「録音や撮影はできません。疑わしいことがあれば、法廷の外に出ていただきます」。オウム真理教元幹部・平田信被告人の公判の冒頭、東京地裁の斎藤啓昭裁判長は傍聴席に向けて、このように注意をうながした。
日本では、法廷内での撮影や録音は、裁判長の許可を得なければできない。報道によると今回、東京地裁の斎藤裁判長が改めて注意した背景には、昨年10月に東京高裁で開かれた裁判の模様が無断で動画撮影され、インターネットに投稿されたことがあるという。
だが、そもそも「裁判の公開」は憲法で保障されており、原則として、誰でも法廷の傍聴が可能だ。法廷の模様を動画で撮影してネット公開することは、より多くの人に裁判の内容を知らせるという点で、裁判の公開の趣旨にかなっているとも思える。
アメリカでは、裁判の様子がテレビ中継されることも珍しくない。なぜ日本では、裁判の撮影や録音が厳しく制限されているのだろうか。一般の人々の司法参加をうながすのであれば、もっと裁判を開かれたものにしていくべきではないか。裁判の公開のあり方について、元裁判官の春田久美子弁護士に聞いた。
●法廷内のビデオ撮影には「細かい決まり」がたくさん
「『裁判の公開』と聞いて、すぐに頭に浮かぶのは『傍聴の自由』でしょうか。法廷という空間のドアは誰に向かっても等しく開かれており、出入り自由なのが原則です。
ただ、録画は制限されていて、法廷内のビデオカメラ取材ができるようになったのも平成の時代になってから。撮影は、1991年1月1日にできた『法廷内カメラ取材の標準的な運用基準』に基づいて行われています。
細かい決まりがたくさんあって、たとえば、カメラを回すタイミングは『裁判官の入廷開始時から裁判官全員の着席後開廷宣告前の間の2分以内』となっています。
『撮影を始めて下さい』という裁判所職員のかけ声でカメラ(代表取材なので一社)が回り始め、『撮影を止めて下さい』で終了。職員はストップウォッチできっちり時間を計っていて、『あと10秒です』などと、合図もします」
春田弁護士はかつて、裁判官として撮影される側だった。
「法壇の上にいると、じっと撮影されている『2分』は結構長く感じられ、私は、裁判官時代、『視線をどうしたらいいのかな』『表情はどうしたらいいのかな(やはり笑顔はダメなのだろうか……)』などと考えながら、撮られていました。
ただ、刑事裁判は開廷宣言で始まりますので、この法廷内カメラ取材は、厳密に言えば『刑事裁判そのものの取材・映像ではない』ことになります」
●撮影や録音はなぜ「ダメ」なのか?
「撮影や録音ができない理由としては、『証人や被告人が精神的プレッシャーを感じ、自由に喋ることができなくなってしまうから』とか『プライバシ-が損なわれるから』などと、説明されることが多いですね。
ですが、たとえば無罪を訴えている被告人は、もしかすると自分の言い分も含めて、刑事裁判が実際にどのように進められているかをたくさんの人に知ってもらいたい、と思うかもしれません。
そもそも法廷はプライベートな空間といえるのか、『裁判の公開のあり方』は、そこまでさかのぼって考えるべき問題だと思います」
今後、「裁判の公開」は、どう変わっていくのだろうか。
「裁判の公開はもともと、『密室裁判を許さない』という意味、適正手続き(due process of law)を保障するという観点から、すべてオープンにして主権者である国民に監視させるための仕組みです。
インターネット時代の今、法廷にいない人に対して、裁判がいったいどのように行われているのかをリアルタイムで知らせる方法やツール自体は、ますます増えています。
裁判の適正さをアピールするために、中国の薄熙来(はく・きらい)元中央政治局委員の裁判がマイクロブログで海外メディアに公開されたのは、裁判の公正さと透明性をアピールするためだったという話題も、頭をよぎります。
裁判の公開が、法廷のドアを開けているだけで『足りる』のか、国民全体で議論する時代が到来したということではないでしょうか。今回の出来事は、裁判の公開のあり方について、議論が盛り上がる一つのきっかけになったと考えます」