50年近く前の殺人事件が「再審」へ・・・ギネス認定もされた「袴田事件」って何?
再審開始の決定は極めてまれだ

50年近く前の殺人事件が「再審」へ・・・ギネス認定もされた「袴田事件」って何?

日本弁護士連合会が支援している再審請求事件の一つである「袴田(はかまだ)事件」について、重大な判断が下されようとしている。静岡地裁が3月27日、再審を開始すべきかどうかについて、決定するのだ。

袴田事件は、強盗殺人罪などで死刑判決が確定した袴田死刑囚が50年近くも拘禁状態に置かれている特異な事件で、「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネスブックにも掲載されているほどだ。袴田死刑囚は第1回公判から一貫して無罪を主張しているが、1980年に死刑判決が確定。しかし、死刑確定の翌年から再審を請求し、いまも第2次再審請求の審理が続いている。

逮捕当時は30歳だった袴田死刑囚は、今年3月で78歳になった。日弁連が「冤罪の可能性がある」と指摘する袴田事件とは、いったいどんな事件なのか。再審請求運動にかかわる岡島順治弁護士に聞いた。

●「拷問に等しい取調べを受け、犯行を自白させられた」

「袴田事件とは、1966(昭和41年)6月30日深夜に、静岡県清水市(現静岡市)内の味噌製造会社専務宅で、一家4名が殺害され、放火された強盗殺人・放火事件です。

警察は、内部犯行と決めつけ、同年8月、専務宅裏手にある従業員宿舎に寝泊まりしていた袴田巖さんを逮捕しました。

巖さんは当初から無実を訴えていましたが、毎日12時間から16時間も取調べが続き、トイレもバケツで行うように強制されました。拷問に等しい取調べを受けた末に、犯行を自白させられました」

岡島弁護士はこのように事件の概要を説明する。死刑判決は、どのような経緯で出されたのだろうか。

「公判では、巖さんは無罪を主張しました。自白調書も1通をのぞく44通が任意性なしとされ、裁判の証拠から排除されました。

公判の当初、犯行の着衣はパジャマで、そこに返り血と放火用の混合油が付着しているとされていましたが、パジャマの血痕はきわめて微量で、再鑑定ができませんでした。また、混合油の成分の同一性に関する鑑定には、強い疑問が生じていました」

つまり、裁判が始まったころは、確たる物証は存在しなかったわけだ。

●「証拠とされた衣類」はねつ造?

「ところが、事件から1年2ヶ月後、すでに捜索済みであったはずの味噌工場のみそタンクの中から、犯行に使われたと思われる血染めの衣類が5点、発見されました。

また、補充捜査が行われた結果、そのズボンの切断面と一致する端布が、巖さんの実家から発見されました。この血染めの5点の衣類の存在が、巖さんを有罪に導いたのです。

巖さんは最高裁まで争いましたが、結局、1980年(昭和55年)12月12日に死刑が確定しました」

ところが、岡島弁護士らは、その証拠が「おかしい」と指摘する。

「我々弁護団は、5点の衣類を『ねつ造』だと考えています。証拠とされた衣類は、袴田さんが着用できないほど小さいサイズであるなど、当初から不自然さが指摘されていました。

弁護団は1981年4月に静岡地裁に再審請求(第1次)を行い、1994年8月に静岡地裁が再審請求を棄却すると、直ちに抗告しました。2004年に東京高裁も棄却すると、最高裁に特別抗告しましたが、2008年3月に最高裁で棄却されました。しかし、直ちに第2次再審請求を、静岡地裁に提起しました。

そして、その静岡地裁で、ついに重要な鑑定結果が出ました。血染めの5点の衣類から検出されたDNAのうち、巖さんの血液だと認定されていた白半袖シャツの血液のDNAが、巖さんのものとは異なるという鑑定結果が、検察側からも弁護側からも出たのです」

死刑判決の決め手となった証拠の信頼性が、いま大きく揺らいでいるわけだ。岡島弁護士は「再審開始の決定が出る見込みは、極めて高い状況です」と期待していた。

(追記)3月27日午前、静岡地裁は袴田事件の再審開始を決定した。

(弁護士ドットコムニュース)

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