その記録は、神戸市内に確かに存在していた。12年前までは。
神戸連続児童殺傷事件を起こした少年Aに関する審判記録が廃棄され、遺族の土師守さん(67)は「記録を見られる日が来るかもしれないという淡い期待をも破られた」と明かした。
1997年当時、被害者が少年にまつわる情報を得るには、メディアしかなかった。事件の当事者である被害者や遺族に、知る権利を–。土師さんらが署名活動などを通して訴え、記録の閲覧や審判の傍聴を可能にする法改正につながった経緯がある。
遺族にとっての「記録」の意味と、その「復元」について、2005年に土師さんと共に「淳 それから」を著し、犯罪被害者の取材を続けている立場から考察した。(ジャーナリスト・本田信一郎)
●当事者なのに、何も知ることができなかった
土師さんにとって「息子の生きた証」である公的な記録が失われたことが報じられたのは2022年秋だった。追い打ちをかけるように、2011年2月28日にすでに廃棄されていたことも判明した。
土師氏が抱き続けていた「淡い期待」は、10年以上も前に潰えていたことになる。
事件当時の少年法では、加害者の住所、氏名はおろか、供述を含む捜査記録や成育歴などの社会記録、処分内容など、全ての「事実」は遺族に伝えられなかった。警察の事情聴取時に説明されるのは「状況」でしかない。
被害者の親が「子どもは、誰に、なぜ、どのようにして命を奪われたのか」を知ることができなかったのだ。
審判後に神戸家裁から「異例の措置」としてマスコミ各社に配布された「処分決定要旨」が届くこともなかった。事実を知るべく損害賠償請求を提訴したが、加害者の両親が争わなかったために、家裁に資料としての記録の請求はできず、公的な情報は得られなかった。
●異例の出版ラッシュの中で「知る権利」を追い求めた
当時14歳の凶行についての報道は過熱した。情報を得られず、まるで疎外されたような状況の遺族は、自宅への取材攻勢にも悩まされた。
1998年、月刊誌が5通の「供述調書」を掲載し、翌年には少年の両親が手記を刊行した。また、審判を担当した判事は、度々、審判当時の様子や医療少年院での処遇状況をマスコミに話し、著書も出版した。両親は2004年の加害男性の仮退院時、「記録」と題した手記のような文章をマスコミに配布した。いずれも公表前に遺族への連絡はなかった。
2015年には加害男性本人が著書を刊行。遺族に対して事実を語ることを避けて、出版という手段を選択したことは、新たな被害そのものだった。同年、前出の月刊誌が神戸家裁の処分の全文を掲載した。
中には入手経路に違法性が疑われるものもあった。情報を合法的に得ようとした土師さんにとって、興味本位の第三者と同列に、こうした出版物を読むことは到底できることではないだろう。
土師さんはこの間、「全国犯罪被害者の会(現、新あすの会)」幹事として、また「公益財団法人ひょうご被害者支援センター」役員として、被害者の権利確立に向けた活動を続けた。2004年の犯罪被害者等基本法制定、2000年と2008年の少年法改正につなげた。
現在の少年法では、被害者が要望すれば記録を閲覧できるし、判事から審判の説明を受け、審判廷での傍聴も許される。土師さんは制度改正がさらに進めば、保存されている自身の事件の記録も遡及して閲覧が可能になるかもしれないという「淡い期待」を抱き続けていた。
記録と情報について、遺族が司法と関係者からないがしろにされ続けた果ての記録廃棄だった。
犯罪被害者は、延々と続く2次、3次被害に苛まれている。
事件は記憶になることなく、形を変えながら進行する。自分か加害者の命が尽きるまでは、恐怖や嫌悪、虚無感の深淵からは逃れようはなく、解放もない。それでも生きようとすれば、犯行に至る経過を含む詳細な事実を知ることで、惑いや震えを抑え付け、五感の記憶を探りながら面影を追い求めるしかない。
だからこそ犯罪被害者にとっての記録・情報は、家族との結びつきを取り戻すためには欠かせない。ましてや、土師さんのように知る権利のなかった時代の遺族にとって、公的な記録だけが、見えないけれど確かに繋がっている「証」だったのではないだろうか。
廃棄された52件の全ての被害者、遺族らに共通する記録の重さの意味である。
●弁護士「被害者の尊厳のためにも記録復元を」
現在、最高裁の有識者委員会はこの52件についての検証を続けており、規程の見直しや改善案を5月中に公表する予定だ。今年2月に最高裁に赴いて意見を述べた土師さんは「司法の常識と一般の常識と乖離があり過ぎる」と指摘していた。
神戸事件の廃棄について、長年被害者支援に携わる山田廣弁護士は「2008年の少年法改正(被害者の知る権利を盛り込んだ制度改正)の主旨が一顧だにされていない、冒瀆に等しい行為」と批判する。
そのうえで改善策として、曖昧で徹底されていなかった永久保存の基準をポイントに挙げる。少年が26歳になるまでとされている保存期限を過ぎた後、特別保存に移行するかどうかの段階で、被害者に意向を聞く制度の新設を提案した。
さらに、国は廃棄された記録を「国民の財産」として社会的・歴史的価値があるという観点に立ち、「復元」の具体策を検討することも重要だ。
山田氏も「犯罪被害者等基本法の目的からしてもわずかでも、被害者の尊厳を回復するための責務が国にはあります。複数のご遺族が中心になって働きかければ、議員立法でも可能だと思います。52件の全ては難しいかもしれませんが、担当した判事などの協力は得られるはずです」と理解を示す。
52件の多くは社会の注目度が高かっただけに、再び証言できる司法・捜査関係者、警察発表や報道で外部に出た資料・情報は少なくないし、2008年の少年法改正後の事件では(黒塗り部分が多くとも)記録をコピーしている遺族や弁護士もいるだろう。
また、加害者が存命なら「協力要請」はできる。ひそかに記録を所持している人物がいれば、善意の第三者として提供を求めることもあり得るかもしれない。
収集・精査した報告書を「記録に準じる再記録」として認定すれば、事実関係と経緯を残すことができるのではないか。完全復元は不可能にしても、重要なのは法に則した公的な文書が存在するということだ。
記録は遺族の「証」というばかりではなく、社会の「戒」でもある。神戸事件の際、あるテレビ番組で「なぜ、人を殺してはいけないの?」という子どもの問いに、多くの大人が答えられなかった。答えは、あまたの命が遺した記録の中にこそある。