毎年開かれている「憲法集会」などのイベントの共催・後援を、「政治的だ」という理由で断る自治体が現れてきたと話題になっている。
千葉県白井市は今年度から、「政治的色彩」がある集会を、共催・後援の対象から外すことにした。ここでの「政治的色彩」とは、(1)政治的に賛否など議論が分かれている特定の政策、(2)特定の政治上の主義、(3)特定の候補者や政党などを支持し、または反対する主張をおこなうおそれがあることだという。
同市によると、「共催」は、行事の企画・運営に参加し、共同主催者としての責任を分担することをさす。「後援」は、行事の趣旨に賛同し、開催を援助することだ。
同市は「共催・後援がなくても集会は開ける」と強調するが、こうした集会について、行政はどんな立ち位置でいるべきなのだろうか。憲法学者で、一橋大学大学院法学研究科教授の阪口正二郎先生に聞いた。
●「広く共催・後援する」というスタンスもある
「ビラ配りや集会を開催することは、一般の人たちが自分たちの意見を広く伝えるために、手軽で安価な手段として重要です。
市が政治的色彩を有する集会への共催や後援を見送ることにした理由は、おそらくは『行政の中立性』への配慮からだと考えられます。
ただ、行政の中立性を維持するなら、可能な限り多様な政治的立場の集会を広く共催・後援するというスタンスもあります。
もし、多様な立場の集会を市が共催・後援していれば、市民は誰もその集会の政治的立場と市の政治的立場を同じだとは考えないはずです」
このように阪口教授は指摘する。だが、そもそも政治色のある集会について、市が共催や後援をする必要があるのだろうか?
「共催や後援する法的義務があるとは言えないが、可能な限り多くの立場の意見が、広く社会に伝えられるようにすることこそ、公共団体である市の責務でしょう。
いまの社会は、多様な意見や価値観を有する人々によって構成されています。健全な民主主義社会は、そのような多様な意見が自由に広く流通することではじめて維持されます。
政治的色彩を有するというだけで集会への共催や後援を拒むことは、民主主義社会の基盤を掘り崩すことになりかねません」
●行政は「公共性を担う勇気」を問われている
阪口教授は「政治的な色彩を有する集会への共催や後援を拒む理由が、もし『事なかれ主義』なのだとしたら、そのような市は公共性を担う勇気を欠いていると考えざるをえないのではないでしょうか」と苦言を呈していた。
【取材協力】
阪口 正二郎(さかぐち・しょうじろう)一橋大学大学院法学研究科・教授。
『立憲主義と民主主義』(日本評論社)『ケースブック憲法』(弘文堂)『改憲は必要か』(岩波新書)『神の法vs.人の法』(日本評論社)『岩波講座憲法5 グローバル化と憲法』(岩波書店)など著書多数。