菅野 高雄 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
ロースクール構想があがった頃、私は都内で地方公務員として、児童扶養手当の認定等の仕事を担当していました。母子家庭の方の相談をしているうちに、法的な助力を必要としながら相談できる弁護士がいない現実に触れました。そこで、始まったばかりのロースクールに行って、自分がカウンターの向こうに行って(弁護士になって)、相談を受ければ良いのではと、「単純に」思いました。
学生時代
大学では、外交官試験を目指すサークルに所属し、1年の夏から外務省勤務の先輩をチューターにして憲法の勉強を始めました。当時は、非常に若かったので「三権分立」なんて概念にも、新鮮な感覚をもって勉強を始めました。
その後、国家公務員一種(現在の総合職相当)を目指して2年次から本格的に勉強を始めました(試験には合格しました。勉強の成果はあったようで、結構、上位で合格しました)。
国家公務員の試験の勉強は、範囲が膨大ではありましたが、法律の勉強もしていたので、比較的に順調に勉強を進めることができました。しかし、2年次から勉強を始めており、その頃は、周りの友人が遊んでいる中での勉強だったため、必ずしも合格が保障されていない先の見えない勉強を、正直、つらく思う時もありました。
学生生活は勉強が主でしたが、仙台から出て、初めての一人暮らしで、かつ、東京暮らしだったのでいろいろな刺激を受け、今の自分の成長の基礎となったと思っています。
今までの経験と現在の仕事内容
以前は、公的な事務所に所属していたので、法的な助力を受けにくい事件を多く扱ってきました。私の法曹志望の動機にも合っており、その意味では充実していました。
しかしいずれは故郷の近くで弁護士として働きたいという思いを持っておりました。震災の影響でその時期が少し早まり、現在は、人口8から9万人の市内の街中に事務所を開業致しました。
将来の相続に備えての相談など家事関係の事件、身近な問題が多い印象です。
震災復興に関連した弁護士としての活動
以前は、会津若松におりましたので、福島県の浜通り地方から仮設住宅に住んでいらっしゃる方を対象に、出張相談に行ったりもしていました。
現在事務所のある登米市も海岸沿いの南三陸市の隣であるため、仮設住宅が多数あります。登米市も、最近になって震災で壊れた道路の舗装工事が多くなってきました。私も、まだまだ、「震災後」のイメージが残っています。会津若松市での経験を生かす機会があると思います。
弁護士としての信条・ポリシー
まずは、お話を聞く姿勢を大事にしています。街中の事務所のため、飛び入りの相談も多いです。お話をじっくり聞き、最終的には、相談者が何を望んでいるかを意識して相談を受けています。
初めから質問口調になってしまうと、本当のことを話して頂けない場合もありますので、依頼者との距離を縮められるように工夫しながら話を伺うようにしています。
また、相談に行こうと思ったそのときが事件解決の一歩なので、その一歩を大事にしたいので、急な相談にもできるだけ応じるようにしています。
今後のビジョン
公務員経験があり、行政のコンプライアンスの向上に興味があります。
また、開発途上国の法整備支援にも関心があり、そのような機会に少しでも近づけるよう、ライフワークとして、JICA等の研修にも参加していきたいです。
しかし、まずは地元で、私の力をお役に立てることが先決だと思っています。おそらく、法律に関わる悩みを抱えている人々すべてにサービスを提供できているとは言い難いとも感じております。地道な活動を通して、より広くサービスを提供できればと思っております。
弁護士に最も求められると思う力
条文よりも、むしろ人、人間の弱さからときには悪さもするそのような人間そのものに興味があることだと思います。条文は、知識であって、これだけ知っていても、問題は解決できないと思います。
その人を良く知ろうと思ったら、人の話を聞くしかありません。もし、話をしっかり聞くことができなければ、どこかで足元をすくわれてしまうと思います。ゆえに、人の話を良く聞く能力が最も必要なのではないかと考えています。
ページを見ている方へのメッセージ
いろいろな立場でこのページを見ていると思います。しかし、共通していることは、トラブルは放っておいて良くなることはありません。将来の目標が、何もせずにひとりでにかなうことがないのと同じです。何ごとも、まずは、第一歩を踏み出すことをお勧めします。