受託収賄罪などの被告人として法廷に立った岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長。10月24日の被告人質問で、検察が追及したもう1つの争点は、昨年3月14日の美濃加茂市議会でのやり取りだった。(ジャーナリスト/関口威人)
●議会での「浄水設備の質問」も否定
当時、市議だった藤井市長は、この議会の1週間ほど前、中林社長と初めて会ったときに受け取った浄水プラントの資料を、市の防災安全課長に手渡した。そのうえで、議会では市の「防災施設整備事業」の状況について聞き、続いて、防災にかかわる「民間が開発した新技術」を取り入れる可能性があるかどうかを質問した。この「民間の新技術」が浄水プラントのことを指し、議会質問を通じて市に導入を迫ったというのが、検察の見立てだ。
これに対して、藤井市長は実際に「浄水プラントのことは一切質問していない」と主張。「災害備蓄品について、一般論として聞いた。栄養食や洗浄液などについてだった。浄水プラントについても頭にはあったが、1回話を聞いただけのもので、このときは触れなかった」という。
しかし、質問を受けて答弁に立った総務部長は「議員からはプールにたまる雨水の活用ということで提案いただきましたが」「本当に有効なものであったら導入に向けて検討をしていきたい」などと答えており、明らかに浄水プラントに言及している。
藤井市長は「当時は市としても災害時の水の活用について検討しており、部長も(質問されていない浄水プラントにわざわざ言及したことは)『早とちりだった』と言っている」と説明したが、検察官は「誤解を招いたらまずいのでは?」「再質問で修正すべきだったのでは?」などと突っ込んだ。
市長はプラント導入に前向きだったことは否定していない。この議会後も、市長はプラントの資料を市当局に手渡し、導入を迫る。4月中旬には、導入を求める書面を自ら作成し、担当課に提出している。
市長は「書面で出すと役人は仕事が早い」としたうえで、「中林から依頼を受けたのではなく、私も浄水プラントがいいものだと思っていた。4月13日に淡路島で地震があり、水道管が破裂するなどの被害が出た。災害への備えはまったなしで、浄水プラントをもっと早く進めたいと強く思ったので、あえて書面で出した」と説明した。
●「2人きりになった記憶はない」
そして、事件の核心である中林社長を交えた会食について、藤井市長は次のように答えた。
まず、昨年3月7日、名古屋市内の飲食店での会食。この日、藤井市長は名古屋市議秘書のT氏とともに、中林社長と初めて会った。第一印象は「資料を見て、一生懸命に説明する。汗を流している中小企業の人といういいイメージ」だった。その席で、浄水プラントの資料を受け取ったことはよく覚えているという。しかし、「それ以降、どこでどの資料をもらったかは覚えていない」と藤井市長は説明した。
続いて、検察側が1回目の現金授受があったとする、4月2日のファミリーレストラン。このときの会食について、藤井市長は「やり取りはほとんど記憶にない」という。ただし、「ドリンクバーをT氏が取りに行くことはあり得ない」と強調した。
さらに、4月25日の居酒屋。2回目の現金授受があったとされる現場だ。藤井市長は、T氏が「普段にも増して政策などについて話していた」と説明し、「わざわざ席は立たない」と主張した。そして、中林社長と「2人になった記憶がない」と述べた。
検察側は、いずれも場面でも、同席者が席を外したすきに現金授受があったと主張しているが、藤井市長は、そのようなことはなかったと否定した。
会食後、中林社長あてに「本当にいつもすいません」などと送ったメールの内容についても、「『すいません』や『ありがとう』は過剰なくらい使う。『いつも』も深く考えて書いたわけではない」。
気づかずに受け取った可能性はないかと念押しする弁護側の質問にも「絶対にない。あり得ない」と答えた。
次回、11月19日の公判では、中林社長に対する再尋問と、中林社長と収監中に隣の独房にいて知り合い、手紙のやりとりを重ねてきたという弁護側証人に対する尋問が、同時に行われる。いわゆる「対質」の形で開かれることになった。
弁護側は、捜査メモなどの証拠開示や警察官・検察官に対する証人尋問も請求しており、今後の裁判所の判断が焦点となる。