岩井 羊一 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
学生時代に、水俣病の訴訟の支援の学生の会に入りました。そこで訴訟をしていた弁護士が魅力的だったことが弁護士を目ざす一つのきっかけでした。
また、弁護士は、困った人を直接助ける仕事ができること。組織に属することなく自由に自分の仕事ができると思ったからです。
仕事の中で嬉しかったこと
判決言い渡しに立ち会い、勝訴判決を言い渡される瞬間です。
私は、名古屋南部大気汚染訴訟の弁護団に所属していましたが、2000年11月に「差し止め」を認める判決に立ち会ったときのことは大変印象に残っています。
この事件は1989年に訴訟提起されました。大気汚染物質を排出した会社と名古屋の南部にある国道23号線等の道路から大気汚染物質を排出した国に対して呼吸器の病気になった原告の方が訴えました。この裁判では、一定の濃度をこえる大気汚染物質を道路から排出させてはいけないということを国に命じた判決が出ました。
当時、大気汚染に関して全国で裁判が行われていました。
工場から道路に、大気汚染の問題は移りつつありました。そして、道路から出ている大気汚染物質が健康被害を起こすので損害賠償を認められていきました。
そして、尼崎の道路について2000年1月、初めて道路からの大気汚染物質排出の「差し止め」を認めました。その流れで名古屋はどうなるのかと注目されていました。
2000年11月、名古屋地方裁判所は「差し止め」を認める判決を言い渡しました。私は、この判決に立会いましたが、差し止めと聞いた時は嬉しかったですね。
また、過労死、過労自殺の裁判で勝訴を言い渡され、法廷で、原告の方と一緒に喜ぶときが特にうれしい瞬間です。
それ以外にも、事件が解決した後、岩井先生に頼んで良かったといっていただいたときには、弁護士冥利に尽きます。
弁護士になって大変だと感じること
困難な専門的な内容を理解する必要がある事件を担当するとき、膨大な資料、記録を検討する必要がある事件を担当するときでしょうか。
仕事をする上で意識していること
最終的にどのようにして解決することがもっともよいことなのかを考えることです。
相談であれば、単に相談者の質問に答えるだけでなく、本当にこの人の求めに答えるためにはどのような事情を聞いて、どのような回答まですべきなのか。
受任した事件であれば、言い分が認められるか、退けられるかだけではなく、依頼者のためにできる限りのことをした上で、最終的にどのように紛争を終了するのが依頼者のためにもっともよいのかを考えることです。よく話を聞き、一緒に考えて、説明し、実行することを心がけています。
関心のある分野
労災(過労死、過労自殺)の事件と、刑事事件です。
過労死と考えられる事件の場合。ご遺族は、過重な労働をさせられて死んでしまったと考えているわけです。無念な気持ち、怒りの気持ち、真実を知りたいという気持ち、不安な気持ち、さまざまな気持ちがあります。
労災補償や損害賠償の請求によって、仕事が原因であったと認められ、ご遺族のこれらの気持ちを、少しでも治めることができたときに、やりがいを感じます。
労働基準監督署長が労災と認めなかった事案について、裁判所がその処分を取り消し労災と認める判決を得たときには、国家権力が決めたことが間違っていたということがはっきりします。そうしたときには、弁護士としても達成感も感じます。
刑事事件は、弁護士会の刑事弁護委員会に所属しており、委員会の活動をしていくなかで、事件を多く担当するようになりました。
刑事弁護には、国家権力をまちがって行使されないか見張るという役割があります。その意味でやりがいを感じます。
2つは、いずれも、国を相手にする裁判である点で、共通点があります。
今後の弁護士業界の動向
弁護士は、法律によって、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とすると定められています(弁護士法1条)。弁護士業界は、弁護士がこのような使命の元に弁護士自治を認められていることを自覚し、日々、活動していかなければならないと思います。
司法制度について言えば、誰もが、弁護士にアクセスでき、相談することができるようになること。そのうえで良質な弁護士のサービスを受けることができるようになることが必要です。
そのためには、一般の方は弁護士費用の負担を心配せずに利用できる制度。弁護士にとっても必要な費用が受け取れる制度を充実させる必要があります。
労働審判制度ができて、労働事件を司法の場に持ち込む件数が増えました。労働審判は不当な解雇により泣き寝入りする人に権利行使の期間を与えたものといえます。
司法がさらに利用しやすくなる制度を作っていくために、弁護士、弁護士会が努力していく必要があると思います。