地元の宮古市で事務所を開設し、街おこしにも力を入れてきた弁護士の歩み〜弁護士が見た東日本大震災から10年〜
2013年7月に生まれ育った岩手県・宮古ひまわり基金法律事務所(宮古市)の所長に就任し、2017年、同市内に三陸うみねこ法律事務所を開設した吉水和也弁護士。東北に戻って以来、弁護士としての活動だけでなく、地域の一員として街の活性化への取り組みにも力を入れている。吉水弁護士にこれまでの活動を聞いた(2021年2月17日インタビュー実施)。
ーー地元の宮古市で事務所を開設した経緯を聞かせてください。
2010年12月に弁護士登録し、登録から約3カ月後に震災が発生しました。2年半ほどは東京で勤務していました。最初から、いつか地元に戻りたいと思っていたのですが、特にタイミングは決めておらず、全国の司法過疎の地域で経験を積んでから戻ることを考えていました。
ただ、震災が起きて、被災地で活動する先生の話を耳にするなかで、自分も復興に携わりたいという思いが強くなりました。ひまわり基金法律事務所の所長が変わるタイミングに合わせて公募に手を挙げ、2013年に宮古市に戻りました。そのまま定着する形で、2017年に三陸うみねこ法律事務所を開設しました。
ーー宮古市ではどのような相談を受けることが多いのでしょうか?
借金に関する相談が一番多く、相続や離婚の相談や刑事事件を受けることもあります。
震災に関する相談としては、用地買収に関連する相続の相談が多くありました。また、2年くらい前までは、災害弔慰金に関する相談を受けることもありました。具体的には、遺族は震災関連死に当たると考えて災害弔慰金の受け取りを申請したのに、不支給となったため、納得できないという相談が目立ちます。
相談者の話を聞く限りでは、震災関連死に該当するように思えるケースでも、認定されないことが多いです。
たとえば、震災で避難したために、普段から飲んでいた薬が飲めなくなったことや、必要な手術ができなかったことが原因で死亡したような場合、死因と震災の関連が明確なので支給が認められやすい傾向があります。
一方、避難所で体調を崩し、そのまま死亡したようなケースでは、判断が分かれることが少なくありません。体調悪化の原因が、避難だと医学的に証明することが難しいからです。
カルテを集めたり医師の意見などを聞いたりして、資料を集めるのですが、震災前の体調と比較できるような資料がないと、認定してもらえないケースが多いです。
宮古市では、岩手県に委託して審査を行なっているのですが、被害が大きかった沿岸部の状況を、内陸在住の審査員がきちんと理解しているとは限りません。そのため、厳しい審査が行われていた可能性があります。
震災と死亡の関連を立証できず、弔慰金を受け取ることができなかった遺族も少なくないので残念に感じています。
ーーこれまでの宮古市での活動で印象的なものをお聞かせください。
弁護士としての活動だけでなく、地域の青年会議所に所属し、街を盛り上げるための様々な取り組みをしてきたことが印象に残っています。
たとえば、「みやこ秋まつり」という地域の祭りの実行委員会に参加したり、宮古市と北海道の室蘭市を結ぶフェリー(現在運行休止中)が就航した際、シンポジウムの企画や開催に加わったりしました。市内の飲食店を利用した街コンの開催に携わったこともあります。
現在は、震災発生から10年を迎えるにあたって、震災関連の企画などを進めています。
また、地域の子どもや学生を対象にした取り組みも行なっています。一例として、「みやっこベース」という、地域の高校生向けのイベントなどを企画するNPO法人の監事を務めています。
印象的な取り組みは、市内の高校生と協力して岩手県内の全高校に案内を出し、震災復興に向けた課題などを話し合うワークショップを開催したことです。
ワークショップは、「内陸と沿岸の高校生で交流をしたい」という思いを高校生が持ったことから企画が始まりました。震災発生時、たまたま沿岸部に来ていた親を津波で亡くしたという高校生の話をきっかけに企画がスタートし、参加した高校生たちが災害や防災に対して非常に高い関心を持っていることが印象的でした。
同じ岩手県でも、内陸部は被害が比較的軽微だったので、震災がいかに大変だったのか、想像でしかわからない人も少なくありません。高校生が中心となって企画を考え、震災の経験や、当時感じた思いなどを共有できる場を設けることができたのは、将来、主体的に東北の復興に取り組む若者を増やすことにつながったのではないかと思います。
他にも、ゲーム好きなので、市内でeスポーツ大会を開催したこともあります。eスポーツを通じて大学生などと交流する機会が増え、学生から将来について相談されることもあるなど、若者との新しいつながりが生まれています。
地元の街おこしにもともと興味があり、そのために宮古市に戻りたいという思いもあったので、地元の人と一緒に活動することにやりがいを感じています。
ーー街おこしに取り組むなかで、弁護士であることが役に立った場面や、逆に弁護士としての活動によい影響を与えることはありますか。
イベントを企画するとき、宮古市に相談することがよくあるのですが、弁護士と名乗ることで話が通しやすくなり、参加者も安心してくれることがあります。企画の内容に問題がないか検討する際にも、弁護士としての知識を活用できる場面が多くあります。
他にも、街おこしの活動を通じて様々な業種の人と関わるので、地域に関する情報量が増えたと思います。地元の人たちとのつながりも強くなり、弁護士に相談することへのハードルも下げられていると思います。実際に街おこしの活動を通じて知り合った方から相談を受け、受任につながったケースもあります。
ーー被災地にどのような課題が残されているか聞かせてください。
被災者の中には、災害援護資金などの貸付を利用し、返済時期が迫っているケースが多いです。ただ、震災後も台風や新型コロナウイルス感染症の拡大の影響を受け、返済が困難になり、生活の再建が阻まれいているケースが少なくありません。
新たに貸付を受けたり、返済計画を見直したりして、対応している被災者もいるでしょうが、単に問題を先送りにしているに過ぎない可能性もあります。今後、借金の問題が表面化してくることを懸念しているので、弁護士としても債務整理などにしっかりと対応する必要があります。。行政に対する返済が困難な人について、全部または一部の免除を要請するなどの活動も必要になってくるかもしれません。
震災の発生から10年が経過したことで、社会からの被災地への関心も薄れつつあると感じています。大きな被害を受けた沿岸部で活動する弁護士の1人として、どのような問題が生じているか情報を集め、弁護士会を通じた行政への働きかけなどを行うと同時に、イベントやSNSなどを活用し、被災地の状況を全国に伝えていくことも重要だと思います。
また、住宅の整備のような復興はかなり進みましたが、工事が一段落したことで、建築業者なども少なくなり、街の賑わいが徐々に失われてきていると感じています。
震災直後は、「自分がなんとかしなければ」と街の再生にやる気のある人が多かったのですが、年数が経つにつれて、そのような気持ちも落ち着いてしまっているように思います。
街おこしに取り組む住民の一人としても、地元の賑わいを取り戻すために今後も尽力したいです。若年層との交流が徐々に増えてきているので、イベントだけでなくプライベートな関わりも増やしながら、街づくりに関心がある人を増やしていきたいと思っています。
※画像は吉水和也弁護士提供
吉水和也弁護士プロフィール
2010年12月弁護士登録後、都内の法律事務所に勤務。2013年7月に宮古ひまわり基金法律事務所の所長に就任し、2017年11月、定着する形で三陸うみねこ法律事務所を開設した。