梅本 英広 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
大学生のとき、やくざ風の酔っ払った男性の運転する自動車に自動車をぶつけられ、その男性に殴られるという被害に遭いました。当時、私はバンドをやっていまして、バンドの機材を運ぶハイエースに乗っていました。
今の妻と一緒に京都の街中から私の住んでいた伏見区まで下りていく道中に車をぶつけられてしまいました。「お前も警察に行ったら困るだろう」というように迫ってきて、言ってくることも怖く、これはまずいと思い逃げました。相手は飲酒運転でした。逃げたのですが、簡単に追いつかれてしまいぼこぼこに殴られてしまいました。
結局運転免許証を取られて後から連絡すると言われその日は終わりました。すぐに警察に行って被害の申告をしましたが、刑事さんからは「やくざって顔に書いてあるのか」などと言われ、夜に運転をしていたことなど逆にお説教されました。
一応被害届けは受理してもらえるように進んだのですが、そこで刑事さんに「君は法学部の学生なのに、何も知らないじゃないか」という趣旨のことを言われました。そのとき、知識がないことで不安に感じ、また、不利益な立場に立たされることもあるのだと痛感しました。
この事件を通じて、法律のことをもっと勉強し、知識を持ちたいと強く思いました。そして、知識がなく不安に感じた自分が弁護士になることで、知識がないなどの理由で泣き寝入りしてしまう人のため、役立つ仕事ができるのではないかと考え、司法試験の受験を志しました。
今までの経験と現在の仕事内容
札幌の渡辺英一法律事務所で約半年間、すずらん基金法律事務所で約1年半、一般民事、クレサラ、離婚、刑事などの事件に関わらせてもらいました。その後、平成18年7月、当時司法過疎地域と言われていた中標津(北海道の道東、根釧台地の中央に位置します)にひまわり基金法律事務所所長として赴任し、中標津に定着して現在に至っています。
これまで過疎地域での業務が中心でしたので、一つの専門分野に深く携わるというよりも広く様々な事件に関わってきました。そのため特にこのような仕事をしてきたということは難しいです。
ただ、印象に残っている事件として数年前に札幌高等裁判所で逆転無罪判決となった刑事事件があります。この事件は、精神的にも体力的にも、さらには経済的にも苦しかったのですが、逆転無罪が確定したときは苦しかった分だけ喜びも大きいものでした。
現在も仕事を選ばず、過疎地域で業務に当たっています。一般民事、クレサラ、離婚、刑事、破産管財、成年後見、相続財産管理等、様々な仕事をしています。
中標津町について
事件としては離婚や相続関係の相談が多いと思います。
司法の状況は、今年になって2人弁護士が増えました。それにより弁護士が中標津町に3人になりました。
中標津には裁判所がありません。隣の標津町に簡易裁判所があります。また、家庭裁判所の出張所もあります。しかし、地裁支部は根室にあります。裁判所としては本庁が釧路市内にあり、私が今継続している事件は釧路や根室、標津の3つの裁判所に大まかに分かれています。
もちろん事件の関係で札幌地裁や網走支部や旭川の裁判所なども少しずつあるのですが、基本的には先程の三つの裁判所になります。釧路までは車で2時間、根室までは1時間半、標津は20〜30分といった距離で、中標津町は裁判所のある街から離れたところになります。
北海道は札幌市に人口が集まっていく傾向があり、過疎地域に関しては人口が少なくなっている傾向があります。しかし、中標津町は減っていなく、どちらかというと微増傾向にあると言われています。商業施設もあり、比較的元気な町、交通の要所といった感じで人の行き来もあります。裁判所がなくても弁護士の仕事に対する需要がそれ相応にあります。
中標津で仕事をすることになった経緯
私はすずらん基金法律事務所が開設される間近の平成16年に弁護士登録をしました。すずらん基金法律事務所は平成17年に開設され、私が弁護士になったばかりの頃にすずらん一期生を募集していました。その時はまだすずらん基金法律事務所は何もできていない状況でした。
ただ、北海道の先生方は司法過疎の問題を切実に抱えていて、私が修習生の時から司法過疎で困っている人がたくさんいるという状況を見ていました。弁護士会としても積極的に取り組んでいかなくてはならない問題だということをお話してくださる先生もいらっしゃいました。
札幌で弁護士をしておられた中村仁先生も弁護士会の活動に熱心に取り組んでいらっしゃる先生で、そうした先輩の先生方から話を聞いて、司法過疎の問題に気づかされました。
他方で私の妻が中標津の出身でして、妻の出身の地で弁護士を必要としているけれど、弁護士が足りないという話は聞いていました。当時の中標津町長も弁護士が足りないということを弁護士会に言っていました。そうしたことから弁護士が必要とされているという話を聞いていました。
そんな折、たまたま私が修習生の時に「中標津で半弁半農で弁護士をやろうかな」と冗談で話をしていたことを、面白いことを言っている修習生がいると帯広の齋藤道俊先生が興味を示して下さいました。齋藤先生は私に一度会いたいと言ってくださり、実際にお会いしました。
その時に中標津は根釧台地の中央に位置していて四方八方から人がくるような立地条件にあるから法律事務所があれば多くの人が助かるし、色々なところから人がくると言っていただきました。また、中標津町長さんも当時中標津に法律事務所を誘致したいと思っており、そうしたことが重なり、すずらん基金法律事務所に入り、養成を受け、その後中標津に赴任をしたらいいという話が進んでいきました。
すずらん基金法律事務所は札幌の事務所だったので、札幌の事務所から中標津のひまわり基金法律事務所に行きました。中標津でひまわり基金法律事務所を開所し、丸二年仕事をしました。丸二年が経ち、事件の需要もあるし、弁護士の仕事のやりがいや成果が出てきて面白くなってきた時期であり、中標津に弁護士が必要とされていると思ったので、そのまま中標津に定着しました。
弁護士としての信条・ポリシー
人に対するいたわりの気持ちを持つことだと思っています。
私が修習生のときに、札幌で弁護士をしておられた中村仁先生から、「弁護士にとって最も大切なことは人に対するいたわりの心」だと話してもらいました。当時は、正直よく分かりませんでしたが、徐々に中村先生の話しておられたことの意味が分かるようになってきたように感じます。
また、中村仁先生は「同感ではない共感」ということを仰っていました。依頼者の方と同じような感覚ではなく、客観的な目で第三者として見なくてはならないし、冷静に見なくてはならない中で、共感ということが弁護士にとっては非常に大切というお話をしていただきました。
その時私は修習生で、弁護士の仕事もほとんど知らない状態だったため、それが本当に大事なことだと思えませんでしたが、今では法律相談をするうえでもっとも大切にしていることだといえます。
中村仁先生は自殺しようとする人が電話をし、その人を助けるといったような、いのちの電話の相談員の方とよく話しをするということを仰っていました。その中で中村先生は「私はああいった仕事をしたい」と言っておられました。
私は、当時弁護士がする相談はもっと理路整然としていて、法律の知識で事案に正確な解答をするとイメージしていましたので、そのようなイメージとは違うコメントだったため、正直なところ違和感がありました。しかし、そのことも今となっては、弁護士業を続けていく上で欠かせない思いであると考えます。
人が弁護士に関わるような出来事は、その人の人生の中でそんなにあるものではありませんし、弁護士が関わるのは、夫婦が別れるときや職場が破産したときなど只でさえ精神的に傷つく場面であると思います。限界はあるかもしれませんが、そのような場面においてできるだけ不安を取り除き、安心して暮らせるように仕事を通じて働きかけたいと思っています。
関心のある分野
私の仕事をしているこの地域で相談者が相談してくる分野であればどのようなものであっても関心を持って取り組みたいと思っています。
ページを見ている方へのメッセージ
先日、私の事務所の入っていたビルが火事に遭い、私の事務所も少なからず被害がでました。事務所移転などを強いられたのですが、「こんなときにしかお返しができない」と言ってボランティアで備品等の搬出、洗浄、搬入など協力して下さる方々が集まってくださいました。
火事にあって何をすればいいかわからずあたふたしていたのですが、大工さんや主婦の方が積極的に「お手伝いしましょうか」と言ってきてくださいました。そうした方の協力がなければとても事務所の移転はできませんでした。
火事があった当日に一番心配だったことが事件記録でした。壁になっていたガラスが壊れて誰でも進入できる状態になってしまっていたので、事件記録をその日のうちに回収しなくてはなりませんでした。
そうした状況の時に十数名集まってくれて、釧路弁護士会の先生も1人釧路から駆けつけて下さり、手伝っていただきました。弁護士の仕事を通じて知り合った人たちなのですが、弁護士という仕事を超えた人と人とのつながりを感じました。
その後2週間で平常業務に戻す目標を立てて、復旧作業に全力であたりました。1週間で法律相談を再開するところまではこぎ着けました。すごく大変な目にあったけれども、振り返ってみると貴重な経験になり、自分自身この街が好きになりました。仕事を通じてこの地域に返していこうと思いました。