私たち市民にとって、当たり前に有する権利が当たり前に実現されるために、弁護士として尽力していきたい
子供の頃から意識していた弁護士という仕事
弁護士という職業は、子供の頃から何となく意識していたと思います。
実は、父親が本当は弁護士になりたくて司法試験を受けたことがあったようなのですが、経済的な状況で勉強を続けられず、公務員になっていました。
そんな父親が「弁護士になったらいいよ」と言っていたので、うまく誘導(?)された部分もあったかも知れません。
また、小学生の頃、ある友達の家に遊びにいくと、そこにはいつもその子のお父さんが家にいました。その方が弁護士だったので、「ああ、弁護士って自由で良さそうだなぁ」というイメージがあったこともあります。
もちろん、現実はそんな甘くはなかったのですが(笑)。
あるドキュメンタリー番組を見て、弁護士を志す意思が明確になった

中学生か高校生の時に、テレビで、永山則夫のドキュメンタリー番組を見ました。
永山則夫とは、1968〜1969年(当時19歳)に連続殺人事件を犯し、捕まって最終的には死刑になるのですが、獄中で文筆活動をはじめ、賞をとるような作家にもなった人です。
永山則夫は極貧の家庭に生まれ、親からの愛情も全く受けられない、恵まれない環境で育ちました。
そのドキュメンタリー番組を見て、私は、生い立ちや環境が、人間の性格形成や行動に深く関わっているのだろうと子供ながらに理解しました。
彼も、ごく普通に家族の愛情に恵まれ、経済的にもあそこまで苦しくない環境で育っていれば、もっと別の人生を送れたに違いないと思います。
私はこの番組を見て、こういった罪を犯してしまった人がなぜ罪を犯してしまったのか、その背景事情をきちんと説明し、罪を償うこととは別に、その人が更生するために多少なりともフォローできる立場になりたいと思いました。
この頃、将来弁護士になろうという明確な意思が自分の中に芽生えたのではないかと思います。
弁護士の工夫と頑張り次第で結論が変わるのが弁護士の仕事。最大限できることをして、ご依頼者様に良い結果を残すのが自分のやりがい
福岡県の出身ですが、東京の大学に進学し、弁護士になってからは、縁あってここ千葉市にある事務所で仕事をするようになりました。
千葉県一円から、あらゆる分野のご相談をいただいています。
債務整理や離婚、相続、交通事故などの一般民事家事事件はもちろん、刑事事件は裁判員裁判もやっています。
また、当事務所では医療訴訟にも力を入れていて、医療事故にあった被害者の方のサポートもしています。
弁護士の仕事というのは、その弁護士の工夫や頑張り次第で、結論が変わってくるものだと思います。
自分の力量や裁量がご依頼案件の結論にダイレクトに影響するので、決して気は抜けないし、最善を尽くしてご依頼者様に喜んでいただくのが私にとってやりがいです。
問題が解決して、ご依頼者様から「先生が担当してくれて良かった」「先生と出会って人生が変わりました」といった感謝のお言葉をいただくと本当に嬉しいです。
趣味は音楽。弁護士でつくるオーケストラではチェロを担当。バンドでギターも弾いています

子供の頃から音楽が好きでした。
今、弁護士を中心にメンバーが構成されたオーケストラに入っています。担当はチェロです。
年に一度発表会があって、発表会の数か月ぐらい前から皆で集まって練習しています。
オーケストラとは別に、バンドもしていて、ギターを弾いています。
こちらは弁護士もいれば、弁護士でない職業の人もいます。演奏するのはロックが多いでしょうか。
実は、先日に、船橋市のライブハウスでライブをしたばかりで、昨日も、メンバーで、録画したビデオを見ながら反省会をしましたよ。
当たり前の権利が当たり前に実現されるために。原発事故によって故郷を離れざるを得なかった人たちを支援したい
3.11の大震災による、原発関連の弁護活動にも力を入れています。
福島県から千葉県に避難して生活を送っている方々がいますが、その中には、国が指定する「避難指示区域」ではない地域にお住まいだった方も多くいます。
そのため、国から生活の保障が十分にされず、経済的に非常に厳しい状況を強いられています。
避難指示区域に指定されていなくても、放射能による被害が心配で、離れたくない故郷を離れる方は少なくないのです。
子供がいる家庭であればなおさら、子供を守るために、やむなく移住されている方々もいます。
このような人たちを一律に、補償を打ち切ってしまっていいのか、私は疑問です。
放射能被害の心配なく生活を送る権利が、誰にもあるのではないでしょうか。
個々人の権利の救済が、その後の社会全体のあり方にも関わる
この原発訴訟は、個々の被害者の救済はもちろんですが、きちんと国の責任を明らかにして、これを将来につなげましょうという意味もあります。
一人ひとりの「当たり前」が実現されるかどうかが、今後の社会全体のあり方にも影響するのです。
原発事故の問題に限らず、当たり前と思われる権利が実現されず、放置されてしまうことは世の中にたくさん見られます。
本人が「知らない」ために泣き寝入りするようなケースもあるでしょう。
私は、私たち一般市民が、当たり前に有するはずの権利が、当たり前に実現されるよう尽力する弁護士でありたいと思っています。
