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「丸裸で四つん這いになった」弁護士が語る38年前の制裁裁判、「監置7日」のリアル
一瀬敬一郎弁護士(2023年6月、弁護士ドットコムニュース撮影)

「丸裸で四つん這いになった」弁護士が語る38年前の制裁裁判、「監置7日」のリアル

大阪地裁で2023年5月、法廷録音をしようとした中道一政弁護士に対する「制裁裁判」がおこなわれ、過料3万円を言い渡された。専門誌『法曹時報』の統計によると、弁護人が制裁裁判にかけられるのは38年ぶりだった。

その38年前に制裁裁判にかけられたのが一瀬敬一郎弁護士(第二東京弁護士会)だ。刑事裁判で主任弁護人をつとめていた際、公判で裁判長に対して暴言を吐いたとして退廷を命じられ、その後すぐおこなわれた制裁裁判で「監置7日」を言い渡された。

一瀬弁護士はその日のうちに手錠をかけられたまま連行され、東京拘置所で7日間留置された。当時の体験について、「拘置所では丸裸にされて四つん這いになった」と語る。当時の制裁裁判や監置された実体験について話を聞いた。(編集部・若柳拓志)

●「暴言」と認定され制裁裁判に

制裁裁判にかけられたのは1985年9月27日、1984年の自民党本部放火襲撃事件をめぐり起訴された男性の初公判でのことだった。

主任弁護人をつとめていた一瀬弁護士は、男性の両側にいる看守との距離が近すぎることを気にしていた。被告人と弁護人の間のやりとりがしづらくなるほど接近していたためだ。

一瀬弁護士は冒頭の人定質問のあと、裁判長に対し、「防御権を侵害している」としてもう少し離すよう求めるも、裁判所側に応じてもらえなかった。

「裁判長自身は当初応じないという感じではありませんでした。ところが、看守についている東京拘置所から来ていた職員が『ダメだ』と言ったんです。すると裁判長は『ダメだということですから』と職員に唯々諾々と従う失礼な訴訟指揮をしたので、我々としては『何を言っているんだ』と。人一人分くらい離れたとして支障があるわけではないのにと思いましたね」

この時にあった発言で被告人は退廷させられたのち、裁判長は起訴状を朗読させようとしたため、弁護団は強く反対の意を示した。その際に発した一瀬弁護士の言葉によって制裁裁判を受けることになったという。

「裁判官の面前で『裁判所と検察官がぐるになってやってんじゃないか』などと発言しました。これら発言が暴言だと判断されました」

のちの制裁裁判の決定文では、裁判所側の再三の制止に従わず一瀬弁護士が発言したと指摘。「秩序を維持するため裁判所が命じたことを行わず、執った指揮に従わず、暴言とけん騒により裁判所の職務の執行を妨害し、かつ裁判の威信を著しく妨害した」とし、「弁護活動の範囲を著しく逸脱した違法なものであることは明白」と認定している。

画像タイトル 制裁裁判の決定書(一瀬弁護士提供)

●制裁裁判を受けた経験「初めてではなかった」

一瀬弁護士は一連の発言後、裁判所から退廷させられるとともに拘束された。

「拘束されて裁判所の地下にある拘束室に連れて行かれました。抗議の声くらいあげたかもしれませんが、暴れて抵抗するようなことはさすがにしませんでした」

一瀬弁護士が制裁裁判を受けたのは、この時が2回目だという。1回目は、東京都公安条例違反をめぐる事件で実況見分調書の謄写を認めない裁判長を批判したなどとして、3万円の過料を受けた。この時も退廷・拘束されたという。

もっとも、退廷・拘束されたとしても必ずしも制裁裁判になるとは限らない。一瀬弁護士は、千葉地裁の刑事裁判で退廷・拘束されたものの、制裁裁判には至らなかったという。

同日中に開始した制裁裁判で、一瀬弁護士は、当時所属していた事務所所長の葉山岳夫弁護士に補佐人についてもらった。制裁裁判にかけられた者は、法廷等の秩序維持に関する規則6条に基づき、弁護士の補佐人を1人つけることができる。

先ほどまで弁護人として臨んでいた刑事裁判と同じ法廷で、裁判官のメンバーも同一という状況下で、今度は裁かれる立場となった。裁判では葉山弁護士が抗議し、一瀬弁護士自身も弁明したものの、「監置7日」の言い渡しを受けた。

制裁裁判での決定については最高裁まで争ったものの、同年11月12日に棄却され確定した。

●手錠をかけられたまま東京拘置所へ

制裁裁判終了後、再び裁判所の拘束室へ。まもなく車で東京拘置所に連れて行かれた。手錠をかけられたまま普通の乗用車に乗せられ、一瀬弁護士の横には制裁裁判を担当した裁判所書記官が座った。

「書記官の気持ちとして気の毒に思ったのか、あるいはどこかで見られてはいけないと思ったのか。手錠の上にハンカチをかけてくれました。この時のことは印象的でよく覚えています」

普段弁護士として接見のために東京拘置所に来る時とは別の正面入口から車で入った。入所手続きとして、着ていた服を着替えさせられ灰色の監服を着用。写真を撮られ、指紋も採取された。

この時の体験について、一瀬弁護士は「『そういうものか』と思って、抵抗することもなく手続きには従っていた」と振り返る。身体検査では「全裸で四つん這いさせられ、肛門の検査も受けた」という。

●監置で1週間の予定が吹き飛び「精神的にダメージ」

監置された7日間は、本のリストから歴史に関する本などを選んで読書して過ごすことが多かった。所内で運動する機会もあったという。食事は1日3食あるが、入浴は毎日ではなかった。一瀬弁護士は「7日間で2回くらいだったと記憶している」と話す。監置でも、逮捕・勾留されている人と違う対応はなかったようだ。

監置されて一番困ったのは、拘置所での生活ではなく、他の業務が1週間まるまる滞ってしまったことだという。

「刑事事件だけでなく民事事件もやってましたし、裁判の予定もありました。これら全部吹っ飛んでしまい、迷惑をかけてしまったことが精神的にきました」

監置7日間を終えた後も、一瀬弁護士は自民党本部放火襲撃事件の弁護人を続けた。1991年6月に地裁で、1994年12月に高裁でともに無罪判決となり、上告なくそのまま確定した。

●法廷録音「弁護のために必要」

中道弁護士が制裁裁判を受けるきっかけとなった「法廷録音」について、一瀬弁護士は弁護活動において「できないと不便、必要性が高い」と話す。その場で起こった出来事を正確に記録し、依頼者の権利を守るための弁護活動では、後からでも確認できるようにしたいからだ。

「正面から録音しようとして認めさせることはなかなか難しいでしょうから、本当はもっと機運を高めていくべきだと思います」

また、法廷だけでなく「接見での録音も認めるべき」ともいう。

「依頼者である被告人から大事な話を聞くのだから、聞きながら書くメモではなく正確な記録を残したい。録音は不可欠なのではないでしょうか」

法廷でのメモをめぐる「レペタ事件」の最高裁判決(1989年3月)以前、法廷でのメモは裁判所側の許可が必要だった。一瀬弁護士は「不可思議なことがつい最近までおこなわれていた例だ」と話す。

「裁判所は実際に録音して聞いているわけです。しかし、その録音を弁護人には聞かせない。『弁護のための武器が対等ではない』状況はおかしいと思います」

一瀬弁護士は「せめて裁判所が録音したものを弁護人が自由に聞くことができるようになれば」と提案する。その理由はただ一つ。

「弁護のためです」

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