2018年12月16日 09時47分

元ヤクザ組長、薬物依存症者を支援  生まれ変わって26年 「つながりの場」作りへ

元ヤクザ組長、薬物依存症者を支援  生まれ変わって26年 「つながりの場」作りへ
岩井喜代仁さん(12月3日、東京都内)

薬物依存症者やその家族の回復をサポートするため、そして中高生の薬物乱用を防ぐために全国を飛びまわる男性がいる。「茨城ダルク今日一日ハウス」の代表・岩井喜代仁さん(71)だ。

ダルクでの活動を始めて26年となる岩井さん自身も、薬物依存に苦しんだ経験をもつ。元ヤクザの組長で、覚せい剤を売って生計を立てていた時、客に勧められ、「1度だけなら」と使ったことをきっかけに、薬物依存症になってしまったのだ。

それが今、なぜ支援する側にまわってるのか。薬物依存症となった岩井さんを救ったのは、意外な人物だった。岩井さんに話を聞いた。(編集部・吉田緑)

●自分の力ではクスリをやめられない

京都生まれの岩井さんは、家庭が貧しく、中学卒業後から働きに出たそうだ。しかし度重なる非行により少年院に入るなどして、18歳で暴力団に勧誘された。覚せい剤を売っていたが、「覚せい剤を使ってはならない」というのが組の掟だった。

しかし、ある「上客」に勧められたことがきっかけで、「一度きりなら」と、覚せい剤を使用し、薬物依存症になってしまった。組を破門になった頃には、妻はいなくなっていた。3人の子どもは岩井さんが引き取ったが、それでも覚せい剤をやめられず、1985年に覚せい剤10グラムの所持・使用で逮捕された。

判決は懲役3年、5年の執行猶予がついた。ところが、判決が出たあとすぐ、また覚せい剤を使ってしまったという。「自分の力ではクスリをやめられない」。そう思った岩井さんは、たまたま目にした週刊誌で、ある男性が薬物依存症者の回復支援に取り組んでいることを知った。

奇しくもその男性は、岩井さんに覚せい剤を勧めたかつての客ーー近藤恒夫さん(日本ダルク代表)だった。

●ドクターの育成を

岩井さんは23年ぶりに近藤さんと再会を果たした。「仕事を探している」と相談すると、近藤さんは「おまえに適任の仕事がある」と茨城ダルクで働くことをすすめたという。岩井さんは回復の道を歩み、薬物依存症者のサポートをする側に生まれ変わった。

岩井さんがダルクで働きはじめてから26年。かつては覚せい剤やシンナーなどがやめられないという相談が多かったが、この数年は、薬物依存症者が幻聴などを訴えて病院を受診し、処方された睡眠薬や精神安定剤などに依存してしまうという相談が増えているという。

「薬物依存症の対応ができるドクターを育てるべき。薬物依存症者に薬を出しつづけるドクターもいるが、処方薬に依存してしまう原因になる」と岩井さんは訴える。

●海外から学ぶことはたくさんある

最近の動きとして、新しい制度ができたが、岩井さんは危機感を抱いているそうだ。その制度が、2016年に再犯を防ぐことを目的として導入された「刑の一部執行猶予制度」だ。はじめて実刑になる者や違法薬物の自己使用・所持の再犯者などが対象となり、刑の執行を一部猶予し、保護観察をつけるなどして、社会の中での治療につなぐ、というものだ。

岩井さんは薬物依存症が「病気」であるという理解がすこしずつ広まっていることは評価しつつ、「刑務所からは早く出ることはできるが、監視が長くつづく。実は重い刑ではないか」と、指摘する。

アメリカには薬物犯罪を専門に扱う裁判所・ドラッグコートがある。ドラッグコートへの参加に同意すると、刑事施設には収容されず、裁判官の監督のもと、社会の中でさまざまなプログラムを受けながら、回復を目指すことになる。

岩井さんは「プログラムを受けるかどうか、自分で選べるのはすごいこと。ドラッグコートでは、薬物依存症者を積極的に自助グループにつないでいる。これは見習うべき」とした。

●「1人でもつながってくれれば」

岩井さんは「身元引受人や情状証人を引き受けることもある。毎月3、4件ほど裁判に出向く」と話す。ところが、裁判で「ダルクに行く」と約束したにもかかわらず、約束を守らない人が少なくないという。

「それでもいい。ダルクがあるということを知ってもらうことが大切。1人でもダルクにつながってくれればいい」(岩井さん)

岩井さんは今日も、1人でも多くの薬物依存症者を救うため、そして子どもたちを薬物から遠ざけるために奮闘する。

(弁護士ドットコムニュース)

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