東北と無縁の弁護士が、県庁と市役所で復興へと歩んできた道のり 〜弁護士が見た東日本大震災から10年〜
宮城県石巻市役所に勤める大岩昇弁護士(仙台弁護士会)は、東日本大震災発生の2年後、2013年から宮城県庁の組織内弁護士となり、2016年には石巻市役所に移って現在まで、被災自治体のインハウスローヤーとして計8年活動してきた。震災発生時は企業法務をメインとする都内の法律事務所に勤務し、東北との縁もなかった大岩弁護士だったが、震災報道を目にするにつれ、「自分の仕事は社会にどのように貢献できているのか」と考えるようになり、宮城県の公募に手をあげた。「復興は多くの関係者によるひとつひとつの取り組みの積み重ね」と語る大岩弁護士に、被災地の現状やこれまでの活動を聞いた(2021年2月15日インタビュー実施)。
ーー2013年から宮城県庁と石巻市役所で、自治体内弁護士として活動されてきましたが、これまでを振り返り、どのようなことを感じますか。
本当によくここまで復旧、復興が進んできたなという思いが一番です。
被災地では、遺体の捜索やがれきの処理に始まり、被災者の生活や住まいの再建、道路や下水道などのインフラ整備、さらに、医療や福祉、教育、産業といった各分野の再生など、被災者と行政、民間事業者のそれぞれが膨大かつ困難な課題を抱えることになります。
石巻市の仮設住宅を例にあげれば、ピーク時の2014年に約1万3000戸あり、3万2000人ほどが入居していました。当時の石巻市の人口が約15万人だったので、約2割の住民が入居していたことになりますが、2020年に全員が退去しています。
これだけ多くの方が避難所などから仮設住宅に移り、何年もかけて再建先を見つけて退去したことになります。健康面や経済面などで課題を抱えた方も少なくないですし、ひとり残らず退去するまでに、被災者ひとりひとり、関係者の取り組みひとつひとつに、どれだけの苦労があったのかと思います。
復旧、復興と言いますが、結局は、様々な主体による取り組みや、被災者の積み重ねの結果なのだと思います。だからこそ、本当によくここまで復旧、復興が進んできたなと感じています。
自分自身の活動を振り返ると、宮城県庁と石巻市役所で8年以上勤務してきましたが、弁護士としてだけでなく、社会人として、とても充実した日々を過ごすことができたと感じています。
かつていた県庁でも、今いる市役所でも組織内弁護士は1人だけなので、自分の意見が行政の結論に直結する場面も少なくありません。責任の重さを感じることも多かったですが、自分の知識や経験を生かしながら、多くの案件に携わることを通じて、地域の復興に貢献できたとすれば、これ以上嬉しいことはありません。
ーー東日本大震災の発生時は都内の法律事務所で勤務されていましたが、なぜ東北で働くことになったのですか。
弁護士登録から4年目に東日本大震災が発生しました。当時は、企業法務中心の都内の事務所で働いていたのですが、仕事に慣れてきたころで、「そろそろ新しいことにチャレンジしたい」と考えていました。
海外留学などの選択肢もあったのですが、震災の報道を目にするにつれ、広く世の中に目を向けるようになり、「自分の仕事は社会に対してどのような意味があるのか、どのように貢献できているのか」と考えるようになりました。
震災発生から1年が過ぎたころ、宮城県庁が任期付職員として弁護士を公募していたのが目に留まりました。それまで東北や被災地に縁はなかったし、弁護士として行政の仕事に関わった経験もなかったので、不安は多かったですが、復興真っただ中の被災自治体が法律の専門家を求めているということは、「誰かがやらなければならない、世の中の役に立つ仕事であることは間違いない」と考え、思い切って手を挙げました。
県庁で3年ほど勤務してから石巻市役所に移りました。県庁での経験も活かしつつ、より住民や現場に近いところで、もうしばらく復興に携わってみたい、せっかくなら最大の被災地で活動したいと考え、同じ宮城県内の石巻市役所に赴任することを決めました。
ーー県庁や市役所ではどのような業務に携わったのでしょうか。
基本的な役割は多くの企業の法務部門と同じで、様々な部署の職員からの法律相談に対応することが業務の大半を占めています。相談内容は震災関連に限定していたわけはありませんでしたが、結果的に多くが震災関連の事案でした。
例をあげると、県庁にいる時は、みなし仮設住宅に関する相談が多くありました。仮設住宅にはプレハブ住宅と、県が借り上げている民間の賃貸住宅がありますが、このうち県が借り上げていたみなし仮設住宅は、ピーク時に2万戸を超え、6万人ほどが暮らしていました。
賃貸人と県、入居者の3者で契約を締結するのですが、これだけたくさんの契約があるわけですから、問題が生じることが少なくありません。賃貸人や入居者が行方不明になったり、死亡したりとか、家の設備が壊れたりとか、入居者に退去してもらえないといった問題を、賃貸人と入居者の間に入る県が1件1件対応する必要があります。
県庁と市役所で共通して多かったのは、用地取得に関する相談でした。復興事業として道路や公共施設、さらに被災者向けの住宅用地の整備などを行うには、まず用地を取得しなければなりません。
ただ、所有者が行方不明になっていて連絡が取れないとか、登記名義が大正時代から更新されておらず、相続人が数百人いるといったケースなどがあり、職員から「どのように取得手続きを進めればよいのか」という相談を受けることが多かったです。
訴訟事案は、基本的に外部の弁護士に依頼するのですが、紛争性が乏しい用地取得に関する訴訟では、私が他の職員とともに代理人になることもありました。
例えば、所有権の保存登記がされておらず、登記の表題部に「甲 外3名」などとだけ記載がある、いわゆる記名共有地については、甲の相続人全員を被告とする所有権確認の訴訟を提起して判決により登記をする必要があるため、他の職員と一緒に代理人として訴訟手続を進め、無事登記まで済ませたことがあります。
ーー震災から10年を迎えますが、どのような課題が被災地に残されているのでしょうか。
原発被害のある地域はまた違った状況と思いますが、宮城県についていえば、仮設住宅から全員が退去し、宅地の整備もほぼ完了し、住宅の再建はかなり進みました。一方で、道路や防潮堤などのインフラ整備はまだ終わっていない部分があるので、まずはこれを早期に確実に完了させる必要があります。
震災によって一度壊されてしまった地域コミュニティの再生や復興事業で整備した施設の維持、活用も大きな課題です。これまでの復興事業は国からの財政支援を受けながら行われてきましたが、今後は地域や自治体が自立して進めなければなりません。
石巻市では、震災前に16万人だった人口は、現在約14万人まで減少しました。また、石巻市内部でみても、若い世代を中心に多くの市民が、震災で大きな被害を受けた沿岸部から内陸部に移動しているため、沿岸部では過疎化、少子高齢化が一気に進んでいます。
人口減少、過疎化、少子高齢化は、被災地に固有の問題ではありませんが、被災地は、震災によって、これらの課題にいち早く向き合わなければならなくなったといえます。
街の賑わいを取り戻すために、その地域に移住する人が増えてくれるのが理想ですが、通勤や通学、観光などでその地域を訪れる、いわゆる「交流人口」をいかに増やすかも重要です。
簡単なことではありませんが、地域に関心を持ち、足を運んでくれる人を増やすために、行政と地域が手を取り合って、様々な施策をや地道にひとつひとつ取り組んでいく以外にないのだと思います。
ーー行政機関、特に被災自治体で働く魅力を聞かせてください。
一般的な弁護士にとって重要なのは依頼者の利益の最大化ですが、行政で活動する弁護士は、より公共的で社会的な仕事に携わることができます。たとえば、児童虐待の案件に関する会議に出席することもありましたが、そこでは、児童の成長を第一に考えた議論がなされます。
弁護士としての知識と経験を生かしながら様々な社会問題の解決に貢献できる点は、行政で働くことの魅力の一つだと思います。また、道路、水道、学校など我々の当たり前の日常生活が行政に支えられていることを知り、その現場で汗を流す職員と一緒に働けることも、得難い経験です。
特に被災自治体では、施設が被災したり、職員も自ら被災したり、身近な人を亡くしたり、辛く大きな被害を受けながらも、前例のない膨大な事務を処理して、復旧、復興を進めなければなりません。
法的検討が必要な事案も多い中、庁内に気軽に相談できる弁護士がいることは、被災自治体や職員にとって大きな力となります。復旧、復興を後押しし、住民の福祉にも貢献できる、とてもやりがいのある仕事です。
多くの弁護士に、キャリアの選択肢のひとつとして行政の組織内弁護士に関心を持ってほしいと思っています。特に今後災害が発生し弁護士を求める被災自治体があれば、手を挙げる方が現れることを願っています。
(画像はZoom取材のキャプチャ)
大岩昇弁護士プロフィール
2007年の弁護士登録後、2012年12月までコモンズ綜合法律事務所で勤務。2013年1月から2016年3月まで宮城県総務部私学文書課で法務担当の主幹を務める。2016年4月から石巻市に赴任し、総務部総務課で法制企画官を務めている。任期は2021年3月末まで。