傍聴席の出入り口が施錠され、裁判が「非公開」となったことを理由に、裁判のやり直しが命じられる珍しい出来事が2月6日にあった。
発端は2019年10月、前橋地裁太田支部であった窃盗事件の公判。被告人を法廷に護送した警察官が、傍聴席の出入り口を閉廷時まで施錠してしまったという。
同支部は施錠を把握していたものの、審理を続行し、有罪判決を言い渡していた。ところが、東京高裁(後藤眞理子裁判長)は、憲法の「裁判公開の原則」に反するとして一審判決を破棄。地裁に差し戻す判決を言い渡した。
報道によると、地裁の傍聴席には被告人の関係者2人が席に座っていたそうだから、完全な「非公開」だったわけではないようだが、どうしてそこまで「裁判の公開」が重要なのだろうか。(監修:濵門俊也弁護士)
●裁判が密室で行なわれたら…?
日本国憲法82条1項は、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」とある。とくに刑事事件については、37条に「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」との規定がある。
なぜ「公開」が必要なのか。法廷で一般傍聴者もメモができるきっかけになった「レペタ裁判」で、最高裁は次のように判示している。
「(日本国憲法82条1項の規定の趣旨は)裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある」(最大判平成元年3月8日民集43巻2号89頁)
裁判が密室でおこなわれれば、不当な判決が導かれてしまう可能性がある。
たとえば、明治天皇の暗殺を計画したとして、幸徳秋水ら24人に死刑(うち12人は「特赦」で無期懲役)が言い渡された「大逆事件」(1910年)は非公開で審理された。現在では社会主義者を弾圧するための「でっちあげ」だったという見方が有力だ。
大日本帝国憲法(59条)でも、裁判の公開自体は謳われていた。
「裁判の対審判決は之を公開す但し安寧秩序又は風俗を害するの虞あるときは法律に依り又は裁判所の決議を以て対審の公開を停むることを得」(カタカナをひらがな化)
現在の日本国憲法も、「裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合」(82条2項本文)は「対審」を非公開とできるとしている(言い換えると「判決」は常に公開されなければならない)。
ただし、政治犯罪や出版に関する犯罪など事件の「対審」については、「常にこれを公開しなければならない」(82条2項但書)とされており、過去の思想弾圧などに対する反省があるとみられている。