ツイッターや2ちゃんねるなど、インターネットでは、匿名アカウントによるデマや誹謗中傷が絶えない。ちょっとした投稿がきっかけで、誰もが巻き込まれる可能性がある。名誉毀損に詳しい佃克彦弁護士は、「インターネット上の名誉毀損問題が非常に増えている」と指摘する。ネットに限らず、名誉毀損にはどんなトレンドがあるのだろうか。注目すべき判例を聞いた。(取材・構成/具志堅浩二)
●特定に必要な調査費も「損害」になる
佃弁護士は「名誉毀損をめぐる裁判では、少しずつ新しい判断が出ています」と説明する。
最近注目の判例として挙げるのは、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」の書き込みに関する損害賠償請求事件だ(東京地裁平成24年1月31日判決)。
盗撮をしたとうかがわせるような内容を書き込まれた原告A氏が、弁護士に依頼して、投稿した被告B氏を特定し、名誉毀損で訴えた。東京地裁は、B氏の不法行為責任を認め、慰謝料100万円と弁護士費用10万円に加え、書き込んだ人を特定するための調査費用63万円も支払うよう命じた。
「インターネット上の書き込みにまつわる名誉毀損では、まず、ネット上に書き込んだ人が誰であるかをつきとめるための裁判手続が必要で、その手続で人物が特定できた後、ようやく名誉毀損の裁判を起こすことができるのです」
判決文によると、この事件で原告側は、(1)掲示板の管理者である海外法人にIPアドレス開示仮処分を申請して、IPアドレスとアクセスログの開示を受ける、(2)IPアドレスから判明したインターネットサービスプロバイダ(ISP)に対して発信者情報開示請求を行い、B氏の住所・氏名の開示を受ける、という過程を踏んだ。一連の手続は、弁護士に依頼している。
「発信者情報の特定のための費用について、名誉毀損の『損害』として認めることをはっきりと示したところが注目すべき点です。
名誉毀損で被った損害であれば財産的損害も賠償請求できるというのが法の建前ですが、実際に財産的損害として認める範囲を、裁判所はこれまで限定的に解してきました。これに対して今回の判決は、発信者情報の特定のための費用が財産的損害にあたり、賠償の対象になることを明示したという意味で、とても汎用性のある判例だといえます」
●通信社が「セーフ」なら新聞社も「セーフ」
佃弁護士はさらに注目すべき判例として、通信社の配信記事をそのまま掲載した地方紙が、名誉毀損で訴えられた裁判の最高裁判決を挙げる(最高裁第1小法廷平成23年4月28日判決)。
問題となった記事は、原告である大学病院の医師が、医療ミスにより患者を死亡させたという内容だ。大学の報告書などをもとにした記事だが、その後、これを否定する報告書が関連学会から出され、業務上過失致死罪に問われていた原告は無罪が確定した。
この記事で名誉を毀損されたとして、原告は通信社および地方紙3社に対して不法行為に基づく損害賠償訴訟を起こし、最高裁まで争った。
佃弁護士はこう説明する。「米国の場合、『配信サービスの抗弁』というものがあり、地方紙は通信社から配信された記事であることを証明できれば、原則として責任を問われず、その記事の責任は通信社が一手に負うという法理があります。日本でも、この法理が認められるかが長らく争われてきました。
この点について最高裁は2002年に、通信社から配信された記事であることを証明したとしても新聞社は責任を免れるわけではないという判断をして、ひとつの決着がつきました。つまり、通信社が『アウト』の場合、新聞社も原則として『アウト』になってしまうということです」
しかし今回のケースは、通信社には医療ミスが真実だと信じるに足る「相当の理由」があったという事案、つまり、通信社が「セーフ」の事案だった。このケースで最高裁は、通信社と新聞社に報道主体として一体性がある場合には、通信社と同じく新聞社にも「相当の理由」があるといえると判断した。要するに、通信社が「セーフ」なら地方紙も「セーフ」であるという判断を示したのだった。
「通信社が免責される場合、記事を買った新聞社も一定の場合に免責されることをはっきり認めたという意味で、価値のある判断だと思います」
●名誉棄損の紛争「なくならないし、なくなってはいけない」
取材中、佃弁護士の話しぶりは、理路整然としたものだった。その姿から、小学校のころはまったく勉強をしない子どもだったということは、およそ想像しがたい。
「ランドセルには全ての教科書が入れっぱなし。家に帰ってランドセルを置いたらすぐに外に遊びに行ってしまう。だから教科書の忘れ物をしないかわりに、学校の手紙を親に渡し忘れたりしました。親は、私のランドセルを開けては学校だよりなどを取り出すのが常でした」
上のきょうだいが高校受験を迎えたときに、はじめて「これは勉強をしなければ大変だ」と気付き、中学生になったころから勉強に身を入れることにした。
「弁護士を志したのは、かっこ良いと思ったからです。テレビドラマなどで、無実の人を助ける正義の味方、というイメージを抱いていました」
1993年に弁護士登録。翌年、事務所の先輩の手伝いをしたのをきっかけに、名誉毀損の事例に関わりはじめた。
2005年に「名誉毀損の法律実務」(弘文堂)を、2008年にその第2版を出版した。現在、名誉毀損関係の相談では、企業や大学など組織内の対立にまつわるものが多いという。「誰かが独断専行の運営をしているとか、その手の話です。この種の事案は当事者間の意見の対立が激しいですから、裁判で飛びかう書面の分量も多いんです。訴訟合戦になることも多々ありますね」
素朴に、「名誉毀損はなくならないものですか」と尋ねると、「なくならないと思いますし、なくなってはいけないものだとも思います」という意外な答えが返ってきた。なぜ、そう考えるのか。
「言論活動は、よりよい社会を作る上で必要なことですから。名誉毀損の紛争が起こるということは、自由闊達な議論がなされていることの裏返しであり、社会の健全性を表しているものと言えます。『もの言えば唇寒し』と言ってばかりではいけないということです。
言論は、ぶつかり合ってナンボです。ぶつかり合って、そこで逸脱したものが法的責任を問われるわけですが、法的責任は、本当に責任を負わせても良いものに厳しく限定しないと、言論は萎縮してしまいます」
名誉毀損の本には、表現の自由にまつわるメッセージを込めてきた。「表現の自由を保障するためには、名誉毀損に関する法の解釈・適用はこうあるべきだ、あるいは、こうであってはいけない、ということを端々に書いたつもりです。本来なされるべき言論が名誉毀損の責任を負わされるなど、不当な言論抑圧が起きてはならないと思っています」
書籍の改訂は、今後、やりたいことの一つだ。「情報が古くなってきましたので、先に話した判例についての話題も追加して、これを読めば名誉毀損は大丈夫、という本にしたいですね」
佃弁護士のインタビュー動画はこちら。