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ジャニーズ性加害問題、元ジュニアの中村一也さん「辞めてからも未練や後悔はずっと」
中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース)

ジャニーズ性加害問題、元ジュニアの中村一也さん「辞めてからも未練や後悔はずっと」

ジャニーズ事務所の創業者、故ジャニー喜多川前社長による性加害問題。「ジャニーズ性加害問題当事者の会」(平本淳也代表・以下「当事者の会」)発起人のひとりである元ジャニーズJr.の中村一也さん(36)はこの5月、自身が中学3年生の時に、“合宿所”と呼ばれるジャニー氏の自宅マンションに呼ばれ、被害を受けたことを告白した。

中村さんによれば、翌朝、ジャニー氏から万札を手渡されたが、その直後、受験を理由に退所している。現在は「当事者の会」の一員として、国連人権理事会の作業部会や立憲民主党のヒアリングを受けるなど、精力的に活動しているが、『週刊文春』(5月31日号)に自らの経験を語るまで、母親と数人の友人以外にこの話をしたことはなかった。

「ジャニーズ事務所がもうけた外部専門家による再発防止特別チームの方とは話していません」という中村さん。告白のきっかけや、退所後の人生、そして現在について聞いた。(ライター・高橋ユキ)

●入所後も性加害報道は「知らなかった」

——中村さんが被害を初めて告白した『週刊文春』(5月31日号)によれば、2001年1月に入所し、翌年の2002年10月19日に被害に遭われたとのことです。東京ドームでタッキー&翼のデビューを記念したコンサートがあった日の夜ですね。1999年には『週刊文春』がジャニー氏による性加害を報じ、被害当時は民事裁判の最中だったと思います。被害に遭う前、そのことを知っていましたか。

「知らなかったです。入所後、学校の同級生に、ジャニーさんのセクシュアリティに関する質問を受けたことはあります。でも、もちろん知らないので『いや特に、俺は何もされてないよ』と答えていました。ジュニア同士でも、自分に対しては、当時全然そういった情報の共有はなかったです。もう少し後の世代のジュニアは情報の共有があったようですが」

中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース) 中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース)

——文春によると中学3年生、15歳のころ被害を受けたとのことですが、されたことの意味は理解していた時期ですか?

「理解してました。初体験が早かったので……。行為の最中は、ああこれかっていう感じでした。学校でジャニーさんのことは噂程度で聞いてたけど、ああ、こういうことなんだって。行為の間は、とりあえずもう……何だろう。寝たふり、それがもう精一杯っていうか。もう、早く終わってくれ、っていうのが、印象的でしたね」

●事件の直前にみた5万人のペンライト

——中村さんはジャニー氏からの行為を受けて、その後は合宿所への誘いも断り、ほどなく退所されましたね

「受験休みに入るジュニアもいたので、そのタイミングで休むようになりました。正式に退所をする前に一度、仲の良い同期から『ジャニーさんが来いって言ってるから、1回来い』みたいな電話がかかってきました。『泊まりに来い』って言われたような気がするんですけど。もう俺は行きたくないって言って断りました。なんかもうとにかく、あのこと(性加害)が嫌だった。嫌なものは嫌、みたいな。

中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース) 中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース)

被害に遭った日、5万人の観客がいる東京ドームのコンサートにバックダンサーとして出て、その時見たペンライトがすごく綺麗だったのは覚えてるんです。でもコンサートが終わった晩に、その行為があって。翌日のコンサートでも舞台に立ったんですけど、その時また見た景色は、全然楽しくなかった。

ただ自分がメインで出ていたら、コンサートはすごい高揚感を覚えるんだろうなと思います。行為に耐えて得られる対価がなかなか得難いものだから、我慢しようと考える人もいるのかもしれません」

●母は「訴えてあげようか」

——お母さんには、被害を打ち明けていたとのことでしたが

「『当事者の会』の他のメンバーは、親には言えなかった人が多かったみたいです。自分は、母方のおじいちゃんっ子で、かつ一人っ子なんで、ママっ子でもあった。辞めることを決めた時も、明るいところでは言いづらかったんで、母が寝てるときに、コンコンって寝室のドアをノックして開けて『話があるんだけど』程度な感じで、暗がりで話しました。実はこういうことがあったって」

——そのときのお母さんの様子はどんな感じでしたか

「自分は泣きじゃくって話した記憶があるんですけど、母は、怒りと悔しさと……っていう感じだったのかもしれないです。後になっても時々、思い出したように『ママが訴えてあげようか』と言われたりもしました。でも、なんですかね……もう意味ないとしか思えなかったというか。僕としては周りに知られたくないというのも一番の理由でした。当時、付き合ってた彼女にももちろん言えなかったです。

被害を受けた後にも、ジャニーさんのセクシュアリティに関する質問をされることもありました。学校にジャニーズのメンバーがいることって、そう多くないじゃないですか。なのでやっぱり退所しても、元ジャニーズっていう看板は、ずっと下りないんですよね。

北公次さんの告発本や週刊文春なんかで噂を知っていた親世代が、子どもにその話をしていたかもしれない。『ジャニーさんはホモみたいだよね』みたいな話を親御さんが子どもに言えば、それが拡散されますから、退所後も『ジャニーさんに何かされたの?』ってよく聞かれて『いや俺は別にそういうのをされてないよ』ってその場をしのいできました」

●退所後も未練や後悔は「けっこう長く、長くありました」

中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース) 中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース)

——華やかな世界を見て辞めた後、芸能界への未練や後悔はありましたか

「けっこう長く、長くありました。当時一緒に活動していた方がテレビで活躍している姿を見ると、ああ、我慢してやってればよかったな、っていうことを思わせるぐらい、勘違いさせられる世界観なんです。何より自分たちがメインでコンサートをやれるのは多分すごい気持ちいいことだと思うんですよね。同期がデビューしたときは、やっとけばよかった、って後悔が何年も続きました」

——被害を受けた方がそんな後悔をしなければならないのは腹立たしいです

「いや、本当にそうですね。昨日も考えてたんです。実際に行為があったその時間自体は30分とかそのぐらいの感覚なのに、自分の中では21年、ずっとそれが生き続ける。そしてこの先もずっと、生き続けるわけです」

——現在は、車の販売の会社を経営されてますが、その商売でやっていこうと吹っ切れたのはいつですか

「最近じゃないですかね。経営が安定するようになって、大型自動二輪免許を取得してバイクに乗ったり、カートレースにも挑戦したりといろいろな趣味にも挑戦できるようになりました。ハーレーを持ってるんですけど。バイクには乗って欲しくないっていう父の考えがあって、すごい心配されています」

●告白のきっかけは「カウアンくんの告発動画を見たこと」

——そのように、長らく周囲に伏せていた経験を話そうと思ったきっかけはなんですか

「春に、カウアンくんの告発動画を見たことですね。すごく動かされるものがあった。まだ若いのに実名顔出しで語っていたこと、そして内容についても赤裸々で、ここまでオープンに語るのかと驚きました。

それから、なにか僕も言えることがないかなと数日考えて、まず初めて友人に打ち明けたんです。すると『文春に言ったらいいんじゃない?』と言われて、問い合わせフォームから連絡したら翌日連絡が来て取材を受けることになりました。もうやってやろう、という気持ちになっていたので、実名顔出しということについても、覚悟はできていました。

カウアンくんが動画で『他の人も声をあげてくれたら』みたいなことを言ってくれていたんです。真実として性加害はあったよね、っていう自分の経験が、少しの足しにでもなるならという気持ちでした。そして取材を受けた後の5月末、ジャニーズ事務所が公式見解を発表しましたが、ジュリー社長は『知らなかった』と言っていましたよね。ふざけるなと思って、あれで余計に火がつきました」

中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース) 中村一也さん(2023年8月、弁護士ドットコムニュース)

——親しいご友人たちの反応はどうでしたか?

「国会へヒアリングに行ったことがテレビでも報じられ、色んな人から連絡をもらいました。態度を変えるようなこともなく、むしろ応援してくれる声の方が大きいです。

見知らぬ人からの誹謗中傷は、僕には数える程ですね。初めの頃は『文春からお金いくらもらったんですか』っていうのと『嘘ついて楽しいですか』というようなDMが来ました。

よく見かけるのは『研修生で被害を受けているはずがない。中村一也はジャニーズJr.ではなく、研修生だ』というもの。でも、研修生のところもジャニーさんはウロウロしていたんです。NHKでの収録の時とかには、地下の食堂でご飯を食べられるよう1人1000円くらい配っていましたし」

●「潰れてほしいとは思わない」

——国連人権理事会のヒアリングを受けられましたが

「ヒアリングでは、そのまま被害に遭った状況を、素直に話しました。『週刊文春』に話した内容となんら変わりないことをそのまま話して。目を見て話を聞いてくれて、真摯に受け止めてもらったという印象を持ちました。

ジャニーズ事務所がもうけた外部専門家による再発防止特別チームの方とは話していません。当初、心のケアの窓口はあったものの、再発防止特別チームに繋がる直接的な窓口はなく、心のケアの窓口に『再発防止特別チームに繋いでくれ』と伝えたら、メールが届き、電話で話をすると2週間後の日程を指定されました。

その電話先は心のケア窓口であり、再発防止特別チームではなかった。ところが国連人権理事会が来ることになった時期、再発防止特別チームから突然電話がかかってきた。今更の対応に不信感を抱き、現時点ではまだ話をしていません」

——事務所や芸能界に望むことなど、離れたからこそ思うところはありますか

「今更、どうなってほしいっていう気持ちはないですね。もうその段階じゃないような気がしています。だからといって事務所が潰れてほしいなんてことは思わないんですけど、ただ被害者に対しての救済措置は考えてほしいなと思っています。

今でもずっと口に出せなくて過ごしている人たちは間違いなくいるわけで、『当事者の会』にも徐々にメンバーが増えてきています」

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