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福島原発、生業訴訟「『俺らは無力な存在だった』で終わらせない」原告団長の思い…週明け、最高裁弁論へ
福島地裁での判決日の様子(2017年10月10日、福島市内、筆者撮影)

福島原発、生業訴訟「『俺らは無力な存在だった』で終わらせない」原告団長の思い…週明け、最高裁弁論へ

東京電力福島第一原発事故当時、福島県内や隣県に住んでいた住民らが、国や東電に対し、損害賠償や原状回復を求める集団訴訟。避難先で提訴されるなど全国で約30件あり、そのうち4件(生業(福島)・千葉・群馬・愛媛)が現在最高裁で争われている。

東電の賠償責任をめぐっては2022年3月、最高裁第二小法廷が4件いずれについても東電の上告を退けた。原告約3620人に対して、国の指針を上回る合計約14億3600万円の支払いが確定。4件の訴訟で残されている争点は国の責任のみとなっている。

2022年4月、千葉(15日)を皮切りに、群馬(22日)、生業(25日)が最高裁で上告審弁論を迎え、今年6月にも国の責任について判断される見込みだ。

事故から2年後の2013年3月11日、福島地裁に提訴した「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟(生業訴訟)」の原告団長である中島孝さん(66)は、「原発事故を二度と起こしたくない。こんな苦労を、子や孫だけでなく、日本中、世界中の人たちに味わってほしくない。原告はみな、そういう思いで闘ってきた」と話す。(ライター・吉田千亜)

●今でも考える「避難しなかった子や孫に何か異変が起きたら…」

「ナカジマストア」店内に立つ中島孝さん(2017年5月3日、筆者撮影)

中島さんは、集会や裁判では「生業訴訟」のたすき掛け姿だが、福島県相馬市高台の住宅街の入り口にある「ナカジマストア」の店長だ。赤いエプロン姿で、店に出す魚をさばく。2011年3月11日の震災当日も、中島さんは店にいた。

原発事故からしばらくの間、ナカジマストアは大手スーパーやコンビニが閉まる中で、断水や停電で困っていた地域住民の食料調達を担う大切な拠点になっていた。

断水にならかった身内の家から農業用ポリタンクを消毒し、満タンになるまで40分かけて地域の人に運んだ。500リットルタンクでは間に合わず、市場でいけすを消毒して、2トントラックを借りると、市役所に「水の給水を手伝う」と申し出て地域の人への給水を手伝った。

「この頃は、原発事故とか放射能汚染よりも、地域の人の飢えた状態をどう解決したらいいか、という方が優先だったんです」(中島さん)

中島さんは市場に冷凍の魚を買いに行き、農家から畑の野菜を買い、惣菜を作って販売した。備蓄してあった半年分の米を使い、「3カ月はもつだろう」と考えていた。

奔走している間、近隣住宅街の夜の灯りは3割ほどに減っていた。住民は避難していったようだった。ナカジマストアの従業員も3人ほど避難していった。

「あのとき避難しなかった息子たちが将来、癌になったら、孫に何かあったら、ということは今でも考える。覚悟して背負って生きるしかないな、と。苦難の中で生き続けるのも抵抗の仕方として意味がある、と自分の中でなんとか整理したんです」(中島さん)

●いくら待っても出ない賠償…「俺らを殺す気か」

その後、原発事故による放射能汚染水が海に流れ出たため、漁師には東電から賠償の話が出るようになった。しかし、仲買や業者にも賠償されるかどうかは、わからなかった。

福島県内で漁業がおこなわれなければ、中島さんら仲買業者も困窮してしまう。そこで、福島県選出の国会議員に掛け合い、仲間12人でレンタカーを借りて、東京電力、経済産業省、文部科学省に「仲買や業者にも賠償してほしい」と交渉に出かけた。

賠償の書式が届いたのは、原発事故から5カ月も経った2011年8月頃だった。内容が煩雑でわかりにくく、相馬双葉漁協小買受人組合の仲間と相談しながらなんとか書き終え、提出した。

しかし、いくら待っても賠償はなかった。原発事故から1年が経ち、仲間内からは「俺らを殺す気か」という声すら出るようになった。

2012年5月、中島さんは二本松市で弁護士が賠償相談会を開いていると聞きつけ出向いた。そこで出会った弁護士が、今の「生業訴訟」の弁護団事務局長を務める馬奈木厳太郎弁護士だった。

原発事故から1年半後にようやく賠償が出始めたが、再び賠償が止まる。しかし、原発事故による商売への影響は続いていた。

東電は、そういった人々の生活の苦しみを知ってか知らずか、「港が使えなくなったのは地震と津波のせいで、事故との因果関係はない」として賠償を拒んだこともあった。

馬奈木弁護士から、「原発事故の賠償の法律の枠組みがおかしいんです。裁判をして責任を追求して勝たないと。中島さん、原告団長をやりませんか」と打診された。

こうして、中島さんは「生業訴訟」の原告団長となった。

●目指すのは「原状回復、全体救済、脱原発」

「生業訴訟」の原告数は約5200人で、全国で約30件ある原発訴訟の中でも最大規模だ。福島県内外で400回以上に及ぶ説明会をおこない、原告を募った。

「貧しい地域に原発とお金がやってくる。住民の命や健康よりも企業の利益を優先させる。そういった社会構造から変えないと、根本的な解決にならない。裁判に関わるようになって、そういった構造を改めて知りました」(中島さん)

生業訴訟は、「原状回復、全体救済、脱原発」を掲げている。

「原状回復を掲げているけれど、これは(震災前日の)2011年3月10日に戻すという意味ではないんです。原発があったら、また事故は起こりうるのだから、原発をなくすというのが私たちの訴えです」(中島さん)

判決が出ることで新たな立法措置や救済策の制度化をおこない、裁判を起こしていない原告以外の住民も救済することを求めている。

●「俺らは無力な存在だった」では終わらない

仙台高裁判決の日。中央に中島さん(2020年9月30日、仙台市内、筆者撮影)

最高裁第二小法廷は2022年3月、この「生業訴訟」と千葉・群馬・愛媛の4件で、東電の上告を退けた。原告約3620人に対して、国の指針を上回る合計約14億3600万円の支払いが認められ、東電の賠償責任と賠償額は確定した。

一方、国の責任については、原子力発電所の規制権限を適切に適時に行使したかが問われている。

「保護されるべき人々の生命・身体があり、それをふまえて権限を行使しなくてはならないという法律上の要請があったのにそれを怠ったのではないか、ということが問われます。

今回の最高裁の判断は、福島原発事故の一事例だけではなく、今後数十年にわたって引用される、歴史的重みのある判断になるのではないかと考えています。

最高裁が判断したことに、国・福島県も謙虚に向き合う姿勢が求められるのではないでしょうか」(馬奈木弁護士)

また、生業訴訟で弁護団幹事長を務める南雲芳夫弁護士は、「責任の明確化をして賠償させる、二度と起こさないという被害の根絶、という二つの目的があり、本当の解決を求める際に、国の責任を問うことは柱になる」と話す。

原告団長の重責を担い「裁判は生易しいものではない」と語る中島さんだが、「生まれてきた以上、安閑として課題から逃れることはできないようだねぇ」と前を向く。

「被害者になった以上、経験したことは形にして、次に繋げないと繰り返されてしまいます。命や暮らしを軽んじたまま、被害に誠実に向き合う姿勢がない行政を、180度転換させないと。『俺らは無力な存在だった』で終わらないように、公正な判決を求めていきたいと思っています」(中島さん)

そんな中島さんはスーパーの仕事の傍ら、農作業をしている時に、平穏であることの幸せに気づくことがあるという。ボロを着て、日差しに焼かれ、雑草を抜く。

「俺もね、『早く忘れてしまいたい、いや、でもこれは現実だ』を何度も繰り返しながら畑にいるんだ。幸せを信じられなくなった。幸せを味わいきれなくなった、ということなんだよ」

4月25日、生業訴訟の上告審弁論期日には、全国の訴訟の原告らも集まる予定だ。

【筆者プロフィール】吉田 千亜(よしだ ちあ):フリーライター。福島第一原発事故後、被害者・避難者の取材を続ける。著書に『ルポ母子避難』(岩波新書)、『その後の福島──原発事故後を生きる人々』(人文書院)、『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)、共著『原発避難白書』(人文書院)。

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