被災経験から福島へ、原発ADRで住民を支援してきた弁護士が語る現状と課題〜弁護士が見た東日本大震災から10年〜
2013年に福島県相馬市の相馬ひまわり基金法律事務所の4代目所長に就任し、2020年末まで勤務した平岡路子弁護士(富山県弁護士会)。阪神淡路大震災で被災した経験から、被災地で活動することを決意し、2013年から原発ADRの弁護団などを通じ、住民を支援し続けてきた。震災発生から10年を迎え、時効により新たな東京電力への損害賠償請求ができなくなるといった問題点を指摘する平岡弁護士に、福島県の現状などを聞いた(2021年2月22日インタビュー実施)。
ーー東日本大震災の発生から10年を迎えますが、福島県の現状をどのようにみていますか。
福島第一原子力発電所の事故により、避難指示が出されたため、長期間瓦礫の処理が行なわれなかった場所があるなど、宮城県や岩手県と比べて復興が遅れていると感じています。
避難指示の解除は徐々に進んでいますが、簡単に喜べる状況とは言えません。避難指示が解除されれば地元での生活が許されることにはなりますが、お店や病院などがなければ、戻って生活することが簡単ではないためです。
震災前に事業を行なっていた人でも、採算の観点から、人口が減り、従前のコミュニティが壊れてしまった地域での事業再開を、躊躇するケースもあるようです。平日は避難先で仕事をし、週末だけ街の様子を見たり、家の片付けをしたりするために地元に戻っているという人もいます。
もともとあったコミュニティが壊れたことで、避難していた人にとってはゼロからではなく、マイナスからのスタートになります。事業が軌道に乗るまで支援する仕組みなどが必要だと思います。
また、地元に戻りたいと考える高齢者は多いですが、若い世代に放射能に不安を感じている人もいるし、避難をきっかけに転職や転校した人も少なくありません。高齢の親だけが福島に戻り、子どもは避難先で仕事を続けている家族も多いと感じます。
放射性物質や被ばくに関する考え方や、生活拠点に対する考えの違いから家族間で軋轢が生まれ、家族内でのトラブルに発展したり、分断が生じるケースもあるようです。
このような状況は、「復興した」と言える状況からは程遠いと思います。
ーーなぜ福島県で活動されるようになったのでしょうか。
もともと司法過疎地での活動に興味があり、過疎地で活動する弁護士を養成する横浜市の事務所で勤務していました。弁護士登録から3カ月後に震災が発生し、自分が小学生の時に阪神淡路大震災で被災した経験があったので、被災地を支援する活動をしたいと考えるようになりました。
先輩弁護士などに相談したところ、「原発事故で多くの人が影響を受けているので、これからは福島県で弁護士が必要になる」と言われました。
福島県に行くことにあたり、放射能の影響を不安に感じることもあったし、友人や家族からも心配されました。ただ、多くの被災者が東京電力への損害賠償請求権がある状況なので、「福島県で活動すれば、被災者の役に立つことができる」と考え、所長を募集していた相馬ひまわり基金法律事務所で活動することを決めました。
福島県での活動を始めたのは2013年ですが、多くの人が原発事故に翻弄されていると感じました。
東電が示した賠償金の額は震災発生時に原発からどの程度離れた場所に住んでいたかによって異なりました。相馬市のように住民それぞれが避難するか判断する自主的避難等対象区域では、精神的損害としては8万円の賠償金(妊婦・子供は40万円)が一度支給されただけでした。一方、政府の指示により避難区域に指定された地域には、毎月10万円(終期は地域によって異なる。最長で2018年3月まで)が支給されました。
親族間で受け取れる賠償金の額に差が生じたことがきっかけで、付き合いが疎遠になったケースもあると聞いています。
実際に賠償金に関する相談を受けることは多く、原子力損害賠償紛争解決センターでのADR(原発ADR)手続きも延べ100件以上担当しました。
居住区域のみで賠償金の額に差をつけることについては、色々な相談がありました。一例を挙げます。子どもや妊婦が避難の対象となる「緊急時避難準備区域」という地域に住んでいたある男性は、小さな子どもがいたため、家族とともに避難をしていました。
2011年9月に緊急時避難準備区域の指定は解除されたのですが、避難前の自宅から職場までの通勤経路に避難区域が含まれていたため、自宅に戻ることができず、避難を続けることにしました。
ところが、自宅のある地域の指定が解除されたことで、賠償金が打ち切りとなったため、その男性は「不公平だ」と考え、相談にきました。
原発ADRを利用して交渉することになったのですが、「通勤経路が避難区域に指定されている」点を「避難を継続する相当な理由がある」として認めてもらい、賠償金を受け取ることができました。
ーー福島県での活動の中で、特に印象的なものはありますか。
2014年10月に、相馬市の山間部にある玉野地区の住民139世帯419人が東京電力(東電)に賠償金の増額を求め、原発ADRの集団申し立てたことです。私は、住民側の弁護団の1人としてこの事案を担当しました。
玉野地区は「自主的避難等対象区域」で、8万円の賠償金が支給されただけでした。山を越えた隣にある村は、高い放射線量が計測されたため、「避難区域」に指定され、月額10万円の賠償金を受け取っていました。
玉野地区も、震災発生直後に、相馬市の計測で避難区域と同等の放射線量が計測されていました。ただ、玉野地区では震災発生から数日後、市が緊急的に放射線量を下げる作業を実施しました。震災から約1カ月後に行われ、避難区域の指定のためのデータをとる国の測定では、放射線量が避難区域の指定基準を下回っていたため、自主避難対象区域となったのです。
ただ、国の測定が先に行われていた場合、玉野地区は避難区域に指定されていた可能性があります。また、放射線量が下がった後も、地下水を使ったり、山で山菜やきのこを採取したりすることなどができず、これまでどおりの生活ができなくなった人が大勢いました。
賠償金増額の申し立てに加わった住民は「避難指示の対象になった近隣の村は、多額の賠償金を受け取っている。原発事故の影響を受け、震災前と同じような生活ができなくなったのは私たちも同じなのに、同じように受け取れないのはおかしい」と考えている人が多く、避難区域と同様に月額10万円の支払いを求めました。
ーー東電との話し合いは順調に進んだのでしょうか。
ADRセンターや東電は、本当に玉野地区の放射線量が高かったのかを知りたがっていました。ただ、震災発生直後に相馬市が除染作業を行ったことや、申し立て時には原発事故から3年以上が経過していたこともあり、線量は原発事故当時より下がっていました。
詳細な資料を得るために、相馬市に資料提出を依頼するなどし、2015年にはADRセンターの調査官などが現地調査を行ってくれました。
話し合いは長期化しましたが、ADRセンターは2018年10月、住民1人あたり最大20万円を上乗せする和解案を提示してくれました。毎月10万円を求めていた住民にとって決して十分な額とは言えませんが、被害の実態を丁寧に認定しており、弁護団として評価できる和解案だと感じていました。住民も、不満な部分はあるものの、これ以上長期化させるわけにはいかないとの考えもあり、和解案を受諾されました。
しかし、東電はこの和解案を拒否しました。ADRセンターは和解案受諾を求める勧告書を2度発出し、「東電の拒否には合理的な理由がない」と指摘しましたが、結局、東電は拒否し続け、2019年12月に申し立てが打ち切られました。
ーーなぜ東電は和解案を拒否したのでしょうか。
東電は「空間放射線量率が他の自主的避難等対象区域と比べて非常に高いとはいえない」などと説明していますが、原発事故の報道が徐々に少なくなっていたので、「和解案を拒否してもあまり非難されないだろう」と考えた可能性があります。
震災発生から2、3年くらいは、東電は和解案を尊重していましたが、2016年に、1万5000人以上が参加した浪江町の集団申し立ての和解案を拒否して以来、不合理な理由で和解案を拒否するケースが増えたように思います。少なくとも集団申立てについては、軒並み拒否が続いています。
浪江町の集団申し立てを拒否したのは、受諾すると他の地域への影響が大きいと考えたのでしょう。ところが、これだけの申立人が関わった案件であるにも関わらず、和解案の拒否が全国的に話題にならず、それ故、東電を非難する声もそれほど大きくなりませんでした。そのため東電は、他の地域の和解案も拒否するようになったのだと思います。
東電は損害賠償に対し、「3つの誓い」を掲げています。そのうち1つに「和解仲介案の尊重」という項目があります。にも関わらず東電は、ある時期を境に、集団申立ての和解案を公然と拒否するようになりました。
玉野地区の集団申し立ての住民の代表者が「私たちは何も悪いことをしていないのに、なぜ事故を起こした東電が和解案を拒否するのか」と憤っていたのを忘れられません。
ーー玉野地区を含め、和解案を拒否された場合、どのような対応をすることになるのでしょうか。
現時点で、玉野地区独自の集団訴訟は提起されていません。住民の方が個別に対応していくとすれば、すでに提起されている集団訴訟に加わったり、個別に訴訟を起こしたりすることになるでしょう。
ただ、1万5000人以上が集団で申し立てをした浪江町でも、打ち切り後に訴訟提起にいたったのは400人ほどだと聞いていますし、集団申立てが打ち切られた他の地区でも、集団訴訟はほとんど提起されていないようです。
東京電力が集団ADRでの和解案拒否することによって、さらに手続が長期化したという経緯があり、疲れもあるでしょう。訴訟が終わるまでの見通しがつかず、時間がかかりすぎるという点に負担を感じる人が多いのではないかと推察しています。
また、訴訟をしていない人の中には、現在係属している集団訴訟の最高裁判決の内容を見てから訴訟を提起しようと考えているケースもあります。しかし、震災から10年が過ぎてしまうと、損害の内容によるとは思いますが、法律上、東電は時効の援用の主張が可能になるため、時効を理由に請求が認められなくなる可能性があります。
東電は「時効の完成をもって一律に賠償請求を断ることは考えておらず、時効完成後も、請求者の個別の事情を踏まえ、消滅時効に関して柔軟な対応を行う」という方針を示しています。ただ、「柔軟な対応」とは、そもそも時効を援用するかどうかを、事故を起こした東電が決められるということであり、それは東電が、被害者の意向に関わらず、賠償するかどうか決められる立場にあるということです。
今回のような広範かつ甚大な被害を生じた事故で、わずか10年という時間の経過によって、賠償義務者側が賠償するかしないかを決められる立場になるということ自体がおかしいと思っています。
時効が援用された場合でも、「時効の援用が権利濫用に当たるか」「時効の起算点はいつか」などを争点にすることはできるかもしれません。しかし、その場合でも、訴訟が長期化することになり、結局は賠償金を求める人の負担が大きくなってしまいます。
ーー被災者は今の状況をどのように感じているのでしょうか。
賠償金請求を諦めようとしている人がかなり多いと思います。最近は賠償金に関する相談を受けても「ADRという手続きがあるが、東電から拒否されるかもしれない」と説明せざるをえません。
弁護士に相談する前に、すでに自分で東電と交渉して、拒否されている人もいます。「もう東電を相手にするのに疲れた」と考える方が大勢いるのです。
東電の「3つの誓い」の中は、「最後の一人まで賠償貫徹」もあります。まだ、訴訟をしていない人や、請求自体を諦めようとしている人もいる中で、東電は和解案の拒否や時効の援用をするのではなく、賠償を求める被災者の声に、しっかりと向き合ってほしいと思います。
ーー今後、弁護士としてどのような取り組みが必要になるのでしょうか。
まずは被災者が生活再建できるようにするための支援が必要です。被災者が情報を取捨選択し、納得して今後の方針を決められるように、サポートをしなければなりません。
時効などの新たな問題に直面する被災者が増える可能性も高いですが、高齢者など自分から弁護士にアクセスするのが難しい人も少なくありません。そのような人に弁護士がどのようにアプローチしていくかも課題です。
また、全国に原発がある中で、事故が起きた場合にどのように補償してもらえるかは、全員に関わる問題だと思います。原発事故に関する報道が減っている中で、どのように法的な情報を適切に伝えていくかも、考えなければならないと思います。
原発事故を理由に避難した方は、全国にいます。そして現状では、被災者一人ひとりではなかなか声が上げづらくなっています。ぜひ、多くの全国の弁護士に関心を持ってもらい、被災者の方々の本当の「復興」のために、助力してほしいと、切に願っています。
※画像はZOOMのスクリーンショット
平岡路子弁護士プロフィール
2010年横浜弁護士会に登録、弁護士法人かながわパブリック法律事務所入所。2013年1月、福島県弁護士会に登録換えし、相馬ひまわり基金法律事務所の4代目所長に就任。2020年末まで福島県で活動し、2021年1月に富山県で滑川ふたば法律事務所を開設。