宮田 陸奥男 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
学生時代に松川事件の弁護団の活動をみて感動しました。自由業だから自立した仕事ができ、権力から束縛されずにできる仕事ということで弁護士になりました。
松川事件は戦後最大の冤罪事件といってもいい事件です。アメリカのCIAが謀略を仕掛けたのではないかと言われ、何人も死刑判決を受けましたが、最終的には全員無罪になった事件でした。ちょうど私が法学部の学生だった時に、判決をラジオを聴いて涙を流して喜びました。
しかし、当時は学生運動華やかなりし頃でしたので、学生時代は弁護士になることは闘いから逃げる日和見主義だという考えがありました。あまり勉強せずに卒業し、そのまま政治活動を数年やっていました。
その後、体を壊して何か職業を持って活動をした方がいいのかと思い、はじめて仕事のことを考えました。そこで今更会社に入るのもどうかと思い、司法試験の勉強を始めました。会社勤めだと自由に運動ができないので、仕事をやりつつ活動もできる点から弁護士になろうと思いました。
今までの経験と現在の仕事内容
弱者のためにできる限り役立つ、権力から痛めつけられている者のために事件に取り組んできました。
印象に残っている事件としては、名古屋の人には有名な「たちばな事件」という事件があります。私が弁護士になった頃に、私の義理の兄(姉の夫)が公職選挙法違反で被告人の立場になっていました。衆議院議員の選挙の時に、演説会があるから参加してくださいと言って歩いたことが戸別訪問にあたると逮捕・起訴された事件でした。
そもそも演説会の案内を選挙違反として取り締まること自体が憲法違反だということで、大裁判になりました。事件は最高裁まで20年ぐらいかかりました。判決は残念ながら有罪となり、裁判としては負けましたが、選挙の自由を認めようという運動としては大きな流れになりました。必ずしも弁護士の仕事は裁判だけでなく、選挙の自由や表現の自由を守るための市民運動と結びついていることが大切ではないかと思います。
弁護士になった頃、もう一つ弾圧事件を扱いました。「中川民商浅井事件」という事件でした。名古屋の中川民主商工会に税務署員が反面調査に入り、それに対して商工会の大工さんが銀行員に抗議しました。その際、ネクタイを掴んで押したところ、それが公務執行妨害、傷害罪で逮捕・起訴されました。その事件では、税務調査のあり方が強権的であり、憲法上問題があるのではないか、納税者の権利を守るという側面から裁判だけでなく市民運動と結びついた裁判として闘いました。この事件では傷害罪については無罪となりました。
弁護士としての信条・ポリシー
敷居の低い法律事務所をめざす。そのため事務所で友の会をつくって協同しています。
私が春日井で事務所を開設して以来、市民のみなさんにアクセスしやすい法律事務所を目指して、『春日井法律事務所友の会』をやっています。友の会に入っていただいた方には無料の法律相談を30年以上やっています。会員は常時500人前後、私の友人知人や市民運動の中で知り合った労働組合の方等が友の会の会員となって事務所を支えてくださっています。
入会金1000円で年会費2000円、友の会だよりという会報年4回発行しています。友の会だよりは30年間欠かさずお届けし、その中には「弁護士ムッチーの事件簿」という連載や憲法問題について会員さんが思っていることを発表するなど会員同士の交流の場にもなっています。
また、事務所主催で定期的に法律に関する講演会や相談会を行っています。年一回は大規模な憲法問題の学習会も30年間やってきました。そうしたことが仕事の上でも事務所の経営基盤になってきました。
試行錯誤もありましたが、友の会活動を長年やってきたことは今の弁護士大量増員時代において、友の会があるおかげで助けていただいている側面もあります。
30年間、友の会を運営して
これは半分失敗談でもあるのですが、裁判員裁判制度ができたときに、友の会の役員の中で裁判員裁判は問題が多いから反対だという方がいらっしゃいました。そこで会の中で裁判員裁判についての議論をしました。当時私は裁判員裁判について弁護士会の役員をやった直後で、裁判員裁判は是非前向きに受け止めて活かしたいという立場でした。
人権を守るためには、日本型の刑事裁判には問題が多すぎるので、陪審裁判に近い市民が参加する制度を前向きに受け止めるべきと考えていました。ところが会員の方々と大議論になり、中には会を辞められる方もいました。その方々の意見にももう少し耳を傾けて粘り強く議論すればよかったのですが、私もそれまで弁護士会でやってきた活動が否定されたような印象を受けたので、つい感情的な議論になってしまったと反省しています。
関心のある分野
刑事弁護(とくにえん罪・弾圧事件)に関心があります。
オウム事件の中で派生的に起きたN事件という事件の弁護人を務めました。オウム事件の中でも無罪事件として有名になった事件です。この事件ではNというオウム信者が被告となっていました。彼は元暴力団員という変わった経歴を持っていました。当時、国松警察庁長官狙撃事件という事件があり、この事件にオウムが関わっているのではないかと警察がマークしていました。
そこでNが暴力団出身で拳銃を扱いに慣れているのではないかと当たりをつけ、Nがやっていた不動産の仲介業の取引上のトラブルで恐喝したということで別件で逮捕しました。本件は国松狙撃事件の主犯ではないかと取り調べが進められました。私はたまたま縁があってNの弁護人に選ばれました。事件にとことん取り組み、遂に恐喝事件は無罪になったという事件でした。
私は弁護士になったきっかけとして刑事弁護は弁護士の原点という考えがあるので、刑事弁護には特に力を入れています。最近も若い先生と一緒に無罪判決を取った事件もいくつもあります。
今後の弁護士業界の動向
今までのように受け身に留まっていては取り残されると思います。私が弁護士になった頃は古き良き時代で、事務所に構えていれば事件がきていました。むしろ細かい事件で費用倒れになるような事件は断るようなことが多くありました。そういう意味で弁護士が本当に弱い人たちのために親身になってやってきたのだろうかという反省もあります。
しかし、今後は事務所で構えているような受身の姿勢では生き残れないのではないかと思います。そうはいっても事件あさりで広告を打ってやるということでは必ずしもないと思います。そうしたことをやっている事務所が事件の数を取って、従来型の市民的な弁護士が煽りをくって大変な状況になっているようにも見受けられます。しかし、これは一時的な状況であると思います。基本的に弁護士が真摯にやっていけばまだまだ事件は眠っていると思います。それほど悲観的に考えていません。
一つは高齢者が増えて、高齢者社会にあった弁護士業務では、相続や高齢者の財産管理の事件で今後多いに弁護士が関与すべき分野として挙げられるのではないかと思います。