SNSで自分になりすました人物を特定するため、中部地方の40代男性がプロバイダーに情報開示を求めた訴訟の判決で、大阪地裁が、他人に成り済まされない権利を「アイデンティティ権」として認めたことが6月10日に報じられ、話題になった。判決は2月8日付。
報道によると、佐藤哲治裁判長は、アイデンティティ権を、他人との関係で人格の同一性を持ち続ける権利と定義。成り済ました人物の発言が、本人の発言のように他人から受け止められ、強い精神的苦痛を受けた場合は「名誉やプライバシー権とは別に、アイデンティティ権の侵害が問題となりうる」とした。
そのうえで、被害に遭った期間が短かったことなどを理由に、請求自体は棄却。原告の男性は控訴しているという。「アイデンティティ権」をどう考えればいいのだろうか。今回の訴訟の原告代理人をつとめた中澤佑一弁護士に聞いた。
<解説のポイント>
・「アイデンティティ権」は自己認識による自己同一性だけでなく、「他者との関係において」人格的同一性を保持する利益
・今回の判決で「アイデンティティ権」の考え方が全面的に取り入れられたわけではない
・従来は「なりすまし」単独では違法とは認められず、「なりすまし」に加えて名誉やプライバシー等への侵害があって初めて違法とされてきた
・今回の判決は名誉やプライバシー等の具体的な権利侵害がなくても、「強い精神的苦痛」を条件に「なりすまし」を違法とした
・今回の判決の実務的な影響は少ないが、「アイデンティティ権」が定着すれば、早期の被害救済が可能になる
以下、中澤弁護士による詳細な解説を紹介する。
●「アイデンティティ権」とは
「なりすまされない利益」という意味での「アイデンティティ権」という概念は、私を含めて、近刊の「最新 プロバイダ責任制限法判例集」の執筆メンバーが新たに提唱している概念です。そのため、アイデンティティ権という単語自体、今回の報道で初めて目にされる方が多かったと思います。
私たちは「他者との関係において人格的同一性を保持する利益」を「アイデンティティ権」と定義しています。
自己同一性を保持し、自我・自分を獲得することは、人格的生存の大前提です。そして、人間は社会の中で他者との関わりを持ち、その関わりの中で自己実現を図ってきました。ですから、自分自身による自己認識という意味においての自己同一性だけでなく、「他者から見た自分」「他者に認識される自分」について、その同一性を保持することも、人格的生存に不可欠な要素と言えるはずです。この他者との関係において、人格的同一性を保持する利益にも法的保護が与えられるべきであるという視点が「アイデンティティ権」概念の出発点となっています。
なお、「アイデンティティ権」に先行する権利として「氏名や肖像を冒用(不正に使用)されない利益」は裁判でも人格権の一つとして定着しています。しかし、なぜ氏名や肖像を冒用されてはならないのか、この根源的な問いを突き詰めてゆけば、それは「氏名」「肖像」といった人格を構成する一要素に特有の問題ではないはずです。他者から見た人格の同一性を保持する必要性があるのであれば、「氏名」「肖像」といった人格の一要素にその保護範囲を限定する必然性は認められないでしょう。従来から認められてきたこれら権利・利益も含め、人格を冒用されない利益をより根源的なレベルで再定義した結果として「アイデンティティ権」という概念が生まれました。
●従来の枠組みからの質的な変換
今回の大阪地裁判決の考え方は、私たちが提唱している「アイデンティティ権」を全面的に取り入れたものではありません。また、従来認められてこなかった新たな権利・利益を肯定した判決なのかという点についても、私たちの中で議論があります。
大阪地裁判決は「なりすまされた者が平穏な日常生活を送ることが困難となるほどに精神的苦痛を受けたような場合には、名誉やプライバシー権とは別に、『他者との関係において人格的同一性を保持する利益』という意味でのアイデンティティ権の侵害が問題となりうる」と述べ、アイデンティティ権に言及しました。つまり<なりすまし>+<強度の精神的苦痛>=アイデンティティ権の侵害(=違法)であるとしたものです。
これが新しい権利であるかどうかを検討する前提として、なりすまし事案における従来の裁判実務の考え方をおさらいする必要があります。これまで、<なりすまし>のみで違法性・権利侵害を認めたものはなく、<なりすまし>+αで権利侵害・違法とされてきました。+αの部分には、名誉権侵害やプライバシー侵害、なりすましの一態様としての氏名の冒用が認められてきました。この意味で、大阪地裁判決も+αを要求しているため、従来の枠組みを踏襲しています。
しかし、従来「+α部分」として認められてきたものは、それのみで権利侵害・違法性が認められるものでした。「なりすまし」であるか否かは、権利侵害の要件としては無関係だったのです。名誉権侵害の事案で言うと、「なりすまし」であるかどうかは、誰の名誉が侵害されたのか、という名誉権侵害の要件の一部のみに影響しており、従来の枠組みでは、裁判の要件的には「+α部分」のみで違法性判断がなされてきたと考えています。
今回の大阪地裁判決では、「+α部分」として<強度の精神的苦痛>を要求しましたが、私はこの点に従来の枠組みとの質的な転換を感じています。
精神的苦痛という要素は、それ単独では権利侵害・違法となるものではありません。社会生活の中では「嫌だ」と思うことはたくさんあります。しかし、どれほど大きな精神的苦痛を与えたとしても、それのみで違法となるようなことはありません。例えば交際相手に振られるなどした場合、大きな精神的苦痛を被ることもありますが、振られた側にどれほどの精神的苦痛を与えるとしても交際関係を解消すること自体は違法ではありません。違法となるには何らかの法律上保護された利益が侵害されることが必要です。
この意味で、今回の判決の枠組みは、+α部分のみでは違法性を基礎づけるには足らず、+α部分だけで違法性判断を行うことができる従来の構造とは異なります。今回の判決の枠組みでは、なりすましであることが違法性判断の要件となっています。
つまり、今回の判決は「平穏な日常生活を送ることが困難となるほど」という極めて強度な精神的苦痛を条件としつつも、「なりすまされない利益」を法律上保護される利益として認めた判決と私は考えています。
●本質的な法的利益に言及したことは評価
他の権利侵害を伴わない、なりすまされない利益単独でも法的保護に値するのか、について従来は十分な議論がなされてきませんでした。従来の裁判実務では+α部分、名誉やプライバシーといった他の権利によって、なりすましの被害者救済がほぼ達成されてきたことが大きな理由です。
これに対し、今回の判決はなりすましの問題に真正面から取り組んで結論を出しました。もっとも、判決の基準は極めて厳格であり、「平穏な日常生活を送ることが困難となるほど」の精神的苦痛を被る場合にはアイデンティティ権と呼ばずとも、従来から何らかの人格権侵害が認められて来たという見方もあります。判決がアイデンティティ権と呼んだものは、従来の理論でも認められていた範囲をパッケージ化して別の名前を付けただけなのかもしれません。
しかし、なりすましで害される利益の本質をアイデンティティ権と新しい名前で呼んだこと自体が、これまで目が向けられなかった本質論にスポットを当て、なりすましという問題についてより本質的に考えるきっかけとなりました。仮に判決が認めたアイデンティティ権に独自の意味がなかったとしても、なりすましによって害される本質的な法的利益に新たな言及し、名誉権侵害等のなりすましの結果生じる枝葉の権利侵害のみに着目する構図から脱却したことは、評価に値すると考えています。
●「アイデンティティ権」の定着で、早期の被害救済が可能に
大阪地裁の基準は非常に厳格であり、実際上これによって実務的な影響がでることはあまり考えられません。
私たちは「アイデンティティ権」侵害の判断基準として、人格の同一性を偽るなりすましは原則として違法であるとする基準を主張しています。なりすましをする正当な理由などは基本的に想定できないのではないか?という視点です。
私たちが提唱する「アイデンティティ権」が定着すれば、なりすまし行為とは別に新たな権利侵害が発生していなくとも、より早期の段階で差止やなりすまし行為者の特定などの被害救済を図ることが可能となります。
なりすましの問題については、今後の事例の蓄積により議論が深まることを期待しています。