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宝塚「報告書」に欠けていた視点 劇団員は労働者か否か…弁護士が読み解く
宝塚歌劇(けいわい / PIXTA)、遺族代理人を務める川人博弁護士(2023年11月10日/弁護士ドットコムニュース)

宝塚「報告書」に欠けていた視点 劇団員は労働者か否か…弁護士が読み解く

宝塚歌劇団の劇団員の女性が急死した問題で、歌劇団は11月14日、外部弁護士による調査報告書を公表した。女性が長時間の業務を強いられ「強い心理的負荷がかかっていた可能性が否定できない」と認める一方で、上級生によるいじめやパワーハラスメントは、確認できなかったとした。

遺族側の代理人は同日、「結果にも問題があり、結果に至る過程にも問題がある」などとして、再度の検証が必要だと訴えた。

今回の報告書について、笠置裕亮弁護士は「劇団員に過重な負荷がかかっていたことを認め、それを解消するための方策が検討されている」点を評価する一方で、「劇団員が労働者であることを正面から認め、歌劇団が労働法令を遵守することを表明することが必要だった」と指摘する。笠置弁護士に詳しく聞いた。

●「報告書は労働者性の判断を回避」

——調査報告書の内容について、笠置弁護士はどう評価していますか

私としては、劇団員の労働者性を認めるかどうかについて、最も注目をしていました。ところが、報告書は「本件事案が発生した事実関係及び原因の調査をすることを主眼としているため」ということで、労働者性の判断を回避してしまいました。

これでは、歌劇団は劇団員にとって良好な職場環境を作っていくため、労働法上の義務を負わなくてよいということになってしまい、労働基準監督署を初めとする監督官庁の監視機能も働かなくなるということになります。果たして、長い伝統のある歌劇団において、自主的な努力のみによって職場環境の改善が可能なのでしょうか。

劇団員に過重な負荷がかかっていたことを認め、それを解消するための方策が検討されていることは評価できるものの、真に実効性のある方策を打ち出すためには、劇団員が労働者であることを正面から認め、歌劇団が労働法令を遵守することを表明することが必要だったのではないかと考えます。

●劇団員は「労働者」なのか?

——遺族側代理人は、宝塚歌劇団と女性が交わした契約書の内容からも「劇団と女性は実質的に労働契約だ」と指摘しています。笠置弁護士はどのようにみていますか

契約書は業務委託(フリーランス)の関係だということで整理されているようですが、報道されている情報によると、劇団員は歌劇団からかなり強力な拘束を受けているようです。そうだとすると、業務委託(フリーランス)の関係ではなく、実態としては労働契約に当たるのではないかと考えられます。

労働者だと認められるためには、(1)仕事の依頼・業務従事の指示等に対し、諾否の自由(断ってもよい自由)があるかどうか (2)業務遂行上の指揮監督(会社が業務の具体的内容及び遂行方法を指示し、業務の進捗状況を把握、管理しているなどの実態)があるかどうか (3)勤務時間や勤務場所の拘束があるかどうか (4)代替性(他人がその仕事を代わりにやってもよいこと)があるかどうかといった要素が考慮されます。

契約書によると、本業と言える舞台だけでなく、様々な媒体への出演が業務として義務付けられているほか、定められた日程での稽古への参加・技能の向上・容姿の管理までもが義務付けられています。

業務内容の決定については、一切歌劇団の方針に従い、異議を申し立てないことについても誓約させられています。舞台等、歌劇団が出演を求めた企画への欠席をすると、出演料を減額するという条項も含まれています。芸名やパブリシティー権の権利は歌劇団の専権下にあるともされています。

このような契約内容を見ると、かなり拘束性の強い契約だと言えます。

——歌劇団では5年目までは労働契約を締結し、6年目以降は業務委託となっています。6年目も労働者性が認められる余地はありますか?

時間的・場所的な拘束の強い労働実態があったことも併せて考えると、(1)~(4)はいずれも満たされると思われます。報酬の決められ方の実態が現時点で不明であるため、確定的なことは申し上げられませんが、5年目の劇団員までは労働契約が締結されていることからしても、6年目以降の劇団員についても労働者性が認められる可能性は高いと思われます。

本件のような被害を防ぐためには、業務委託(フリーランス)である以上、健康管理は劇団員任せとするのではなく、正面から劇団員の労働者性を認め、労働法にしたがって歌劇団が責任をもって劇団員の健康管理をしていくほかないものと思われます。

●「ハラスメントに関する調査内容・結果にも疑問」

——遺族側が訴えている上級生からのいじめ、パワハラについての報告書での言及についてはどうでしょうか

ハラスメントに関する調査内容・結果にも疑問があります。

上級生とのトラブルについて、報告書は「上級生から故人がいじめを受けていたかどうか」という問題だと整理し、ヘアアイロン事件のあった前月の両者のやりとりを根拠にいじめはなかったと結論付けています。

確かに、加害者が被害者に対し、長期間悪感情を持ち続け、嫌がらせを執拗に継続するということが往々にしてある種類のいじめなのであれば、事件から相当前からの出来事から調査し、そこで友好的なやりとりがあれば、そうではないという結論になるのかもしれません。

しかし、いじめの加害者が被害者に対して一貫して加害行為を取り続けるということはむしろ珍しいのではないでしょうか。また、ハラスメントの場合には、少し前には人間関係に特段問題がなかったにもかかわらず、さしたる原因もないのに突然加害者が激高して加害行為が行われるということも珍しくありません。

報告書の問題の整理の仕方は、いじめやハラスメントの実態に見られる経験則に反しており、自然と否定的な帰結になってしまいやすいものになってしまっているのではないかと思います。

報告書の内、公表されているものではマスキングされてしまっている箇所も多いため、文脈がたどりづらいものがありますが、報告書の中で関係者間の供述が分かれている部分でも、なぜ故人の2021年10月当時の休演理由が加害者との人間関係の悩みでなかったと結論付けられているのかが判然としません。

ただ、故人の当時の悩みは、同僚との人間関係だったことには間違いないのであって、この段階で何らかの対策が講じられていれば、違った帰結になった可能性があります。

また、劇団内には下級生が上級生に指導をお願いするにあたり、舞台稽古1日目に「お声がけ」というものをしなければならない慣習があったようです。亡くなる直前の時期に、過密なスケジュールの中で、故人が適切なタイミングでお声がけができなかったという出来事がありました。これにより、故人は厳しい指導を受けるに至っています。

この点、報告書は、過密なスケジュールに問題があったことは認める一方で、お声がけができていなかったことで叱責が厳しいものとなったこともやむを得ないと判断し、指導の態様や手段が相当性を欠くものではないと結論付けています。この出来事が故人にとって一定のストレスになっていたことは認めつつも、ハラスメントではないと結論付けているというわけです。

しかし、そもそも下級生が上級生に指導をお願いする際に、「お声がけ」という儀式を履行しなければならないこと自体、客観的に見ておかしいのではないでしょうか。ましてや、過密なスケジュールであったわけですから、そのような儀式を踏まえることができなかったという事情も認められます。それにもかかわらず、厳しい指導が加えられてしまっているわけですから、客観的に見れば合理性がない指導だと判断すべきではなかったでしょうか。

●「歌劇団が劇団員の健康に配慮していないという批判を免れない」

——歌劇団側の対応には問題があったと言えるのでしょうか

もっとも疑問なのが、宙組内で、被害者である(可能性のある)故人と加害者である(可能性のある)上級生を交えた全体の話し合いが行われていることです。

トラブルの事実関係が判明していない段階で、立場の異なる者同士をともに出席させて話し合いをさせるという対応は、被害者にとっては率直に被害申告ができないという状況を生み出しかねず、かえって被害者の心理的負荷になることは、常識的に考えても明らかではないでしょうか。

歌劇団は故人に対し、「話したくないなら話さなくて良いから話し合いを行ってもいいか」とまで述べて了承を取ったようですが、被害者側の了承が取れているから誤った対応をしてよいということにはなりません。

このような対応を取ること自体、歌劇団が劇団員の健康に配慮していないという批判を免れないように思います。現に、話し合いに出席された直後から、故人は体調を崩されているようです。

報告書では、そもそも2023年2月4日に全体の話し合いが行われたことについて何ら問題視をしていないばかりか、話し合いの場で故人が何も発言できていなかったことに対して問題意識を持つ趣旨の下級生らに供述に対し「仮に、前組長ら当時の幹部が慎重に故人の意思を事前に確認して話し合いを実施したという経緯を下級生も知ったうえで話し合いの場に臨んでいたとすれば、下級生が故人の沈黙について受けた印象は全く違ったものになっていたと考えられる。」とまで述べ、話し合いの実施を正当化してさえいます。

ここには、劇団員間でのハラスメントが生じた場合の対応としてそもそも適切な対応だったかという根源的な視点が欠落していると考えます。これも、いじめがあったかなかったというだけの問題に矮小化してしまっているがゆえに生じた問題ではないかと考えます。

過重労働問題をめぐる外部弁護士による調査報告書が作成される事例が増加しているように思いますが、被害者側が知り得なかった事情にまでも良く分析され、根底的な原因からの改善提案が行われるなど、本当に内容が優れているものはごく一部にとどまります。

本件でも、社会的な注目を集める事件であるだけに、視点の欠落が見られたり、評価に疑問が残る部分が見られることについては残念に思いました。

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