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ブラックフェイス問題、思考停止の「自粛」ではなく「自律」を…山田健太教授に聞く
専修大学の山田健太教授(文学部)

ブラックフェイス問題、思考停止の「自粛」ではなく「自律」を…山田健太教授に聞く

人気のお笑いコンビ・ダウンタウンの浜田雅功さんが、2017年末のテレビ番組の中で顔を黒くメーク(ブラックフェイス)して登場したことが議論を呼んでいる。ネットを中心にアフリカン・アメリカンに対する差別という声が出て、海外のメディアでも話題になるなど波紋が広がった。

その一方で、差別の認識のない行為を差別的であると決めつけることに反発する声も出ている。その後、日本テレビは再放送で問題のシーンを2度放映、演出に問題はないという姿勢を示した。メディアと差別的な表現の問題について、専門家の意見を交えて検討した。(ジャーナリスト・松田隆)

●「人間性を否定されたような」の声と、反発の声

問題の番組は2017年12月31日放映の「ガキの使い!大晦日年越しSP絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!」(日本テレビ系)。

他の出演者がドレッシングルームから警察官の制服を着て登場する中、浜田さんは米国の人気俳優エディ・マーフィーさん主演「ビバリーヒルズ・コップ」のアクセル・フォーリー役の時のジーンズにスタジアムジャンパーを着て、顔を黒く塗って登場した。

これに対して、在日の作家・コラムニスト・教師でアフリカン・アメリカンのバイエ・マクニール氏はツイッターで「ブラックフェイスはジョークではない」などとつぶやき、さらにハフィントンポストの取材(2018年1月3日公開記事)に以下のように答えた。

「ブラックフェイスを見るたび、見下されたような、馬鹿にされたような、そして表面だけを見られて、人間性を否定されているような気分になります」(ハフィントンポスト 2018年1月3日公開記事より)。さらに英国BBC、米国ニューヨーク・タイムズも一連の経緯を報じた。

一方、タレントのフィフィさんは「意図によっては批判されるだろうけど、黒人に扮しただけで差別って? そう指摘する人たちこそ、優劣をつけて人種を見てる気がする」とツイッターでつぶやき、支持する意見も少なくなかった。

●テレビ局の自主的な運営と、抗議に対する「自主規制」

このようなことが問題になるのは、放送法上、差別的な表現が法律で禁じられているわけではない点にある。

テレビ局の番組編成は「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」(放送法3条)と規定され、憲法21条1項が保障する表現の自由による保護の対象なのは明らか。

そして放送番組の編集は「公安および善良な風俗を害しないこと」(同4条1号)等の制約は存在するが、罰則規定はない。どのような表現をするかは、局の自主的な運営に任されている。

そのため特定の表現に対して個人や団体が異議を唱え、そのやり取りの積み重ねの中でメディアが自主的に規制するシステムが出来上がった。

それは報道機関のモラルの発露であると同時に、(抗議を受けると面倒なので控えておこう)という消極的な理由もあったことは容易に想像がつく。そこで新たな問題が発生する。局のこうした配慮が表現活動の萎縮に繋がり、結果として表現の自由に対する制約になる点である。マクニール氏とフィフィ氏の意見の対立も、その点に集約される。

このような視点からメディアと表現の問題に詳しい専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科の山田健太教授に聞いた。

●専修大学・山田健太教授「またやってるな」

――問題となった番組とシーンについて、どのような感想をお持ちでしょうか

「またやってるな」という感じです。不勉強、安直で基本的に否定的な感想を持っています。

――この番組とミンストレルショー(※)の共通点と異なる点をご指摘ください

黒人あるいはブラックフェイスを笑いの対象にした、あるいはしようとした点に関しては同じでしょう。ただ、ミンストレルショーは時代背景からしても黒人を揶揄する、それを使って笑いを取る、そういう意図を持った番組なのに対して、今回の場合はそこまでは読み取れません。そこに大きな差はあると思っています。

(※ミンストレルショー=ブラックフェイスの白人による音楽や寸劇などのショー。差別的なことを理由に現在は行われていない)

●「もう少し工夫しても良かった」

――悪意がなくても、あのような表現は控えるべきとお考えでしょうか

地上波でやるにおいては、もう少し工夫してもよかったと思います。絶対ダメとは言いません。境界線上、グレーなのは間違いないでしょう。

――白人の仕草を大げさにした、なだぎ武さんのような芸は許されるのでしょうか

デフォルメして特定の人種を扱うことは、ある種、嘲笑の対象にしようということですからあまり良くないことでしょう。

それをパロディーとして成立させようと思った場合には、その対象は蔑みではなく、強者や権力者に対するものでなくてはいけないということが大前提。それからすると白人をパロディーにすることは、ありうると思います。しかし、黒人をパロディーにすることはあり得ません。

●「自粛」と「自律」は違う

――今回は強者であるエディ・マーフィーさんをオチにしているように思えますが

そういう見方もあるかもしれません。しかし私が見た時の直感では、肌の色をオチに使ったと感じました。あまり気分はよくありません。今も肌の色をオチにしたと思っています。

――今回の件で報じる側が萎縮して、表現の自由の制約につながりかねない点についてはどのようお考えでしょうか

テレビ局は基本的にはもっと自由に、「やんちゃ」にやるべきだと思います。それが、ああいう形でしか出てこないというのが問題です。

風刺、パロディー、他にはあまりやってないのに、今回のようなことだけで出すという部分に違和感がぬぐえません。私が言いたいのは「自粛」と「自律」は違うということです。「自粛」は思考停止の中で言わないこと。抗議を受けてもいったん立ち止まって勉強せずに、ただ言うのをやめるだけで社会の差別的構造は何も変わりません。

大事なのは自ら律してマイノリティーを揶揄するような問題をよく考えていくこと、すなわち「自律」です。今回の件はそうした自律を抜きに、安直に無自覚に行われたであろうと他者から見えてしまうことが問題だと思っています。

【取材協力】

山田健太(やまだ・けんた) 専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科教授、青山学院大学法学部卒業。主な著作に「放送法と権力」(田畑書店/2016年)、「法とジャーナリズム 第3版」(学陽書房/2014年)、「現代ジャーナリズム事典」(三省堂/2014年)、「言論の自由」(ミネルヴァ書房/2012年)ほか。

【プロフィール】

松田隆(まつだ・たかし)

1961年、埼玉県生まれ。青山学院大学大学院法務研究科卒業。日刊スポーツ新聞社に29年余勤務後、フリーランスに転身。主な作品に「奪われた旭日旗」(月刊Voice 2017年7月号)。

ジャーナリスト松田隆 公式サイト:http://t-matsuda14.com

(弁護士ドットコムニュース)

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