肺結核。古くは「労咳(ろうがい)」と呼ばれ、死に至ったこの病は、明治から昭和初期を舞台にした小説・映画・テレビドラマによく登場する。そして薄倖の両親のどちらかだったり、出来のいい優しい兄姉だったり、可愛い弟妹だったり、かなわぬ恋の相手だったりが、この病で亡くなる。
昔の病、そんなイメージのこの病気に、2017年まさか自分がかかるとは夢にも思っていなかった。(「テレビマンユニオン」プロデューサー・梛木泰西)
●自覚症状はなかったが
テレビディレクター・プロデューサーという肩書きがつくようになって30年が過ぎた。生活は不規則だと思う。少しでも面白くなるんだったらとギリギリまで粘ることを是としてきた昔ながらのテレビマン。煙草も吸うし酒も飲む。やはり、この生活態度が問題だったのだろうか?
11月中旬、会社でインフルエンザの予防接種を受けようとしていた。ところが検温で38度を超える熱があることが発覚。ちょっとだるいかなというぐらいで、さしたる自覚症状もなかった。看護師は「すぐに病院に行って下さい」。言われるがまま産業医のもとに向かった。
翌日にはトーク番組のスタジオ収録が控えている。場合によっては誰かに代わってもらわなければならない。様々な最悪の事態を想定して、熱のある頭が回転する。検査の結果、インフルエンザは陰性。翌朝熱が下がれば仕事に復帰していいという診断だった。本当にほっとした。とにかく明日までに熱を下げることだ。
だが、そこからがいつもの風邪と様子が違っていた。昼間、薬が効いている間は熱も下がり仕事もできるのだが、夜8時を過ぎると熱が39度近くまであがってしまう状態が10日以上続いたのだ。風邪ではないのではないか? 2度目の薬がきれた、ある金曜日、大学病院で2度目の精密検査を受けた。肺のレントゲンを撮ったとき左肺に大きな陰があったことから、肺のCT、痰検査を行うことになり肺結核の可能性が浮上した。
「正式な検査結果は来週火曜日になりますが、ほぼ8割方、肺結核だと思われます。このまま入院するか、火曜日まで自宅待機することもできますが、なるべく他の方と接触しないようにしてください」。肺のCT画像を見ながら、女医さんが「見つけた!」と言わんばかりの勢いで私に告げる。
「仕事の引き継ぎがあるので自宅待機にさせてください」。そう答えながら、何でそんな昔の病気に、こんなタイミングで、と腹立たしくなる。
●「お父さん、死ぬの?」
しかし、なってしまったものはなってしまったのだ。受け入れるしかない。自宅に戻り、家族に告げる。「お父さん、多分肺結核になった。入院することになると思う」。しばらくの沈黙の後、中学2年の次男が聞いてきた。「お父さん、死ぬの?・・・」
今回わかったことだが、結核はすでに死に至る病ではないし、過去の病というわけでもない。世界の人口の3分の1は結核菌に感染しているし、日本は先進国の中でも感染者が多く、毎年2万人弱が発症している「中蔓延国」である。だが、今では抗結核薬も開発されていて、きちんと治療すれば治る病気である。ただし、最短でも1ヶ月半の入院が必要となる。
そして4日後。運命の火曜日を迎えた。「痰の中から結核菌が検出されました。これから保健所に連絡しますので強制的に入院してもらうことになります」。病院からの電話で、予想通りの結果を告げられた。肺結核発症者は、感染症法に基づき保健所に届け出の義務がある。保健所は患者に接触者の聞き取りを行い、感染の疑いがある検査が必要な人を決めていくのだ。保健所の人とは、翌日病院で待ち合わせることになった。
●「現代の隔離病棟にはWi-Fiがとんでいた」
入院先は、検査を受けた大学病院だ。後で知ったのだが、東京都内には結核病床を有する病院が13あり、たまたま私が検査を受けた病院もその1つだった。
簡単な衣類と病室で使えるかどうか分からない古いPCを持って、妻と隔離病棟の前に立った。自動扉の先が病棟のはずだ。だが1つ扉が空くと次の扉が待っていた。しかも後ろの扉が閉まらないと前の扉は開かなくなっている。自動扉は計4つ。4つ目の扉が開いてようやく廊下に出た。空気をシャットアウトするかのように隔離されている感じがして、隔離病棟に居るんだという気にさせられる。病室内は、外に空気が漏れないように気圧を低くしてある陰圧室になっているということだが、特に何も感じない。ただ、そんなにも私は外に出しちゃいけないものなのか?とやっかみたくなる。
そしてなんといっても驚いたのは、現代の隔離病棟にはWi-Fiがとんでいた。しかも個室。PCも携帯電話も使いたいときに使っていいと言う。これなら遠隔で仕事ができると、かなり嬉しくなる。しかも入り口にある特殊なマスクを付けていれば、自由に面会して構わないと言う。1人寂しく隔離され、咳き込んで亡くなっていったのは、今は昔の話。現代のサナトリウムは意外と快適なのかもしれない。
しかしその思いは、わずか数日で崩れた。はめ殺しの部屋の窓は磨りガラスで外は見えない。唯一外が見える(といっても見えているのは病院の入り口なのだが)休憩所の窓もこれ見よがしに施錠されている。鍵の上からケースをかぶせている丁寧さだ。試しにケースに指を突っ込んで見たが開かなかった。
外に出られない、外の風にあたれないとなると無性に外の空気が吸いたくなる。4つの自動扉から今すぐとびだしたくなる。意味なく窓の外を眺めては、15メートルしかない病棟の廊下を行ったり来たりするしかない。手が届くところにある自由さが自由にならないと、こんなにも子どもっぽくイライラするものだと、この歳になってあらためて気づいた。
「とにかく外が恋しい!」
●薬に感謝、「治してください」とお願いして飲む
結核の治療は、4種類の抗結核薬を飲み続けるしか方法はない。
苦しい放射線治療があるとか、痛い注射をうつ必要があるとかではないので、朝この薬を飲むと主な治療は終わる。日によって採血やレントゲンはあるが、特にやることはないのだ。とはいえこの薬が開発される前は死に至っていた訳だから感謝するしかない。毎朝「治してください」とお願いして飲んでいる。
治療の進み具合を見極めるのが、痰検査の結果だ。2週間の間隔を置いて行われる痰検査で排菌されている菌が、3回連続で陰性にならないと退院することはできない。最初の検査は薬を飲み始めて2週間後。つまり最低でも1ヶ月半は入院を余儀なくされる。年末もお正月も病院ということだ。
あと心配なのが他の人に移している可能性。保健所の聞き取りによると、私の入院時の排菌量が+1と小さかったことや(排菌量は+1、+2、+3の3段階)、病状、職場の環境などから、閉鎖空間に長時間一緒にいた人が検査対象の目安となった。周りが陥りがちなのがインフルエンザのようにすぐに感染するのではないか?という心配だ。
結核菌はすぐに感染するものではなく、感染したとしても発症するのはおよそ1割。9割の人が免疫力で自然治癒してしまう。発症しない限り他の人に移す心配はない。感染してから発症するには半年から2年の時間がかかるので、私の発症から2か月以上経たないと、感染しているかどうかは分からない。
入院して間もなく1か月が過ぎようとしている。入院して初めての痰検査で念願の陰性がでた。「そんなに焦らないで。」と主治医には言われるが、思わすガッツポーズ。これしか目標がないのだ。次、陽性が出ると振り出しに戻るのだが、とにかく陰性が出ると信じて「治してください。」と薬を飲み続けるしかない。
【プロフィール】
梛木泰西。早稲田大学卒業後、1986年テレビマンユニオンに参加。「世界不思議発見!」「地球ZIGZAG」「世界ウルルン滞在記」など世数々のTV番組を演出・プロデュース。現在「情熱大陸」「NHKスペシャル」「ザ・ノンフィクション」などのドキュメンタリー番組を手がけている。
【訂正】 当初「入院時の排菌量が+1であったことから、8時間以上の密閉空間に一緒にいた人が検査対象の目安となった」としていましたが、「排菌量が+1」の人のすべてが「8時間以上の密閉空間に一緒にいた人が検査対象の目安」となるわけではありません。そこで、「入院時の排菌量が+1と小さかったことや(排菌量は+1、+2、+3の3段階)、病状、職場の環境などから、閉鎖空間に長時間一緒にいた人が検査対象の目安となった。」と修正しました。(2018年1月5日訂正)