表に出て発言する機会がほとんどないため、裁判官が普段何を考えているのかを知ることはなかなか難しいのが現状です。しかし、これまで裁判官の「表現の自由」をめぐり、何度か問題になったこともあります。
今回、裁判官の表現の自由について考える小説を司法試験合格者の加藤渡さん(ペンネーム)に寄稿していただきました。(過去に起きた事件を参考にしていますが、設定等はすべてフィクションです)
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「…これからも大変な日々が続くと思いますが、体に気を付けて無理をしないようにしてくださいね。陰ながら応援しています。ご清聴ありがとうございました」
僕が最後の言葉を言い終える直前に、誰かが堪え切れなかったように手を叩く乾いた音が響いた。それが呼び水となって、講義室内が大きな拍手の音に包まれた。
「それでは、質疑応答に移らせて頂きます。松田裁判官に質問のある方は、手を挙げて下さい」
時間通りに話を終えられたことにほっとしながら、僕は演台に置かれていたペットボトルの口を開けて紙コップに水を注いだ。
「お忙しい中、ありがとうございました。お話、とても興味深かったです。あの、裁判官のお仕事についての質問ではないのですが、よろしいでしょうか」
立ち上がってマイクを握る男子学生は短髪と眼鏡のせいか、まだ十代だと言われても頷ける幼さをどこかに残していた。こういう場で真っ先に挙手をする学生って何となく似通った雰囲気を醸し出している気がする、という内心は隠して微笑んだ。
「もちろん大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。あの、松田裁判官は、死刑についてどうお考えですか」
「死刑?」
全く予想していなかった方向からの質問に面食らい、思わず訊き返していた。 「はい。僕は、死刑は廃止すべきだと考えていて、将来は弁護士になって死刑廃止を実現するための活動を行いたいと思っているのですが、裁判官の方はどう考えているのか、知りたくて」
「それは、死刑を廃止すべきか存置すべきかについて私の意見を聞きたい、という趣旨の質問ということでしょうか」
「はい」
「大変申し訳ないのですが、私はその質問に答えることはできません」
講義室に漂う空気の色が少しだけ変わった気がした。学生の気分を害さないように注意しながら、僕は慎重に言葉を続けた。
「裁判官は、政治活動の自由や表現の自由を制限されているというのはご存知ですか。憲法の統治機構で勉強すると思いますが」
傍聴者を見渡すと、目をしっかり合わせて頷く学生と、目を合わせながらも曖昧な反応を示す学生、そして目を合わせず無表情を貫く学生の3パターンに分かれた。
「あ、はい」
「では、その理由はご存知ですか」
「えっと……すみません」
「いえいえ、こちらこそ突然ごめんなさい。あ、座って頂いて大丈夫ですよ。そうですね、ちょっと想像してみてください。私が仮に、死刑廃止運動に積極的に関わっていたとしましょう。私は、テレビや新聞やネットで、死刑は残虐だ、死刑はすぐに廃止すべきだ、という主張を頻繁に行っていて、私が死刑に反対している裁判官だということは皆知っています。そんな状況で私が、死刑が求刑されている事件を審理することになりました。さて、国民は、どんな判決が出ると予想するでしょうか?」
「…死刑はないな、と思うと思います」
「そう思ってしまいますよね。でも、現行法では死刑という制度がちゃんと存在している、それなのに、刑事事件を審理する裁判官が、死刑は残虐で即刻廃止すべきだ、なんて繰り返し言っていたら、あの裁判官に刑事事件は任せたくないなぁと思う人も少なからず出てきそうですよね」
「はい」
「さらに、私が担当したその事件で、死刑を斥けて懲役刑の判決を出したとします。あなたが被害者遺族だったら、どう思うでしょうか」
「…不満に思う気がします。納得できないというか、不公平な感じが」
「そうですよね。裁判官が偏った立場にいると明言してしまうと、国民はその裁判官が書いた判決に、その人の個人的な思想が反映されているのではないかと疑ってしまう。政治的に一定の立場にいると積極的に表現している場合は、その政治的立場に寄った判決が書かれるのではないかという不信感が生まれてしまう。そうなると、国民の司法への信頼が揺らいでしまいますよね。そういうことを防ぐために、裁判官の表現の自由は一定程度制限されているんです。質問にお答えすることができなくて申し訳ありません」
「あ、いえ、ありがとうございました」
彼が納得したように席に座ったことに安堵すると同時に、一面的な方向からの回答しか提示しなかったことに、罪悪感に似たやるせなさを感じた。
母校のロースクールから連絡があったのは2か月前のことだった。
若手実務家を招いた講演会を行うことになったので、登壇して裁判官の仕事や受験勉強などについて話をしてもらいたい、という依頼をされ、僕は二つ返事で引き受けた。
自分がロー生(ロースクール生)だった頃は毎日毎日、朝から晩まで大学に通い詰めていたが、司法試験に合格してからはわざわざ訪れる理由もなく足が遠のいていたから、今回、久しぶりに教授に挨拶をしたりキャンパスの周りを歩いたりするのが純粋に楽しみだった。
「それでは、他に質問のある方は…」
ひとりの学生がマイクを渡されて立ち上がった。
「松田先生…あ、すみません、松田裁判官が、裁判官になろうと思ったのは、なぜですか」
ゆっくりと瞬きをした。目を開けると、まっすぐな視線がそこにあった。
学生としてこの場所にいた、あの頃の自分に、今ここで、改めて問われている気がした。
裁判官になろうと心に決めた、あの夜。今でも、昨日のことのように蘇ってくるあの映像―。
その夜、ロー生だった僕は、講義と自習を終えて帰宅し、テレビをつけた。23時代のニュースを流すのは毎日の習慣になっていたが、スポーツニュース以外は寝る支度を整えながらみるともなしにみている程度だった。しかしその夜は、ある映像と音声が僕の意識をとらえ、釘付けにした。
それは、安同法案が成立した瞬間を映し出したものだった。国会は怒号にまみれ、議長席に議員が殺到していた。議員が幼稚な大騒ぎを繰り広げるのは日常茶飯事とはいえ、ここまでの混沌、騒乱はなかなか目にすることはなかった。そしてその興奮とは対照的な、冷静で無機質なテロップが、僕の息を数秒間、止めた。
強行採決の末、安同法案が可決・成立―
そもそも、違憲と悪名高い法案だった。集団的自衛権の行使を認め、後方支援・武器使用の拡大を認める、安全保障同盟関連法案―多くの憲法学者、歴代の内閣法制局長官、元最高裁長官を含む最高裁判事経験者たちが違憲であると指摘した。その法案が、こんな混乱の中、適正に手続きが踏まれたのかもさだかではないような状況で、まさに強行的に成立してしたことに、衝撃を受けていた。
―…ロースクールで、憲法や適正手続の重要性を、体に染み込むくらい勉強してるのに、現実では、違憲な法律が適正手続きなんてないような状況で作られてるじゃないか…。
僕は珍しく憤っていた。そして、決めた。
―裁判官になる。裁判官になって、最高裁判事になって、安同法の違憲判決を書く、と。
「松田裁判官?お答え頂けますか?」
司会の教授の声で我に返り、僕は慌ててマイクを握り直した。
「裁判官になろうと思った理由は…弁護士と検察官は、党派的な主張しかできないですよね。でも私はどちらかというと、中立的な立場で、自分がもっとも適切だと思う結論を自分の判断で下したい、という思いがあったので、それが可能である裁判官を選びました…まぁ、ワガママなんでしょうね」
冗談めかして最後の一言を付け加えると、控えめな笑いが波打つように広がった。
ほっとしながらも、当たり障りのない毒にも薬にもならないことしか言えない自分にうっすらとした嫌悪を感じ、僕は紙コップの中に残っていた水を一気に飲み干した。
講演を終えて地下鉄に入ろうとした時、狭い車道を挟んで正面に広がる芝生の青さに目を奪われた。この大学の数少ないシンボルである講堂前の中庭は広大な芝生に覆われていて、学生が寝そべったり親子連れが追いかけっこをしたりと思い思いに寛いでいる。僕も学生の頃は、友人達と酒やつまみを持ち込んで、飽きもせず何度も飲んだ。
抗いがたい懐かしさに引っ張られ、僕は近くのコンビニで買ったホットコーヒーを手に、芝生に立ち入り腰を下ろした。
―あの頃の自分が、今日の自分を見ていたら、がっかりしたかな。 あの頃―司法試験に落ちたらどうしよう司法試験なんて諦めてさっさと就職した方が賢明かもしれない…という不安に襲われる一方で、受かってみせる受かって裁判官になってこの国を正すんだそのために頑張るんだ…という情熱が体中にみなぎっていた、ロー生時代。あの頃の自分が、今日の自分―思っていることを飲み込み無難なことしか言わない自分―を見たら、どう思っただろう。
―裁判官の表現の自由、か。
学生の質問に対しては、あたかも「必要な範囲で一定程度制限されているだけ」と聞こえる言い方をしたけれど、実際は、「必要以上に曖昧かつ広範に制限され過ぎている」と言った方が近いのかもしれない。
学生にした説明―裁判官が個人の主張を自由に表現したら国民の不信感が募る、という理屈―は、間違いじゃない。実際、最高裁判例はその立場をとっている。
けれど一方で、裁判官が積極的に自己の意見を表明することで、国民がその裁判官の立場を知ることができるから、意識的に裁判官に対して監視の目を持つことができるようになり、むしろ、中立で公正な判断に資する、という理屈も成り立つ。十分に説得的だし、理想的だとも思う。
けれど日本の現状は、そういった理想とは程遠い。ある裁判官が、特定組織犯罪防止法案の反対集会に参加して発言をしただけで懲戒処分を受けたという「実績」まであるくらいだ。 だから僕は、自分が裁判官になることを決めた本当の理由すら言うことができない。もしも僕が、安同法は違憲である、などと大々的に主張したとしたら、僕の裁判官生命は絶たれ、同時に違憲判決を書くという僕の夢も絶たれる。
―今はじっと、我慢だ。
最高裁判事に昇り詰めるまでは、牙を隠して「上」にウケるような保守的な判決を書き続けることが、僕の夢を実現する唯一の方法なのだろう。自分の理念を実現するために自分の理念をひた隠すということにも我慢できるくらいに、僕は年を取ってしまった。
そんなことを考えながら、陽が落ちるまでの間ぼんやりと、立ち込める草の青い匂いの中にとどまっていた。
講演会から数日後、僕は駅のホームで、緊張と喜びで激しくなる呼吸を必死で抑えようとしていた。
飲み会の帰りだった。その日、仕事を終え裁判所を出ようとしたら、部長から飲みに誘われた。昔お世話になった方がこっちに来ているから一緒にどうかと誘われたときには正直気乗りしていなかったが、その「昔お世話になった方」の名を聞いた瞬間、僕は迷うことなく行きますと答えていた。
「あの、ずっと、憧れていました」
飲み会の間は周りに気を遣って自重していたが、本当はずっと、彼―部長が「昔お世話になった」、今井茂雄さん―に話しかける機会を窺っていた。僕は今井さんと二人きりになるやいなや、言葉に熱を乗せた。
「ロースクールの憲法の授業で、札幌書簡事件を勉強してからずっと、今井さんみたいな裁判官になりたいと思っていました」
彼は何も言わず、少し目を見開いてこちらをじっと見つめた。
彼の視線にさらされ、一方的に自分の青臭い感情をぶつけてしまったことが恥ずかしくなり俯いた。お茶を濁すべきだろうかと考え始めた時、彼が口を開いた。
「法科大学院では、司法試験対策ばかり行うのかと思っていましたが、試験には出ないような事件も勉強するんですね」
「あ、はい。僕の通っていたロースクールは、憲法の先生が熱かったので」
「そうなんですね…でも、私みたいになったら失脚してしまうということも、よくわかってるんじゃないですか」
「それは…」
何と言ったらいいかわからず、思わず口ごもった。
今井さんは、以前は優秀な裁判官だったが、「札幌書簡事件」をきっかけに左遷された。 「札幌書簡事件」とは、「裁判官の独立」が脅かされたものとして有名な事件だ。
安同問題が世間を激しく賑わせていた1969年、自衛隊の基地建設に必要な土地を確保するため、農林大臣が、同地域の保安林指定を解除し伐採の許可を出した。これに対し地元住民が、その執行停止を求めて行政訴訟を起こした。
その訴訟を担当した今井さんは、「憲法違反の疑いがある自衛隊のために、保安林を伐採するのは問題であり、保安林指定解除処分の執行を停止する」という決定を下したが、それに対して当時、今井さんの上司だった札幌高裁長官が、決定を変更するように促す「書簡」を今井さんに宛てて出し、圧力をかけた。
この「書簡」を、裁判官の独立を侵害する許されないものだとして公表した今井さんは、その後左遷され、出世の道を絶たれた―。
「あの、こんなことを訊いたら失礼かもしれませんが、書簡を公表したときは、どんなお気持ちだったんですか」 「…私は当たり前のことをしただけだと思っていますよ…今でも」
「当たり前の?」
「だってそうでしょう。違憲だと判断したから、その通りの決定を出した。不当な干渉を受けたので、公表した。裁判官として当然のことをしただけです」
目が眩んだ。
その、一見するとどこにでもいる小柄な老人でしかない彼の中に、光を見た気がした。
彼は静かに続けた。
「この国はおかしい。政府に都合の悪いことはもみ消して、上層部に都合の悪い人間は潰して。そんなことを繰り返しているから、気概のある人間はハナから裁判官を目指さなくなった。どうせ潰されるとういうことが明白だから、志のある若い人は、弁護士になる。そうしてどんどん、熱意溢れる裁判官が減っていく。時々、信念に基づいて国側に不利益な判決を書く裁判官がいたと思ったら左遷される―」
彼の言葉に、僕は黙ったまま耳を傾け続けた。自分が言葉を発することで、彼の言葉を記憶する労力を削りたくなかった。
そして、その夜、僕は、修習以来ずっと触れないようにしていたツイッターとフェイスブックを数年ぶりに立ち上げた。プロフィールを編集し、実名を記載して職業を「裁判官」に変更した。
―もう、我慢しない。牙を隠さない。言いたいこと、言うべきことは、言う。
初めてツイートを投稿した時は、指の先が微かに震えた。
―自分の信念を貫く裁判官に、なるんだ…。
―半年後―
今井さんと会った日から僕は、ほとんど毎日、ツイッターとフェイスブックを更新し続けた。それが世間的に話題となってからは、興味を持って取材に来た各メディアに対して、思っていることを思っているだけ話した。テレビにも出演した。といっても、大した話をしているつもりはない。
安同法に対する批判、死刑制度存置への疑問など、各政策について考えていることを赤裸々に話しただけだったが、それは「上」の怒りを買うのには十分だった。
どうせすぐに処分を受けるだろうということは重々承知していたから、懲戒処分を受けた時はさしたる驚きもなかったが、国会への呼出しがかかった時は、わけのわからない興奮を感じた。
ここまでやるかという呆れ、受けて立ってやるという闘争心、もう引き返せないという恐怖…様々な感情があったけれど、不思議なほど、後悔はなかった。
「…僕は侮辱的な発言や卑猥な発言をしたわけではありません。一国民として、この国のあるべき姿について、自分なりに真剣に考えたことを表現しただけです。それの何がいけないのでしょう?」
自己陶酔だと冷笑されても、偽善者だと眉をひそめられても、誰かにとって、何かにとって、より良い道に向かうと信じられるのであれば、そこに自分が表現をやめない意味はあるはずだ。
「…そもそも、こうやって裁判官を国会に呼び出していることそれ自体が、裁判官の自由に対する侵害だということを自覚された方がよいのでは…」
国会では、諸々の嫌味、あてこすりのようなことがないわけではなかったが、自分の言いたいこと、言うべきことを述べられたことに満足しながら帰路についた。官舎に至る最後の曲がり角にさしかかった時、背後から唐突に声をかけられた。
「松田さん?」
振り向いた瞬間、刺すように向けられた憎悪の視線がそこにあった。それを受け止め切れず、僕はたじろいだ。
身なりの良い中年の女性が背筋を伸ばし立っていた。僕よりもかなり背が低いのに、僕は後ずさりしたくなるほどに猛々しい彼女の気迫に圧倒された。
どこかで見たことがある気がした。でも、誰なのか思い出すことができなかった。
「あなたですか。死刑は可及的速やかに廃止すべきだ、と主張している裁判官は」
突然質問をぶつけられたことに戸惑いつつも、頷いた。
「…はい」
「なぜそう思うの」
「僕にとっての最大の理由は、冤罪の可能性がゼロだとは言えないことで」
「冤罪の可能性がない事件だったら?目撃者が何人もいて、防犯カメラの映像も残っていて、自白もあるような事件だったら?」
「それでもやはり死刑は」
「なぜ?」
彼女は僕の言葉を遮って質問を続けた。居心地の悪さを感じながらも、振り払って立ち去ることなどできるわけがなく、僕は答え続けた。
「それは、死刑が非人道的だか」
「非人道的?死刑が廃止されたら、何の罪もない人々を残虐に殺した奴の命を国が保証することになるのに?死刑でなく無期懲役になったら、一生税金でそいつの世話をすることになるのに?それが人道的なの?罪のない尊い命を奪った人間の命で罪を贖わせることが非人道なの?」
「…」
「遺族の、私達の気持ちは、どうなるの」
その、絞り出すような呟きを聞いた刹那、脳裏にあるニュース映像が浮かんできた。
数年前、10代の姉妹が複数の男達に誘拐され、暴行された上に殺害された事件があった。主犯の男は死刑となったものの、他の者は懲役刑にとどまった。判決が出された直後、被害者二人の母親は記者会見で無念さを露にしていた。計画的に二人の尊い命を奪っておきながら犯人はなぜ、生き続けることになるのかと、涙ながらに訴えていた。その後、その母親は、死刑存置運動を積極的に行っていると耳にしたことがあった。
目の前で僕を睨みつける女性は、その、母親だった。
「あなたはもし、何人もの人が殺された事件の裁判をすることになったら、どうするの。犯人を死刑には、しないの…?」
「…現行の基準に当てはめて死刑が相当であるという判断に至ったら、死刑を下すと思います」
「法律や先例、基準には従うというわけね」
「はい…それが社会通念に照らして合理性を有していれば」
「今ある法律、基準に反対する判決を書くわけじゃないなら、敢えてそれへの反対意見を表す必要はどこにあるの?あなたは裁判官でしょう?自ら望んで裁判官になったのでしょう?法に従って粛々と判断を下す人間なんでしょう?法に従うことしかしないんだから、それに従っていればいいじゃない。なんで、なんで、自分の正義だか何だか知らないけれど、それを振りかざして、ひけらかして、私を傷つけるの?」
「そんな、傷つけるだなんて。決して、そんなつもりは」 堪え切れずに言うと、彼女はさらに目を鋭くした。
「私は娘を二人殺された。娘は犯人に殺されたのに、なぜ、娘を殺した犯人がのうのうと生きているのか、考えても考えても、わからなかった。死刑という刑罰がそこにあって、それに値するはずの人間が裁判にかけられているのに、なぜ、犯人は刑務所で生きながらえているのかわからなかった。何のための死刑なのか。ずっと、わからなかった…」
彼女が息を大きく吸ったのがわかった。
「あなたみたいな裁判官がいるからなの?あなたみたいな裁判官が、死刑に歯止めをかけているの?」
「違います。僕の意見はあくまで僕個人のもので、職務とは離れたところにあるものです。ましてや、日本の司法がそういう見解をとっているわけでは」
「だったら何のために、あなたは馬鹿みたいにツイートするの?ツイートだけじゃない、テレビでもネットでも、見ないようにしていても聞かないようにしても、あなたの姿が、声が、入ってくる。あなたが自分の個人的意見とは離れて法律に従って仕事をするなら、個人的意見を表に出す必要なんてないじゃない。自己顕示欲を満たしたいだけなら、匿名で、職業を伏せて発言すればいいじゃない。それなのになぜ、あなたは裁判官として、法の番人として表に出るの?」
彼女の主張に対して反論しようと思えばいくらでもできるはずなのに、僕にはそれができなかった。
「もし、この先、私と同じように、誰かが自分の大切な人を殺されたとしたら。そしてその裁判をあなたが担当したとしたら…」
彼女はそこで息をつき、目を伏せた。
「大事な人は戻ってこないのに、大事な人を殺した犯人は生きている。そんな状況を救う唯一の方法が、犯人を死刑にすること…。それなのに、死刑にならなかったら…その裁判の裁判官が、死刑反対論者だったら…そんなこと…司法は…」
その後の言葉は嗚咽でかき消されて聞き取れなかった。僕は、彼女が泣き止むまでずっと、木偶のように立ちすくんでいた。彼女に触れることも、言葉をかけることすら、できなかった。 自分の行っていることを正当化する理屈はいくらでも存在した。
それでも、それを束にしても、僕の理論は、彼女の持っている生の感情の前で、あまりにも無力だった。彼女の言葉は、あまりにも重かった。
僕が「裁判官」として表現を続ける限り、それを僕個人の意見としてだけでなく、この国の「司法」の意見だと受け取って、彼女のように傷つく人はこれからもたくさん現れるのだろう。
―…自分のしていることに、自分なりの正義を抱いていたはずなのに…。 批判は当然、覚悟していた。むしろ、批判されるくらいじゃないと意味がないとすら思っていた。批判されたら、それを説得し続けることで、理想に近づいていくのだと思っていた。それなのに…。
―目の前の人ひとり、説得することもできない…。
無力さに打ちひしがれながら、僕は立ちすくんでいた。
自分の「正義」によって傷を負った人に差し伸べる手も持たないまま―
<参考情報:裁判官の表現の自由が問題視された実例>
●寺西判事補事件
寺西和史判事補(仙台地方裁判所)は1998年、組織的犯罪対策法に反対する団体の集会にパネリストとして参加する予定だったが、裁判所長に警告を受けてパネリストを辞退した。しかし、集会には参加し、法案に反対する旨の発言をおこなった。この言動が、裁判官が禁止されている「積極的に政治活動をすること」(裁判所法52条1号)にあたるとして、寺西判事補は戒告処分となった。
●平賀書簡事件
1969年、自衛隊の合憲性が争われた長沼ナイキ基地訴訟で、平賀健太所長(当時・札幌地方裁判所長)が、事件を担当する福島重雄裁判官に対し、違憲判断は避けるよう示唆する書簡を送った事件。日弁連は「不当な介入というべきであり、ひいては司法権独立に対する国民の信頼をおびやかすもの」として問題視する会長談話を発表した。平賀所長は厳重注意処分を受けたほか、東京高等裁判所に左遷となった。
●岡口裁判官事件
2018年、ツイッターの投稿を理由に、最高裁判所が岡口基一判事(東京高等裁判所)に戒告処分の決定を出した事件。