「痴漢は犯罪です」。駅でこう書かれたポスターを見たことはないだろうか。今でこそ当たり前のことだが、かつては「痴漢は犯罪」と言えない時代があった。
「鉄道会社に『痴漢は犯罪』というポスターを貼るように要望したら、『お客さんを痴漢呼ばわりするようで』と拒否されました。鉄道会社が自分のところのイメージダウンになると思っていたんでしょうね」
こう話すのは、関西の女性たちで作る「性暴力を許さない女の会」のメンバー、赤坂浩子さん(57)と周藤由美子(55)さんだ。会は1993年、痴漢に関するアンケートを実施し、被害に悩み憤る女性たちの声を集め実態を明らかにした。
STOP痴漢アンケート報告集は1995年3月に発行された
このアンケートの報告書を鉄道会社に配布したことをきっかけに、1995年に当時としては画期的な「痴漢は犯罪」と明記したポスターが駅や車内に貼られ、大阪府警による「痴漢取り締まり強化月間」が始まった。
今から30年近く前、世の中は痴漢被害に対しどのように向き合っていたのだろうか。(編集部・出口絢)
●「お客さんを痴漢呼ばわりするのは…」
1988年11月、世間をにぎわす衝撃的な事件があった。夜の大阪市営地下鉄御堂筋線の電車内で、痴漢をしていた男性2人組に注意した当時20歳の女性が逆恨みされた「御堂筋事件」だ。2人は女性を脅して連れ回し、マンションの建築現場で強かん。3年6カ月の実刑判決を言い渡された。
事件をきっかけに、翌12月には、京阪神に住む20〜50代の女性20人が「性暴力を許さない女の会」を結成。大阪市交通局や私鉄各社に、痴漢対策の強化を求めた。
しかし、その反応はにぶいものだった。電車のアナウンスは「迷惑行為」という表現にとどまり、抗議すると鉄道会社から「お客さんを痴漢呼ばわりするのは…」と拒まれた。会のメンバーが回答文書をもらいに行くと、会話の中で鉄道会社の男性社員から「痴漢もお客様」という言葉も飛び出した。
その後、大阪府警は関西鉄道協会と共同で、痴漢に関するポスターを作成した。ただ、それにも疑問の声が上がった。
「あなたの勇気ありがとう」と書かれたポスター
ポスターは、若い女性が両手を合わせて祈るようなイラストと共に「あなたの勇気ありがとう もし、めいわく行為の被害にあったらためらわずに大きな声を出してください。あなた自身とまわりにいるみなさんの勇気ある協力を・・・・」と書かれたものだった。
痴漢を「めいわく行為」と言い換えたうえ、被害者側に助けを求めるよう促していた。客観的に見れば逃げられる状況でも恐怖から動けなくなるというのは、性暴力被害者の行動に関する研究で明らかになっている。被害者側に「大きな声を出して」と自己防衛を呼びかけるのは、お門違いだ。
●「痴漢」と言えない理由
どうして「痴漢」と言えないのか。1989年5月8日の毎日新聞の記事で、大阪市交通局は「そのものズバリの表現をすると各車両内に必ず痴漢がいると決めつけることになり、地下鉄のイメージダウンにもなる」、阪急電鉄広報課は「乗客の男性みんなに嫌疑をかけてしまうことになり、ストレートには言いにくい」とコメントしている。
そんな空気は、男性だけにあったわけではない。赤坂さんは当時の勤務先で、逮捕された痴漢加害者について、女性が「逮捕されたら、男性がかわいそうや」と擁護するのを聞いた。会社や家族にバレて、男性の社会的な地位が下がってしまうという意味だ。
赤坂さんは「40〜50代の女性が、女性の被害よりも、男性が失うものの大きさについて語る。『触られたくらいで大げさな』と被害を軽視する風潮は、女性の方にもありましたね」という。
痴漢はちょっとしたことであり、あまり騒ぎ立てることでもないーー。そんな認識の人が大多数だった。周藤さんも「市交通局や私鉄各社は、会社として痴漢を性暴力や人権侵害行為と捉え、対策に取り組むという姿勢ではなかった」と振り返る。
●アンケート、計1万2千枚を配布
そんな中でも、女性たちの声は、少しずつ可視化されるようになっていった。
大阪府立柴島高は1989年10月、女子生徒の3割が通学途中に痴漢被害にあっているというアンケート結果を公表。新聞には女性から「電車の痴漢何とかして」、「女性専用の車両があれば」といった投書が寄せられるようになった。
しかし、御堂筋御堂筋事件以後も、被害の状況は変わらなかった。そこで「性暴力を許さない女の会」は1993年、「労働組合ぱあぷる」と共に「ストップ・痴漢キャンペーン」を開始する。鉄道会社7社に痴漢対策について質問と要望書を送り、各社を訪問して聞き取り調査を行った。
それに加え、痴漢に悩む女性たちの声を集めようと実施したのが、冒頭のアンケートだ。1993年11月〜94年2月末、会のメンバーが淀屋橋や京橋駅など、乗り換えで多く利用される駅の通勤時間帯に、女性にアンケートを手配りした。中には、痴漢に関するアンケートだと気づき、自ら取りに来る人もいたという。
手配りの他にも、オフィスに配布されるフリーペーパーに同封したり、学生に大学で配ってもらったりして、計1万2千枚を配布した。当時はまだインターネットが身近ではなかった時代だ。アンケートは封筒をつけて配布し、回答後に料金後納で返送してもらった。
●痴漢にあったことがある人が7割
アンケートは、10代〜70代以上の女性2260人分が回収された。痴漢にあったことがある人は71.1%にのぼった。被害にあった回数は「2〜5回」が57.1%ともっとも多く、「6〜10回」が57.1%、「1回」が20.1%、「11回以上」が9.2%と続いた。
痴漢にあった時間は、朝の通勤時「7〜9時」が50.3%がもっとも多く、帰宅ラッシュの「17〜21時」が24.9%と続いた。
被害にあった時間帯(STOP痴漢アンケート報告集より)
「被害にあった時どう感じたか」との問いには、「腹が立った」が44.7%ともっとも多く、次いで「驚いた」(23.1%)、「悔しかった」(14.3%)、「怖かった」(13.1%)、「恥ずかしい」(4.8%)だった。
(被害を受けたときにどう感じたか(STOP痴漢アンケート報告集より))
「予防策を講じていますか」と尋ねたところ、「安全ピン」も対応策の一つとして挙げられていた。20年以上たった今年、痴漢から身を守る防衛策としてネットで話題にもなったものだ。赤坂さんは「皆考えることは変わらない。今みたいにSNSがないので、日ごろ顔を合わせる友達間で広まったのではないでしょうか」と話す。
安全ピンも予防策の一つとして出ている(STOP痴漢アンケート報告集より)
自由回答には、「痴漢にあうと、その日一日嫌な気分になります」(30代会社員)、「あの屈辱感は忘れません」(40代自由業)、「自分が一人の人間ではなく、人格を持たない道具として見られているようで、腹立たしく悲しく、とてもショックだ」(10代学生)、「不快を通り越して怖い」(10代学生)など、痴漢に憤り悩む女性たちの声があふれた。
●「チカンは犯罪です」ポスターが作られる
「痴漢のいない電車に乗りたい!」。こう題したアンケート報告集が1995年3月に完成し、会のメンバーが、鉄道会社と鉄道警察隊に配布した。すると、この報告集を見た大阪鉄道警察隊から、「労働組合ぱあぷる」の事務所に電話があった。
「痴漢アンケートの報告書を読んだ。この度赴任してきた鉄道警察隊隊長は、大変やる気があり『痴漢は犯罪である』と言うポスターを作成しようと考えている」
そうしてできたポスターには、「迷惑行為」ではなく、「チカンは犯罪です」、「知っていますか迷惑防止条例」との文字が並んだ。これらのポスターは、「痴漢取り締まり強化月間」に合わせて、大阪府警を通じて各鉄道会社に配布され、構内や車内に貼るよう指導された。
1995年に発行された「鉄警おおさか」の表紙に、当時作られたポスターが描かれている
痴漢に警告するのではなく、女性に対して「痴漢に注意」と呼びかける。なぜ、ここに至るまで「痴漢は犯罪」と呼びかけられなかったのだろうか。
赤坂さんは「痴漢被害は一つの声になっておらず、個々のバラバラな経験だった。だから、軽視されていたんだと思う」と分析する。
「触られたら『お前も女として認められたんや』『女として魅力があるから触られた』という見方ばかりで、嫌という気持ちが全然共有されていなかった。隙があったと言われるだろうから、言いたくなかったんかな」
痴漢被害を口に出せば、二次被害にあう。周藤さんも「『ひどいよね』『なんとかしよう』ではなく、『それくらいのこと』『訴えたら加害者側がかわいそう』という意見が大多数だった」と話す。
●あれから20年超「電車の中で言えない環境は変わっていない」
女性たちが声を集め、大阪府警や鉄道会社に要望した運動によって、社会の風潮が変わり始めた。あれから20数年。痴漢に対する社会の見方は変わったでしょうか、と2人に尋ねた。
「ネットで痴漢被害を告白すると、共感する意見が連なっていく。今は被害を受けているのが自分だけじゃないということが可視化されて、昔よりも言いやすくなった。昔は被害者側が被害にあったことを言ってもいい、怒ってもいいという雰囲気ではなかった。今は、痴漢は人権侵害だと言う意識が、被害者側にもありますよね」
一方で、周藤さんは「被害を言いやすくなった面もあるけども、電車の中で言えない環境は変わっていない」とも指摘する。
今も、痴漢被害はなくなっていない。多くの女性が、30年前と変わらず、痴漢に憤り、悔しい思いを抱えている。かつて、新聞の投書欄に寄せられ可視化されていた声は、舞台が変わり、SNSですぐに見えるようになった。個人的な経験が共感を呼ぶ。「#MeToo」や「#Kutoo」も、インターネット上の連帯が一つの運動へと展開していった事例だ。
回収されたアンケート用紙には、自由回答スペースや設問の余白にたくさんの声があった。その数500枚ほど。会のメンバーはアンケートこぼれ話として、報告集に次のように記述している。
「この集計がとても重要であることはよくわかっていた。今までほとんど表に出てこなかった、出す場さえ与えられてこなかった痴漢の被害に関する女たちの思い、生の声だ」
105ページにわたるアンケート報告集の中には、鉄道会社からの返答もまとめられている。「女性がもっと強くなって大声を出してくれたら」、「男性も客なので『迷惑行為』という表現以上のストレートな表現はできない」。
今でこそ信じられない言葉が並ぶが、かつてはこれが当たり前だった。被害の実態を声に出して訴え続けることは、決して無意味なことではない。この「性暴力を許さない女の会」の運動が、そう教えてくれる。