私立校なのに、残業代が全く出ないーー。公立学校の教員に適用される「給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)」が私立校にも影を落としている。
私立校教員であれば、給特法の適用がないため、通常の労働者と同様に労働基準法が適用される。しかし実際には、残業代が出ないどころかタイムカードもないという学校がある。
「声をあげないと何も変わらないと思いましたが、学校側の正体が見えて失望しました。洗脳されてしまっていて、理屈が通用しない」。こう嘆くのは、東京都内の私立中学・高校に勤務する教員の浅野さん(仮名・50代)だ。2018年夏、在職中でありながら、学校に対して労働審判を起こし、未払い残業代を請求した。
労働審判は和解が成立したが、学校側は非を認めず、同僚からも冷ややかな目を向けられるようになったという。一体、何が起きたのだろうか。
●「手当が出ていることに騙されてきた」
労働審判を起こしたのは、東京都内の私立中学・高校で教員を務める浅野さんと井出さん(仮名・40代)。2人は学校内部の労働組合の役員を務めており、長時間労働について組合としての取り組みを検討していた。
浅野さんの勤務校は就業規則で始業・終業時間が定められておらず、所定労働時間は法定労働時間通り1日8時間・週40時間。36協定で時間外労働の上限が1カ月45時間、年間360時間、法定休日の出勤は1日までと定められていたが、残業代は一切支払われていなかった。
2人は校長に対し、過去2年分の残業代を請求したが話し合いはまとまらなかった。そこで2018年の年明け、労働基準監督署に申告。
その結果、残業代の未払いが労働基準法37条違反に当たるとして、学校は2人の教員の申告から3カ月後、三鷹労働基準監督署から是正勧告を受けた。また、勤務時刻の規定や労働時間の記録がないこと、賃金台帳の整備についても、89・109条違反による是正勧告を受けた。
しかし、是正勧告後も、学校側から時間外労働や残業代に関する具体的な返事はなかった。
2人の他に教員7人も学校に対して未払い残業代を求めたが、学校側は「払わない」の一点張り。そこで、浅野さんと井出さんは時効の停止期間を迎える2018年夏に、過去2年間の未払い残業代を求めて労働審判を申し立てた。
2人が申し立てたのは、以下の未払い残業代だ。 (1)日曜日の勤務 (2)宿泊業務中の8時間を超える超過勤務と深夜労働 (3)日々の8時間を超える超過勤務
浅野さんは「手当が出ていることに騙されてきた」と振り返る。部活などで日曜に遠征すると1日当たり5500円の手当が出ていた。
しかし、宿泊行事の時には、生徒の見回り後にミーティングが開かれるため深夜0時をすぎる事もあった。そうした深夜まで及ぶ長時間労働にも超過勤務手当や深夜手当はなく、本来法定休日である日曜日の勤務についても割増賃金が支払われなかった。
また、水泳部の顧問をしていた井出さんは、中高合同で行うため一度に80ー90人の部員を3人の教員で見る必要があった。しかし、8時間を超えた部分での部活動の時間は労働時間とみなされていなかった。
学校側は、労働審判では「クラブ活動に立ちあうことを義務付けていない」「教員が自らの裁量で自主的にやっていることで労働時間には相当しない」とし、教員の給与について「比較的高い水準で、斟酌されるべき」などと主張したという。
2018年の暮れに行われた第3回労働審判で和解が成立し、「解決金」という形で残業代が支払われた。
●総長「支払ったのは残業代ではなく解決金」
その後、学校では教員集会が開かれ、総長から教員全員に対して労働審判の概要が説明された。しかし、総長は「ご協力お願いします」と呼びかけ、「今回支払ったのは残業代ではなく解決金だ」の一点張りだった。
浅野さんは「同調者を出さないように圧力をかけているようだった。請求するなというのは、ブラック企業経営者そのものだ」と憤る。
加えて、同僚からは「時間管理しないで自由にやらせてくれ」「職場を分断させる行為」「自分がいる学校を痛めつけることはすべきではない」などと言われた。
「合意も相談もなしに、組合三役の2人が行動を起こしている」という反発については、「労働審判申立は、残業代を支払ってもらうことに主眼はなく、あくまでも長時間労働を是正させることにある。裁判所の関与があるからこそ、理事会と対等にわたりあうことができる」と繰り返し説明。2人が組合支部の三役を担ったことは不適切だったと認め、三役を辞任した。
●残業代請求しないことは「暗黙の了解」
ベテラン教員の中にあったのは、残業代請求しないことを「暗黙の了解」とする空気だ。
2人が勤務する学校は、労務管理がされておらず、遅く出勤したり早く帰れたりする日もあった。そのためか、深夜早朝勤務が多発していても「出た山は埋め合わせができる」と思う人が多かったという。
2人の代理人をつとめる石鍋文人弁護士は「過労により体調を崩す先生は多数いるのに、そのフォローは十分ではない。各教員の裁量に任せられており、学校経営者による指導監督が徹底されない構造的な問題がある」と指摘する。
「教師の仕事は熱心にやろうとすると無限にできてしまう。教員は自分のプライベートを削っても、生徒のためにやってあげたいと思う。熱心な人に仕事が集まり、熱心でない人に仕事が行かなくなるところを、経営者側が管理監督者としてうまく采配して行く必要がある。あとは好きにやってと本人に委ねるのは好ましくない」
●「聖職者意識を改めないと」
「給特法」により、公立学校の教員には時間外勤務手当と休日勤務手当が支払われない代わりに、基本給の4%に当たる「教職調整額」が支給されている。私立学校の教員には適用されないが、多くの学校が「みなし残業代」として基本給の4%を支払っている。
公益社団法人「私学経営研究会」が2017年におこなった「私学教職員の勤務時間管理に関するアンケート」によると、回答した329の高校のうち、教員にみなし残業代を支給している学校は245校。支給割合は基本給の4%が161校ともっとも多かった。
みなし残業代はあらかじめ設定した時間に対して支給されるものだ。そのため、実際の労働時間が設定時間を超えた場合は、割増賃金を加算して支給される。
しかし、時間外手当の支給について「法定の時間外手当を支給している」と回答した学校は12.1%に止まり、「教職調整額+定額の業務手当」を支給しているところが29.4%、教職調整額を既払残業代とみなし、その他は一切支給していない学校が24.2%をしめている。
残業代が出ていなかった二人の勤務校のような事例は、氷山の一角だ。
「私たち自身も聖職者意識を改めないと働き方は変わらないのではないか」。在職しながら学校に対して残業代請求を行うことには、怖さや迷いもあったが、現状を変えるために訴えを起こした。
井出さんは「生徒が楽しいと思えるところを引き出すのが先生の役目だと思っていた。それを上から『勝手にやっていること』と言われると何を仕事にしたらいいのか」とつぶやく。労働審判が終わった後も、戸惑いは続いている。