なぜNHKはオウム真理教の映像を「裁判の証拠」として使うことに反発したのか?
裁判所は、報道の映像を証拠として採用することがある。

なぜNHKはオウム真理教の映像を「裁判の証拠」として使うことに反発したのか?

東京地裁が3月7日に懲役9年の判決を言い渡した元オウム真理教幹部・平田信被告人。その裁判の審理の中で、「メディアと司法」の間のトラブルが起きていたことをご存じだろうか。平田被告人らの教団での様子を取材したNHKの映像が証拠として採用され、法廷で裁判員向けに流されたのだが、NHKが「取材や報道の自由が確保されなくなる恐れがある」と反発したのだ。

今回のようなメディアと司法の対立は、これが初めてではない。検察や弁護側、あるいは裁判所が、テレビ番組の録画映像を証拠として提出するように求め、テレビ局側が抗議することがたびたび繰り返されてきている。過去には、最高裁判所まで争われた事例もある。

しかし、テレビ番組はそもそも、不特定多数の人が視聴する前提に作られている、と考えられなくもない。はたして、テレビ映像を裁判の証拠として使うことは、テレビ局が言うように「取材協力者の信頼を損なうおそれ」があるのだろうか。報道の問題にくわしい藤原家康弁護士に聞いた。

●「取材への協力」と「裁判への協力」は別のもの

「取材に協力した人の立場で考えると、彼らが協力したのは報道番組のための『取材』であって、裁判ではありません。

取材協力者の中には、『裁判の証拠として使用されるのは不本意だ』『裁判に利用されることがあるなら、取材には応じないことにしよう』と考える人もいるでしょう。

そうした人が増えれば、取材はどんどん難しくなりますね」

藤原弁護士はこのように説明する。

たしかに「報道への協力」と「裁判への協力」は、同じではない。番組制作側が不用意に映像を渡せば、「せっかくあなたたちを信頼して取材を受けたのに、裁判所に渡すとは何事だ」と、取材対象者から怒られる可能性もあるわけだ。

そう考えると、「取材協力者の信頼を損なうおそれ」という主張にも一理あるように思えるが、それは裁判以上の大問題なのだろうか? 藤原弁護士の答えは次のようなものだ。

「取材の自由が十分に保障されることは、適切な報道を行うため、ひいては市民の知る権利を実質的に保つために必要なことです。また、市民が適切な情報に基づいて意思決定をすることは、民主主義の前提でもあります」

●日本の裁判所は「取材の自由」にどこまで配慮しているか?

つまり、これは単にメディアと裁判所の争いにとどまらず、「市民の知る権利」と「裁判の公平性」との調整問題ということになるのだろう。日本では、このバランスはどのように保たれているのだろうか。

「実は、日本の裁判所は、取材の自由について必ずしも十分な配慮をしていない、とも考えられます。

たとえば、最高裁は、放映済みの番組なら『編集前のテープ(いわゆるマザーテープ)』を押収しても問題ないという判断を示してきましたが、実際には放映されず市民が目にしていない映像を、放映済みの映像と同一視することには、問題があると言わざるを得ないと思います。

また、放映済みのテープの証拠採用は、将来の取材の自由や報道の自由を妨げないとした高裁判決もありますが、取材ができるかどうかは協力者次第だという、取材の繊細な面をどこまで考慮しているか、必ずしも明らかではありません」

藤原弁護士は、裁判所が過去に示してきた判断にこのような疑問を投げかけたうえで、次のように話を締めくくった。

「映像の証拠採用が認められるべきかどうかは、取材の自由と公正な裁判の実現との比較衡量、および、諸般の事情の総合考慮により決められることになります。

ただし、どのような結論になるとしても、取材の自由を適切に配慮したうえでの判断がなされるべきことには、何ら変わりがありません」

(弁護士ドットコムニュース)

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