"自分のメンタルヘルスの状況を逐一報告し続ける"をテーマに発行されているフリーペーパーがあります。名前は『ゾンビ道場』。一度聞いたら忘れられないインパクトのあるフリーペーパーは、双極性障害と解離性障害を抱えて活動しているイラストレーター・漫画家のTokinさんによって10年以上前から制作されて、今年8月には30号を迎えました。
「障害を隠すことが社会生活の基本だった」というTokinさんが、"やけっぱちの躁状態で描き始めた"はずの「ゾンビ道場」は、同じ障害の当事者だけでなく、家族や支援者、医療従事者の間でも話題を呼んでいます。死にそうで意外と死なない自分はゾンビみたい――。そう自らをたとえるTokinさんに人生のコツを聞きしました。(成宮アイコ)
●双極性障害と解離性障害を隠しながら生きてきた
『ゾンビ道場』の表紙(本人提供)
——『ゾンビ道場』を作ることになったきっかけを教えてください。
自分は双極性障害と解離性障害を抱えているのですが、学校や職場など普段の生活では、障害を隠さなくてはいけない場面が多かったんです。「隠すこと」が社会生活の基本でした。
あるとき、大きく体調を崩して会社をやめざるを得なくなり、同時にフリーで受けていたイラストの仕事もうやむやになってしまいました。自分にはもう何もない。だけど、失うものがない今なら障害がバレても困らないかもしれないとも思えたんです。そこで一度すべてをオープンにしてみようと『ゾンビ道場』を描きはじめました。
——解離性障害は多重人格と結びつけて取り扱われることが多いですが、実際、Tokinさんの症状はどのようなものだったのでしょうか。
解離って、多重人格の部分だけが取り上げられることが多いのですが、人によって症状はさまざまです。自分の場合は離人感が一番強くて、自分が人形劇の人形のように感じます。劇がうまく進むように取り繕いながら毎日が過ぎていく。現実感を持てないまま現実に対処をしているので、まさに自分が2人いるような感じです。
自分の意志はあるけれど、それを人に言わないし、言えない。でもなぜ言えないのかもわからない。そうしているうちに自分自身と現実の距離がどんどんできていってしまう。生きている感じがないんです。
それが解離の症状だと知らずにいたので、普通を取り繕うことに限界がきて、高校を途中でやめました。いざ大学進学を前にしたら、やるべきこと、やりたいこと、そして自分が実際にやっていることがすべてチクハグになってしまって、どのベクトルで生きていけばいいのかわからなくなってしまったんです。
個展風景(本人提供)
——掴めない苦しみを抱えたまま日々を過ごす中で、それが解離の症状だとわかったのはいつでしたか。
鬱の症状として、病院には長く通っていたのですが、何も改善しませんでした。ある日、友人に紹介をされたカウンセリングに行ったら、「解離性障害は知っていますか?」と聞かれたんです。もちろん初めて聞く言葉でした。
そこで検査して初めて、これまで自分が困っていたものが解離性障害の症状だとわかったんです。解離の感覚は「不快感」でしかなかったし、現実感がないことが当たり前でした。それを直せるなんて考えたこともなかったです。
——解離性障害というのは、本人はもちろん病院の先生も気づきにくい症状なんですね。
とにかく説明が難しく、自分自身でもわかっていないから言葉にできないことが大きいと思います。当事者同士での会話中にときどき出てくる話題なのですが、「その人は友だちだったと思うんだけど覚えていない」。それって人間関係を途中で忘れてしまっている場合が多いです。相手は自分を友だちだと認識しているから、自分も友だちのふりをして話さなくちゃいけない。けれど、本当は覚えていない。
——自分だけ覚えていない毎日を想像すると、孤独の中に放り投げられるような気がします。記憶や感情は戻ってくるのでしょうか。
自分の場合は、「ちょっとわかってきたぞ…」となんとなく徐々に気持ちが戻ってきたりします。
すべての現実が、浅い夢を見ていたように感じてしまうんです。眼の前にいる人が友だちであることも、今いる場所がよく来ていた場所であることもわかってはいるのですが、そこに自分の感情が伴ってこない。友だちだったら親しみを感じたり、思い出話をして盛り上がったりできますよね。わたしは解離をするとそこに感情が再生されてこないんです。情報として覚えてはいるんですけど、自分の記憶としては覚えていない。日々が映画を見ているような感覚です。
●死にそうで意外と死なない自分はゾンビみたい
『ゾンビ道場』の紙面(本人提供)
——『ゾンビ道場』という名前はとても印象的で、1回聞いたら忘れられないインパクトがあります。
普段の自分はこうして生きているし、ハイテンションで活動的になりすぎるときもありますが、ひとたび鬱の時期になると、この世の終わりくらいにダメになってしまいます。だけどそこからなんとなく復活して、死にそうだけど意外と死なない自分はゾンビみたいだなと思って名付けました。
——今は多くのSNSがあり、発行当時はmixiなどもありました。その中でどうしてフリーペーパーの形態を選んだのでしょうか。
フリーペーパーの偶然性みたいなものが自分には合っていたんです。ネットを使えば「この情報がほしい」とピンポイントで探せますけど、フリーペーパーはたまたま行った喫茶店や本屋さんにたまたまあって手に取るものだから。そこで、「なんだこれは?」と気になってもらいたかったんです。
——自分のことを人に伝えるのは良いことばかりではないと思いますが、継続していく中で反響はいかがでしたか。
1~3号までは失うものはないぞというやけっぱちの躁状態だったので、「みんなに病気の大変さをわからせたるわ」という強気な気持ちだったはずが、ふと落ち込んだときに、もしかして落ち込んでいるということをそのまま『ゾンビ道場』に描いてもいいのかもしれない、と思えたんです。そこからは「落ち込んでいる…」っていう号を出したり、「不眠」をテーマにしてみたり、現状のことを素直にそのまま出すことにしました。
そうしたら、意外にも「わかる」って共感されることが増えたんです。「実は自分もそういう時期があって……」と言われたりして、世の中は自分が考えていたよりも他人を受け入れてくれるのだと驚きました。
●障害を持つ自分にとって、世界は敵だらけだと思っていたけれど…
——Tokinさんのnoteに「ついイガイガした気持ちと戦ってしまうけれど、なんとなく隣りにあることがベストなのかも」と書かれていました。自分のメンタルを伝え続けることによって、ご自身に気持ちの変化はありましたか?
障害を持つ自分にとって世の中は敵だらけだし、どうせわかってもらえないだろうと思っていたんですけど、『ゾンビ道場』を通して、味方も結構いるんだなと知りました。そして、楽しそうに生きてるように見えるみんなは元気で健康なんだろうな…と思っていた自分にこそ偏見があったんだと気付かされました。そう気づいてからは今にいたるまで、「わかってほしい」ではなくて、「ねえちょっとみんな聞いてよ~」という気持ちで描くようになりました。
——フリーペーパーとして見える範囲に配っていたはずが、知らない土地で知らない人からも多くの共感を集めるようになっていますよね。
海にボトルを投げるような気持ちで描いていたので、多くの反応をもらえて驚きました。他人のすべてを共感することはできないけれど、「自分と同じような人がいるんだって思えて嬉しかった」と言われると、その人の孤独がちょっと和らいだんだなと思えてすごく嬉しいです。
これは、まったく予想をしていなかったのですが、当事者の人を支援している家族や学校の先生、医療従事者の人からも感想を多くもらいます。当事者の気持ちを理解したいと思っている人から、解離の症状を知ることや心の動きがわかりやすかったと言ってもらえると役に立って良かったなと思います。
●マイペースが当たり前に存在してほしい
——今でも自身が手で配り、あるいは郵便で届けるフリーペーパーにこだわっている理由はなんでしょうか。
ネット特有のすぐ反応が戻ってくる感じがあまり得意ではないんです。だけど、フリーペーパーだったらそれぞれが持ち帰ってその人のペースで感想を言ってくれるし、自分も落ち着いて感想を受け取ることができます。その距離感がちょうどいいんです。
即レスという言葉が苦手なんですよね。今って、問題意識を持っていてもすぐに反応をしないと考えていないことにされたり、反応を受けた側としてもすぐ返事をしなくてはいけなかったりする。社会はもっとゆっくりしてほしい。マイペースが当たり前に存在していて、声が小さい人や言葉が早くない人も生きやすくいられたらいいなと願っています。
——先日のnoteに「メンタルに問題を抱えて生きるのは大袈裟じゃなくサバイバルなんだ、生き残った人しか生きていない 」と書かれていました。Tokinさんを繋いできたものを教えてください。
自分がダメになりそうなときって、一瞬の神様が現れたりするんです。落ち込んで寝込んでいるときに好きなアーティストが数年ぶりにライブをすることが決まったり、好きな映画の公開が決まったり。その日までは死ぬわけにはいかないっていう一瞬ずつのことが自分を救ってくれました。ヘンゼルとグレーテルのように、目の前のパンくずを拾って少しずつ生き延びているイメージです。これからもマイペースに描き続けていくので、『ゾンビ道場』も誰かの一瞬の神様になっていたら嬉しいです。
●『ゾンビ道場』を読む
なお、『ゾンビ道場』はフリーペーパーだが、現在はPDFでも無料で閲覧することができる
https://zombiedojo.actibookone.com/