アダルトビデオ(AV)の審査組織「日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)」の元審査員2人が、甘い審査でモザイク処理の不十分なソフトに合格を与えたとして、「わいせつ図画販売ほう助罪」に問われた裁判で、最高裁第三小法廷は10月7日、被告人の上告を棄却した。元審査員を有罪(罰金50万円)とした1、2審判決が確定することになった。
元審査員は販売会社の作ったモザイクの薄いアダルトDVDを合格させ、販売を手助けしたとされた。裁判ではモザイクの薄いAVが「わいせつ図画」に当たるかが争点の1つになっていたが、裁判所は「直接的な映像修整はないに等しい」と判断、「わいせつ図画」に当たるとした。
そもそもビデ倫とは、どういった団体なのだろう。そして、今回の判決はどのようなものだったのだろうか。ビデ倫裁判の弁護人である水島正明弁護士に聞いた。
●取り締まりを受けないように「自主規制」する必要があった
「『ビデ倫』は公的な機関ではありません。業界が内部で自主的に設立して運用実績を積み上げてきた、いわゆる自主規制団体です」
――なぜ、わざわざ自分たちの表現を規制するような団体を、自分たちで作ったのだろうか。
「端的に言えば、当局から表現について取り締まりを受けないようにするためです。
表現物に対する処罰規制には、憲法上の問題が多くあります。
その中で、『ビデ倫』が直接取り組んできたのは、『わいせつ』概念が不明確だという点です。不明確な処罰規定は、刑罰法規に明確性を求める『罪刑法定主義』に反するからです」
――いったい「わいせつ」概念のどういった点が不明確だというのだろう。
「刑法175条は、『わいせつ』な表現は罰する、としか規定していません。つまり、いったい何が『わいせつ』にあたるのか、具体的な要件が何も示されていないのです。
そのため、捜査機関が『わいせつ』だと決め付ければ、それが最後までまかり通ってしまいます。
取り締まる側にとっては万能といえますが、取り締まられる側、つまり、国民の側からすれば、極めて危険な処罰規定といえるでしょう」
――そのことが、「ビデ倫」を作ることにどうつながるのだろうか。
「業界は思案し試行錯誤のうえ、外部者を審査員として、業界から独立性を確保した審査組織『ビデ倫』を作りました。
そして、加盟業者に審査を義務づけることで、社会や取り締まり当局に対する業界の信頼を高めようとしたのです。
『ビデ倫』の統制は長期間望ましい効果をあげてきました」
●保守的なビデ倫が「他の団体に追いついた」
――なぜ「ビデ倫」が成果をあげてきたにもかかわらず、今回のような摘発が起こったのだろうか。
「平成8年(1996年)以降、『ビデ倫』の審査が保守的であることに不満をもった業者が、その統制から外れて様々な審査団体を設立して別の審査で対抗するようになりました。
その結果、『ビデ倫』と他の団体の表現レベルに差が開いて、『ビデ倫』の保守性が更に目立つことになったのです。
そのため、『ビデ倫』も平成18年に保守的な審査基準を改めて、他団体並みの甘い基準に改訂しました。
今回の取り締まりは、保守的な『ビデ倫』が、遅ればせながら他団体に追い付いた基準改定をとらえて、それが違法だとして摘発したのです」
――今回の判決をどう見ているだろうか。
「ただ形式的に過去の判例を引用して、『憲法違反の問題はない』と断じただけの、実に無内容で、一方的な判決でした。
わいせつ図画販売の罪は、『公然性のない表現のやりとりを処罰する必要や、根拠があるのか』『プライベートな自由・権利まで法が禁圧できるのか』『わいせつ概念が不明確で取り締まりの濫用を防げないではないか』といったさまざまな問題を抱えており、憲法問題の宝庫です。
理屈が通ることをモットーとし人権の砦とされる裁判所まで、その問題点に向き合わず、批判に答えないでいて、それで世の中はよくなっていくのでしょうか。
欧米先進諸国ではとうの昔、1970年代に制度的決着がついています。それなのに、わが国はどうしてこんな前時代的な禁圧や社会的風土が続くのでしょうか。この問題の根深さを改めて痛感させられた結末でした」
水島弁護士はこのように述べていた。