
脇山 拓 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
両親がともに弁護士であり、共同で事務所を経営していたため、職業としての弁護士というものに関心を持つのは一般の人より早かったように思います。加えて、私が大学生のころはバブル絶頂期で、ひたすら金儲けに突き進む銀行や証券会社を始め、景気の良さに踊っている社会を見て、こんなことがいつまで続くのだろう、という懐疑の念もありました。
そういった状況下で、民間の会社に入っても、自分のやりたい仕事ができるかどうかも定かではありませんでしたし、何より人のためになる仕事をしたかったので、弁護士を志しました。
今までの経験と現在の仕事内容
登録後8年間は大阪弁護士会に所属しており、当時は労働事件(労働者側)や労災事件(中でもいわゆる過労死問題)を多く扱っていました。こちらに戻ってきてからは、土地柄もあり、刑事事件はもちろん消費者問題など、いわゆる町弁として幅広い事案を扱っていますが、こうした経験があることは知られていますので、現在でも労働事件等を扱っています。
修習生の頃から、過労死問題の相談活動をしている大阪過労死問題連絡会の活動に参加していましたが、ちょうどそのころに当時は非常に厳しかった労災認定を勝ち取り、私が弁護士になってすぐに損害賠償の訴訟を起こして最終的に和解で解決した、交代制勤務の労働者の過労死事案がありました。
最初に手がけて解決でき、社会的にも大きな反響を呼んだ事件という意味でも、一番印象に残っています。当時はこの事件を中心に過労死問題についてNHKで特集が組まれたりしましたし、この事件が無ければ、現在も行っている過労死弁護団での活動にも参加していなかっただろうと思います。
また、その後に手がけた証券会社の営業マンで私よりも若い方が亡くなった過労死事案も、もし一般企業に就職していれば自分も同じ境遇になり得たように思われ、強く記憶に残っています。
弁護士としての信条・ポリシー
金貸しの味方はしないこと。保険会社の言いなりにならないこと。孤立している個人の味方になること。
また、弁護士が勝手に裁かないこと。これは、結論を下すのは裁判官であることはもちろん、万人に保障されている裁判を受ける権利を守る、という観点からです。
物証がなくて尋問だけになるからだとか、多少困難であるという理由で、「絶対勝てないから諦めたほうがいい」と言うように、裁判所の利用を弁護士が制限するようなことはしたくありません。他の事務所でそう言われ、私のところに相談に来られて、そこから勝訴した例もあります。
土地柄もあって、一人の弁護士がダメなら違う弁護士を頼る、という手段が取りづらい環境ですから、この点については強く意識をしています。
関心のある分野
先に述べた内容と重複しますが、過労死防止、自殺予防など。
また、大阪にいたころに阪神淡路大震災があり、山形に戻ってから新潟県中越地震、そして東日本大震災を経験しているため、やはり震災復興と原発賠償には関心があります。鶴岡は山形の中でも日本海側ですし、どこまで積極的に関われるかは地理的な問題があるのですが、できる範囲で尽力しています。これについては、今後もずっと考え続けることになるだろうと思っています。
ページを見ている方へのメッセージ
昨今法曹人口も増え、ひまわり基金法律事務所や法テラスなどの整備も整ったことで、身近に弁護士がいないので相談できない、というケースは少なくなってきていると言われています。しかし、弁護士に相談することのハードルの高さは相変わらずと言わざるを得ません。
日々相談を受けていて、どうしてもっと早く来てくれなかったのか、と思わされることも非常に多くあります。私達弁護士が努力するべき部分でもあるのですが、とにかく、弁護士は怖い、という意識を持たず、気軽に活用してもらいたいと思います。法律問題なのか否かもわからないような状況でもためらわず、予防的な利用をしていただければと考えています。