朝8時から夜11時まで、お正月以外の364日。いつも街の人々を温かく迎えていた書店「幸福書房」(東京都渋谷区)が2月20日、閉店する。東京メトロと小田急線が乗り入れる代々木上原駅前に開店してから約40年。作家・林真理子さんファンの聖地としても全国的に知られ、独自の棚づくりが多くの客を惹きつけてきた。しかし、出版不況は街の名物書店を逼迫。多くの人に愛された幸福書房は「一旦、さようなら」を告げる。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
●「本屋はピカピカじゃないとね」と独自の棚
代々木上原駅南口から徒歩数秒という好立地に、幸福書房はある。1980年に店長の岩楯幸雄さん(68)が脱サラして弟と始めた本屋だ。家族で切り盛り。たった20坪の小さな店舗だが、入り口付近にはところ狭しと多くの雑誌が平積みされ、奥に入れば「みすず書房」「白水社」「青土社」と本好きならうれしい本が並ぶ。
岩楯さんは、「本屋はピカピカじゃないとね」という。大手取次からも配本されるが、常連客の好みやお勧めしたい本を独自に仕入れてきた。全ての本を平積みできないから、特に読んでほしい本は棚に「2冊刺し」をした。2冊並べることで目立たせ、本棚をピカピカにしていたのだ。
幸福書房は、代々木上原に住む林真理子さんにも愛された。「真理子さんは本屋さんの娘さんでしたから、とても応援してくださいました」と岩楯さん。ある日、幸福書房によく立ち寄っていた林さんに思い切ってサインをお願いしたのがきっかけで、5、6年前から林さんのサイン本のサービスを始めた。店内の一番目立つ場所には林さんのコーナーが作られ、新刊が出るたびに全国からファンが訪れて買う「聖地」になった。ここから読者に届けられた林さんのサイン本は、1万冊に近いという。
●山積みされていた雑誌が売れなくなった10年
「開店して30年は良かったです」。出版業界に勢いがあった時代には、幸福書房は代々木上原駅の北口にも店舗を出していたほど。ところが、本の売り上げはこの10年、低迷をたどる。幸福書房は雑誌を売って収益を上げ、学術書などの「硬めの本」を仕入れてきた。しかし、近年は雑誌の売り上げ部数が驚くほど減少。「昔は、『JJ』や『CanCam』といった雑誌が裏の倉庫に山積みされていたものですが、今ではそれもありません」と岩楯さんは話す。
小さな書店では雑誌の売り上げが6割か7割。幸福書房は5割にとどめていたが、それでも厳しかった。岩楯さんは2月に賃貸契約が切れるのを機に店を閉めることにした。「今、電車の中でも本を読んでいる人は少ない。みんなスマホを見ています。契約更新すればあと2年半、店を続けることになりますが、出版不況も続いていますし、自分の年齢的にも難しいと考えました」。岩楯さんから閉店の知らせを聞いた林さんは、静かに涙を流したという。
閉店前日の2月19日、幸福書房には名残り惜しむ人たちが引きも切らなかった。店内には客から贈られた「ありがとう」のたくさんのメッセージが展示されている。学校帰りの小学生から、引越し先の町からわざわざ足を運んできた年配の女性まで、一人ひとりがレジに立つ岩楯さんにここで買って読んだ本の思い出を語り、「寂しくなります」「ありがとうございました」と声をかけていた。
●幸福書房は「一旦、さようなら」
代々木上原駅前の幸福書房は幕を閉じるが、その歴史をまとめた「幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!」 が今月15日、出版された。幸福書房と街の人たちが紡いできた物語が、岩楯さんの優しい視線でつづられている。
「幸福書房は一旦、終わりですが、落ち着いたらブックカフェを始めたいと思っています」と岩楯さん。かつて、手塚治虫さんや藤子不二雄(A)さん、藤子・F・不二雄さんなどの漫画家たちが暮らしたアパート「トキワ荘」(豊島区南長崎)近くに、岩楯さんたちは住んでいる。旧トキワ荘の近辺は今、「マンガの聖地としまミュージアム」として区が整備に着手。まちつくりが進む中、子どもやお年寄りも立ち寄れるような居場所を作りたい。岩楯さんはそんなことを今、夢に描いている。