣人との関係をどうみるかとか、宗教をどうみるかとか。日本の宗教とヨーロッパの宗教はどう違っていて、どういがみ合わずに、握手ができるようにできるか、その手段はないのか。

やっぱり、人間というものをもっともっと考えた場合の、情報のあり方、情報の扱い方、人工知能を含む情報学として進むべき方向というか、工学でもないし、文系の学問でもない、コンピュータという強力な機械を使ってどう作り上げるか。それを社会に認識してもらいたいなあという気持ちがあります。

そこにいたるための知識を整理するとか、利用できるようにするとか。そういう知のインフラを使ってみんながいろんなことをやっていく。そういう世界をもっとはっきりさせていく必要があるんじゃないかと思います。それが、人間の根本精神を健全にしていく。魂というものをしっかりしたものにする。そういうことにつながるのだから、2000年以上、それをやってきた哲学の歴史が情報学に流れ込んでいって世界に広がっていく。そういう努力をするのが必要かなと思っています。

まあ、情報的な立場に立ちながら、ものの考え方を人間的な形で整理する。そういうことをやりたかったんですね。大学に入るときに、文学部の哲学にいこうか、純粋理学をやろうか、迷った挙句、情報処理の分野に入ってしまったので、死ぬ前に元の人間とは何かの世界に戻ってきたわけです(笑)。

岡本:先生の中には、知的好奇心を持ち続けることと、普通にとことん追究していくことが共存していると、あらためて痛感しました。先生のお年に追いつくにはまだ時間がありますが、精進していきたいと思います。

長尾:みなさんにはまだ無限の世界の可能性がありますよ。(おわり)

長尾真氏と岡本真氏

前編はこちらから 「GAFA時代、日本の「知のインフラ」を構築してきた長尾真が予測する未来」

(弁護士ドットコムニュース)

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