もしも、自宅マンションのベランダでハトが卵を産んでしまったら……。ひょいっと卵をとって、ゴミ箱にポイっと捨てればいい。そんなふうに思っていた時期が私にもあった。
しかし、勝手に卵を捨てた場合、法律に違反してしまうおそれがあることをご存知だろうか。恥ずかしながら、私はまったく知らなかったが、ある日突然、ハトの法的問題について直面することになった。自宅マンションのベランダで、ハトが卵を産んだのだ。
産みたてほやほやの卵を前に、どうしたら良いのか途方にくれた記者が、ハトと法的な決着をつけるまでの体験をリポートする。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
●見知らぬ卵
ある朝、ベランダから「グルッポー」というハトの鳴き声が聞こえてきた。ここ数日、ひんぱんに姿を見せるハトのカップルがいるのには気づいていた。ただ、特に被害はなかったので、放置しておいた。その結果……。
「あ!!!」
ベランダに出て、植木に水やりをしていた夫が大きな声をあげた。
「卵!!!」
ベランダと卵という単語が結びついていなかった私だったが、夫が指差す先を見て、眠気が吹っ飛んだ。
卵、である。夫がかわいがっているペットのウサギのために、丹精込めて育てているニンジンのプランターの上に、まん丸のピンポン球のような卵が一つ、落ちていた。いかにも産みたてほやほやらしく、表面が艶やかだ。
「誰が産んだの?」
あまりのことに気が動転して、夫にずれた質問をしてしまう。この卵を産み落としたのは、近くで「グルッポー」と鳴いていたハトであることは、少し考えれば明らかだった。
そして、私たちは途方にくれた。この卵をどうすべきか。
●ハト、襲来
最初は軽く考えていた。「所詮は卵。生ゴミとして捨てればいい」。ところが、ネットで検索したところ、「ハトの卵を勝手に駆除すると、法律違反で罰金」といった恐ろしい文言が並ぶ。
どういうことなのか。検索しまくりたどり着いたのが、東京都環境局のホームページだ。「野生鳥獣に関するQ&A」というコーナーに、「ハトがベランダに巣を作ってしまったとき」の対処法が掲載されていた。
「巣を作り始めた時点で取り除くか、巣を作らせないことが大切です。卵を産んでしまっている場合、巣立つまで1ヶ月ほどかかります。ヒナが巣立つまで待ってから巣を撤去するのがよいでしょう」
我が家の場合、巣を作った形跡はないのだが、どうも「ヒナが巣立つまで1か月待て」と言っているように読める。しかし、プランターには夫が一生懸命育てているニンジンがやっと芽吹いたばかりだし、プランターはベランダのど真ん中にあり、とてもハトの育児に配慮してあげられる環境ではない。
そうしている間にも、ハトのカップルは仲良く抱卵し始めた。プランターの上に鎮座するハト。このままでは、本格的にハトにベランダを乗っ取られる。藁にもすがる思いで最後まで読むとこんなことも書かれていた。
「巣のみを撤去することについては特別な許可は必要ありませんが、卵またはヒナを含めた野生鳥獣は許可なく捕獲・殺傷することができません」
つまり、「特別な許可」があれば、卵を捨てられる?
抱卵を始めたハト
●法遵守の価値は
解決への道が見えてきたが、その前になぜ、ハトや卵を許可なく捕獲したり、捨てたりしてはいけないのか。
鳥獣保護法によると、許可された場合などを除いて、野生の鳥やその卵を採取することは禁止されている。違反者には、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科される。
うっかりハトの卵をポイ捨てしただけで、「1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」は困る。合法的に卵を取り去る方法を聞くため、東京都環境局自然環境部計画課に電話した。
状況を話したところ、「できれば、巣立ちまでそのまま見守っていただければ」と言われた。さすが、鳥獣保護を担当する部署である。しかし、現実的に難しいと相談したところ、都知事による鳥獣捕獲許可を持つ業者を3社、教えてくれた。もちろん、自分で見積もりを取り、依頼をして、有料で駆除してもらわなければならない。
これ、この卵一個のために全部やるの?
いっそのこと知らないふりをして、卵をベランダからひょいと放り投げてしまおうかとも思ったが、社会人として法令遵守は大事である。あきらめて3社に電話し、一番早くて安く処理してもらえそうな会社にお願いした。
ハトが踏み荒らし、せっかく育ててたニンジンがだめに…
●決戦、我が家のベランダ
卵が発見された日の夕方、依頼した担当者の人はベランダにいた。たまたま、近所でシロアリの駆除をしていたので、その帰りに来てくれたという。どんなものも駆除してくれそうで頼もしい。
プランターの上にある卵を確認して、「普通だと巣を作ってから卵を産むのですが、こらえきれず産んでしまったのでしょうね」と教えてくれた。
あのハトは、我が家のベランダでつい産気づいてしまったのだろうか。早産だったのかな、とちょっと心配になったが、「でも、巣を作られると、糞が乾いて空気中に舞ってハトの持っている病気が感染したりするので、面倒なんです」という説明を受けて、一切の同情心は消え去った。
「じゃあ」と担当者の人は卵をヒョイっと取り去り、ビニール袋に入れて終了。あれだけ私たちを右往左往させた卵の脅威は、呆気なく去った。しかし、感慨にひたっている余裕はない。
「それでは、1万1000円になります」
ベランダ産直、ハトの卵一個で、このお値段である。今回は巣の撤去がなかったので、安い方だったのだろうが、思わぬ出費に泣いた。
ハトの卵を処分するため、有害鳥獣捕獲依頼書を提出
●ベランダの中心でホウキを振り回したけもの
あのまま自然に任せてしまうという選択肢も考えたが、ハトの持つ病気が怖かった。巣の周囲にはダニやハエが発生するし、ハトの鳴き声がうるさい、糞でベランダが汚れるなどの被害も困る。我が家にとって、リスクが高すぎた。
しかし、これだけ被害の出ているハトがなぜ害鳥ではないのか。ハトと人間の歴史をひもとこう。日本で一般的に「ハト」と呼ばれるのは、「キジバト」と「ドバト」の2種類だ。今回、我が家で卵を産んだのは、ドバトのほうで、もともとは飼い鳩が野生化したものという。
財団法人「山階鳥類研究所」が公開している「ドバト害防除に関する基礎的研究」によると、ドバトは古く、大和・飛鳥時代には日本に飛来していた。
昭和初期の調査によると、東京近郊では、神社仏閣に生息し、巣箱で保護されたり、参拝客から餌付けされるなど、人間の生活と密接な関係があった。戦後は徐々にドバトが増え、その被害も社会問題化するようになる。
害鳥とされれば、保護対象ではなく、狩猟対象となる。しかし、ドバトはかろうじて免れている。1981年に環境庁が全国に出した通達によると、自然環境保全審議会で審議されたものの、ドバトとレース鳩など飼われている鳩の判別が容易ではないという問題があり、狩猟対象とすることを見合わせた、とある。
とはいえ、「ドバトは、従来より都市地域の国民生活にうるおいをもたらすものとして親しまれてきたが、近年の状況をみると、人為的な影響を受けてその生息数を増加し、これによる被害が個人生活、工場、交通機関、農業等各方面に及んでおり、これらの被害を防止するためドバトの生息数の調整を図ることが必要となっている」と釘も刺している。
法的には保護すべき対象だが、実際には生息数の調整が必要というジレンマが、卵1個の処理に1万1000円という状況を生んだのだろう。
人間とハトが共存できる日は来るのだろうか。思いをめぐらせていたところ、またもや「グルッポー」という鳴き声がベランダから聞こえてきた。
ハトとの共存は難しい。これ以上、卵を産まれては我が家が破産する。鬼の形相で奇声をあげながらベランダでホウキを振り回し、未練がましいハトたちを追い払った。その後、ハトが戻ることはなかったが、代わりに今度はご近所との共存が危うくなっている。