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虐待受けた「宗教2世」、詩人として生きる「見て見ぬふりする世間が被害助長させた」
詩人のiidabii(イーダビー)さん(撮影:川方祥大)

虐待受けた「宗教2世」、詩人として生きる「見て見ぬふりする世間が被害助長させた」

宗教にのめりこんだ親のもとで育った子どもは、俗に「宗教2世」と呼ばれ、その苦悩はツイッターなど、SNSで可視化されはじめている。

詩人のiidabii(イーダビー)さんは元宗教2世の1人だ。信仰を強いる母親から受けた虐待について歌った楽曲が、同じような境遇の人たちの間で共感を集めている。

イーダビーさんは「自分が受けた虐待に声をあげなくてはいけないと思った」と顔出しで活動し、作品の中で「迷わず189(児童相談所虐待対応ダイヤル)に電話しろ」と訴える。

そんなイーダビーさんにインタビューをおこなった。宗教の信仰そのものを否定するのではなく、子どもたちが置かれている状況への問題提起として。

「見て見ぬふりをしていた世間こそが被害を助長させたのでは」という彼の言葉は、当事者だけでなく、周りにいるわたしたちにも問題を投げかける。(成宮アイコ)

●「クラスメイトにバレるのが死ぬほど嫌だった」

――いわゆる「普通の生活」を送れていないと気づいたのはいつごろでしたか?

幼稚園に通わせてもらっていなかったので、小学校に入ってからです。母は、信者ではない人を"世の人"と呼んでいました。<"世の人"の子どもの中で幼少期を過ごさせるのはかわいそうだし、そこに通うくらいなら奉仕活動に連れて行ったほうが良い>という考えだったようです。

――物心がつく前から奉仕活動に参加していたんですね。学校内で過ごす時間は自由でしたか?

親の目が外れているので少しは解放された気持ちだったんですけど、「"世の人"は悪霊に支配されていて、悪魔から影響を受けているから親しくしちゃいけない」と常々言われていたし、友だちを作ることを露骨に嫌がっていたのを覚えています。仲の良い子の話題をしても、「でも、その子は"世の人"だからね」って言われてしまうんです。

宗教上の理由で参加ができない学校行事も多かったです。林間学校でのキャンプファイヤーや、運動会の花笠音頭などは異教の教えだから、「絶対に参加しちゃダメだよ」って言われていて、担任の先生にも、「宗教的な理由で参加ができません」と伝えなければなりませんでした。なによりも宗教に入っていることがクラスメイトにバレるのが死ぬほど嫌でしたね。

――クラスメイトの家にも布教活動に行くわけですよね。

布教活動でまわる区域が日ごとに決まっているんですけど、クラスメイトの地域にあたると地獄でした。しかも、奉仕のときは正装をしなくてはいけないんです。小学生で普段からそんな格好をするのって変じゃないですか。友だちは短パンで裸足で遊んだりしているのに、自分は正装で布教活動。正直、恥ずかしくて死にたくなりました。

ただ、小3くらいになると反抗する気力もなくなっていたんです。母から"こらしめ"と呼ばれる鞭打ちを散々やられて育ってきたので、逆らう気持ちすら消えてしまいました。衣食住と親からの愛は、僕が宗教活動をする条件のもとで与えられていたので、ほぼ強要ですね。子どもは親がいないと生活できないし、反抗して家から出ても、ひとりで生きていく手段もわからないし、逃げ出したくても逃げ出せない環境でした。

●親から離れて、やっと「あれは虐待だった」と気付けた

――"こらしめ"と呼ばれる虐待は、周りにいる人が気づけるような箇所にケガを作ることはなかったのでしょうか?

基本的には、お尻を中心に鞭を打たれていたので、周りが気づくのは難しかったと思います。虐待に気づくのって、アザやケガだと思うんですけど、お尻っていちばん隠れる場所なんですよ。ズボンを脱いでもパンツを履いているから見えないし、着替えていても気づかない。

ずっとそうやって育てられてきたので、当時は自分の状況が異常だと気づけませんでした。自分の場合は、親から離れて、やっと「あれは虐待だった」と気付けたんです。

自分の家に疑問を持つきっかけとなったのは、中学に入って友だちと進路の話が出たときでした。周りの友だちはいろんな選択肢があって、自分の未来や将来の夢を悩めるのに、自分は信者として生きるか、教えに背いて地獄に落ちるかの二択しかなかった。僕は自分で自分の進路を選べないんだ、と思い知りました。

そうなるともう、「自分はもう信者になるしかない」っていう狭まった思考になってしまうんです。子どものころからずっと宗教の教えを叩き込まれているので、むしろその教えが真実かもしれないとさえ思えることもありました。

――教えに背くと「地獄に落ちるかもしれない」という呪い、しかも親から受けた呪いにかかっている状態だったと。

人類が滅ぶ絵や悪魔の絵を見せられて育ってきたので、潜在的に植えつけられていたんだと思います。

進路の相談をする面談も、担任の先生に家庭の状況は話せていないので、「就職に役立てる学校に行きたいです」としか言えませんでした。もちろん先生に対して、気づいてほしいし、助けてほしいと期待していた気持ちもありましたが、自分の状況を言ったところでどうにかなるわけでもないし。子どものころから、自分でなにかを選択できる体験をしてこなかったので諦めが先にでてしまうんです。

――歌詞に出てくる「189」(児童相談所虐待対応ダイヤル)を知ったのはいつごろですか?

大人になってからですね。ただ、当時は、「自分が虐待をされている」という認識すらなかったので、知っていてもかけられなかったと思います。そうやって、すべてを諦めて、自分はどうせ宗教の道しかないんだっていう気持ちと、本当はそんなことはやりたくないという気持ちで板挟み。誰か助けてくれっていつも願っていました。でも助けを求めたところで、誰がどうやって助けてくれるのかもわからない。

――逃げたい気持ちと、自分自身に刷り込まれてしまった思想との葛藤は凄まじいと思うのですが、どのタイミングで家と宗教から抜けようと思えたのでしょうか。

中学生のころに、自分は信者として生きるしかないんだと決心して、本心ではやりたくないけれど、活発に奉仕をがんばった時期があるんです。ただ、がんばればがんばるほど、本心とのギャップが苦しくなってしまい、中3の冬になにもできない状態になりました。

そして、ちょっとした親との口論をきっかけに、これまでに溜まっていたものがオーバーフローをして、積もり積もった不満が口から出て止まらなくなったんです。初めて親に対して自分の感情を出して、「宗教はやめるし、集会にも行かない」って伝えた瞬間でした。自分の限界だったんです。これ以上我慢をすると死んでしまうと気づいて、やっと吐き出せた。ここで爆発しないと自分は完全に壊れると思いました。

画像タイトル イーダビーさん(撮影:Gaston Thomas)

●高校1年から宗教のない人生が始まった

――親は、自分の子どもの考えを理解しようとしてくれましたか?

まったくなかったですね。高校までは必要最低限だけは面倒を見てくれたのですが、それは父が信者ではなかったからです。

――逆にそこまで限界に追い込まれる前に、お父さんは助けてくれなかったんですか?

父は信仰こそしないにしても、母との関係性もあるし、助けてくれる様子はなかったです。話をしていて今、気づいたのですが、僕は父がいない昼間にしか鞭打ちをされていないんですよ。母から虐待をされているのを父は知っているものだと思っていたんですけど、なにも知らなかったのかもしれない。

家の中は宗教がすべての中心だったので、父は蚊帳の外だったし、父も父で辛かったと思いますよ。僕は高校1年から宗教のない人生が始まったんですけど、これまでできなかったことができるし、なにをしても楽しくて世界をやっと知れたと思いました。

●宗教2世として活動することの迷い

――作品の中でも、「もうこの宗教には関わりたくない」とおっしゃっていますが、顔出しで活動をすることに迷いはなかったですか?

すごく迷いました。表立って宗教2世として発言や活動をしている方って、基本的に顔出しをしていないと思うんですけど、その気持ちはすごくわかります。特定されてしまうと、なにかされるんじゃないかってとてもこわいんです。いつ裁判を起こされるかわからないし、最悪の状況だって考えます。

だけど、自分が声をあげていることは宗教批判ではなくて、「子どもの人権」の問題だと思っているので、胸を張っていたかったんです。でも今でもこわいです。だから、楽曲をリリースする前に弁護士保険に加入しました。

結局、自分の中で虐待の問題は、生きている間に声をあげなくてはいけないと直感があったんです。自分の作品や自分の人生に責任を持つという意味でも、自分が黙っていることで自分の人生に嘘をついてしまう危機感がありました。

おかしいものはおかしいって言わなくちゃいけないのに、世間も「これは触れちゃいけない問題」とか、「よくわらかないけど触れたらヤバい」と思っている。それこそが宗教2世問題の被害を助長させたんじゃないかと思うので、世間の意識も変えていきたいです。

――社会が自助を強く押した出した結果、家族問題に外部の人は触れられないという雰囲気を後押ししてしまっている悪循環だと思います。ちょっと変だなと思ったときは、周りにいる人は声をかけ続けてもいいものでしょうか。

当時の自分に声をかけてくれる人がいたとしても、そのときはきっと反応はできないし信じられない。差し出してくれた助けの手をとって自分は自由になってもいいとは思えなかったはずです。

ですが、人生のどこかで、「あの人はこういうふうに言ってくれたな」と思い出すはずなんです。その場ですぐに聞き入れて、自分のもっている可能性や選択を大切にすることはできなかったかもしれないけど、「自分は宗教の道しかない」と言われ続けて育っているので、「それ以外の道もあるんだよ」って言ってくれる存在は間違いなくほしかったです。

自分には、それを教えてくれる人はいなかったけれど、音楽や芸術が僕に選択肢をくれました。銀杏BOYZの1stアルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』が中2の冬に2枚同時に発売されて、あの音楽が「どんな考えを持ってもいいんだよ」って教えてくれたんです。

人を憎んだり恨んだりすることもある、自分の気持ちには嘘をつかなくてもいいんだっていうのを気づけたんです。ただ、自分に影響を与えてくれる音楽に出会えるかどうかはその人の環境や運だったりします。そういうものに触れられる場所を、教育や福祉など、さまざまな場所に増やしてもらいたいと願っています。

今つらい状況にある人はずっとがんばり続けてきた人だから、その人にさらにがんばれなんて軽々しく言えません。自分と同じ状況にあった人の助けになりたくて音楽を作り、少しは知ってもらえましたが、SNSでは2世のフォロワーさんが今も自殺未遂をしたりリストカットをしたりしている姿がタイムラインに溢れていて、苦しみの只中にいる人が大勢います。結局、自分は誰も助けることはできないんだなと思い知らされました。

でも、自分は無力な存在だとわかったうえで、それでもやらなくちゃいけないこと、声を上げなくてはいけないことがあると思うんです。だから、宗教2世問題について自分が感じたことを作品にしなければいけないという使命感があります。

最後に、これは僕の勝手な願いなんですけど、自分の気持ちに嘘をつかないということで言わせてもらうと、かつての自分と同じような状況にいるあなたに死なないでほしい、そして生きてほしいです。

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