小口 幸人 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
小さい頃から、漠然と弁護士という仕事は、素晴らしい仕事だなというイメージは持っていました。他方、自分が弁護士になれるというイメージはありませんでしたので、自分の将来を考えたときには、将来の選択肢には入っていませんでした。
大学も商学部を出て、営業マンになりました。
会社での仕事は非常に充実していましたし、よい成績も上げていましたが、このまま仕事を続け、不自由のない生活を送るだけでよいのかという疑問を持つようになりました。
自分の持っている力をもっと世のため人のために使うべきではないかという意識から、どうせなら直接人の役に立てる仕事に就こうと決意し、医者と弁護士を比較し、弁護士になろうと決断しました。
今までの経験と現在の仕事内容
特に受任制限を設けず仕事をしてきましたので、扱った事件数でいくと、離婚事件や相続事件、交通事故や損害賠償、債務整理事件や破産事件、そして刑事事件が多いと思います。
もっとも、会社間の経営権争いや有価証券虚偽記載等の事件もありましたので、渉外事件以外全般を扱ってきた、ということになると思います。
弁護士としてのキャリアも少し変わっています。司法試験に受かった頃から、裁判所はあるのに弁護士がいないという司法過疎問題に興味をもち、司法過疎問題に取り組んできました。
具体的には、東京で1年数ヶ月鍛錬をつんだ後、岩手県宮古市のひまわり基金法律事務所の所長に就任し、司法過疎地で3年半を過ごしました。2011年3月に東日本大震災が起きたときもこの地にいましたし、震災後は被災者支援に奔走しました。被災者支援の関係で、執筆活動や自治体の委員を務めるようなことが増えるとともに、東京まで足を運ぶなどして立法活動にも取り組むようになりました。
震災から2年半が過ぎ、被災者支援の主戦場は永田町と霞ヶ関という状況もありましたので、東京に戻り、日本弁護士連合会の仕事と通常の弁護士業務の二足のわらじを掃く生活を2年過ごしました。
震災5年を迎えようというタイミングで、自分自身の復興を考えるようになり、弁護士に成る前から仕事をしたいと思っていた沖縄に移住し、沖縄の隠れた司法過疎地である本島南部に事務所を開業しました。
現在も住所こそ那覇市ですが、司法サービスが行き届きにくい地域に向けた事務所を構え、渉外事件以外の全般の仕事をしながら、日弁連や弁護士会では被災者支援、司法過疎問題、憲法問題に取り組み、行政の委員なども複数務めています。
弁護士としての信条・ポリシー
3つあります。
1つ目は、弁護士にはやらなければならない仕事があるということです。無実の罪で捕まっている人の弁護、到底看過できない人権侵害を受けている方の依頼、そして日本弁護士連合会や弁護士会に参加する方法で行うことが多い社会貢献活動は、自分が弁護士である以上やらなければならない仕事であると考えています。
2つ目は、弁護士の敷居を下げたいということです。東京でも田舎でも、住民の弁護士に対する敷居は高く、よほどの場合のみ頼る先、と考えている方がまだまだ多いと感じています。弁護士の数が増えても、敷居が高いままでは利用に繋がりません。私は、こんな人も弁護士なんだ、と思っていただけるような活動を続けることで、弁護士の敷居を下げたいと考えています。
3つ目は、何事においても現状に満足せず、新たな方法をトライし続ける、ということです。事件に対する取り組み方でもそうですし、社会貢献活動についてもそうです。他の弁護士がしている方法や、文献に書いてある方法だけで満足することなく、新たな方法を自ら考え、トライし続けることをモットーにしています。
関心のある分野
全ての分野に興味があります。
最初の事務所が刑事事件に積極的だったので、今も刑事事件には特に力を注いでいます。被災者支援の関係については約10年間最前線を走ってきましたし、憲法について講演させていただく機会などもありますし、色々なことに首を突っ込んでいる状態です。
強いてあげれば、通常の事件では、債権回収や破産事件が好きですが、分類というよりは、誰もやっていないようなことや、少し変わった特殊な事件の方が好きかもしれません。 また、通常事件以外にも、他の弁護士と弁護団を組んでいくつかの裁判に取り組んでいます。現在も、嘉手納・普天間の両爆音訴訟弁護団と、憲法53条訴訟の弁護団(事務局長)に所属しています。
ページを見ている方へのメッセージ
法律問題は虫歯と同じです。放って置いても治りませんし、放って置くと悪化する一方です。弁護士に相談するほどのことかどうかを悩まず、どうぞご相談ください。弁護士に相談する相談料を無料にする制度もありますし、無料制度が使えない場合でも、病院の初診料+αぐらいの費用で相談できるのが実際です。
悶々と悩むのではなく、ぜひお気軽にご相談ください。