全日本柔道連盟(東京都文京区・山下泰裕代会長、全柔連)が相次いで発覚した不祥事を受け、組織改善の一環として2013年に設置した内部通報制度「コンプライアンスホットライン」のあり方をめぐる裁判が4月19日、東京地裁で起こされた。
全柔連を訴えたのは、福岡市の石阪正雄さんとその息子の勇樹さん。訴状などによると、勇樹さんは中学2年生だった2014年10月、福岡市内にある柔道場で指導者から「片羽絞め」という技をかけられ、2度も失神させられた。正雄さんは地元の福岡県柔道協会に相談したものの、対応をしてもらえなかったことから、全柔連のホットラインに通報。しかし、全柔連は石阪さん親子や指導者に聞き取り調査もせず、福岡県柔道協会にのみ話を聞いて「問題とすべき事実は確認できない」とした。
そこで、石阪さん親子は、全柔連は被害者に対してなすべき義務を怠っているとして、親子それぞれ165万円の慰謝料を請求する訴訟を提訴した。親子の代理人である宮島繁成弁護士は同日、東京・霞が関の司法記者クラブで開いた会見で、「全柔連の回答書を見て驚いた。こんなコンプライアンス窓口はあるのだろうか。一般の内部通報制度では被害者によりそって、自ら調査するものだが、全柔連は加害者の聞き取りすらしていない」と厳しく批判した。
●「息子は死の恐怖を味わった」
「息子は生きのびることができましたが、死の恐怖を味わいました。彼は、走馬灯を見たと言っています」
会見で当時をこう振り返るのは、正雄さんだ。「片羽絞め」という技は相手の首を絞めるもので、頸部の動脈の血流が一時的に止まることによって、脳の覚醒の水準が低下し意識を失う危険性がある。勇樹さんが道場でこの技を受けた時、どのような状況だったのだろうか。
訴状などによると、乱取り稽古の中でそれは起こった。指導者は倒された勇樹さんに対し、片羽締めをかけた。一度は自然に意識が回復した勇樹さんだったが、再び指導者によって同じ技をかけられ、また意識を失った。この時は自然に意識は戻らず、指導者が「活」を入れてやっと気づいたという。その後、勇樹さんは、別の指導者から「そんなの演技やろ」と言われ、柔道着の襟を引っ張って立たされ、残りの練習にも参加を強いられた。
帰宅後、話を聞いた正雄さんは勇樹さんを病院に連れて行き、「迷走神経性失神および前頸部擦過傷」との診断を受けた。勇樹さんは中学生になって大好きな柔道を始めたという。事件後は別の柔道場に通い始めたものの、2度の絞め技と失神に衝撃を受け、結局、柔道の道は諦めざるを得なかった。
●「全柔連のコンプライアンスホットラインは名ばかり」
この危険な技をかけたことについては、すでに裁判所で違法性が認められている。
実は、この訴訟に先立ち、指導者の問題を福岡県柔道協会および、全柔連といった競技団体で対応してもらえなかったため、石阪さん親子は、裁判で事実関係を明らかにするしかないと考え、指導者らを相手取り、福岡地裁で損害賠償請求訴訟を起こした。この裁判は、福岡地裁もその後の控訴審でも、指導者が技を使ったことの違法性を認め、石阪さん親子に慰謝料を支払うよう命じている。指導者は最高裁に上告を申し立てたが却下され、昨年6月に判決は確定している。
「全柔連のコンプライアンスホットラインは、2013年に発覚した女子柔道選手へのハラスメント事件などをきっかけに設置されたもので、不正行為の早期発見と是正を目的としています。その趣旨であれば、通報を受けた場合、中立的な立場に立った上で、まず被害者の話を聞き、被害者によりそって自ら主体的に調査をすべきです」と宮島弁護士は説明する。
石阪さん親子は裁判で事実関係を明らかにできたが、「これでは、全柔連のコンプライアンスホットラインは、最高裁の判決がないと動かないことになってしまいます。しかし、被害者の人たちの中で、最高裁まで裁判ができる人はどれだけいるでしょうか。使えない制度と言わざるを得ない」と宮島弁護士は指摘した。
正雄さんも、全柔連への失望感をあらわにした。
「全柔連のコンプライアンスホットラインは名ばかりで、看板だけならない方がいい。ここで事実関係を全柔連で明らかにしてほしかったが、期待はずれというのが正直な気持ちです。被害者と全く対話をしてくれない。一度も私たちの話を聞いてくれません。とても残念です。コンプライアンスホットラインだけでなく、これは組織全体の体質だと思います。全柔連には、真摯に向き合っていただき、変わってほしいです」
●全柔連のコメント
「現在、担当者が不在なので対応が難しいです」