昨年末にアマゾンから「Kindle」が発売され、国内の電子書籍リーダーも出揃った感がある。それに加え、「Kindle ダイレクト・パブリッシング」や、ブログ感覚で電子書籍を販売できる「パブー」といったサービスも始まり、誰でも気軽に、電子書籍を出版できる時代になった。それは、誰でも作家になれるし、編集者にもなれる。もっといえば個人が出版社になれるということだ。
ところで、死後50年を経ると、作家の著作権は切れる。「夏目漱石」や「太宰治」といった文豪の作品を、電子書籍を販売している各ストアが、無料で「販売」できるのはこのためだ。ただ、誰でも電子書籍を出版できる時代だからといって、これらの作品を有償で販売したとして、炎上こそすれ、まず売れやしないだろう。
それならば、新たな視点から作品を「編集」してみたらどうか。著作権の切れた作家の短編作品を集めたアンソロジーを販売する。「それからの坊ちゃん ~赤シャツVS山嵐~」といったスピンオフ作品を創る。萌え系の挿絵をふんだんに使って、太宰治「女生徒」を編集する。これならば、有償であっても購入してくれる読者がいるかも知れない。
しかし、作家の著作権が切れたとはいえ、そこまでの改編が許されるのだろうか。著作権が切れたら、切ったり貼ったり、なんでもできるのだろうか。著作権の問題に詳しい、村瀬拓男弁護士に聞いてみた。
●著作者人格権は死後も侵害できない
「著作権は原則として作者の死後50年で切れますが、どのような利用でも許されるというわけではありません」
このように村瀬弁護士は述べる。具体的にはどういうことだろうか。
「死後50年という一定の期間で消滅するのは、著作権の中でも財産権的な権利です。ところが著作権には、人格権としての権利が定められており、人格権を害する行為は作者の生前はもちろんのこと、作者の死後も禁止されています」
では、古典の「改編」はすでに亡くなっている作者の人格権を侵害するということだろうか。
「『改編』との関係で問題となる人格権は『同一性保持権』と言われ、勝手に改変されない権利とされています。
文芸作品の場合、改変とは『書き換える』ことですので、作品を書き換えない限り、アンソロジーを編纂することは改変となりませんし、挿絵をたくさん入れても改変とはなりません。スピンオフも新しい作品を作ることですから同じです。
挿絵を作ることやスピンオフは元の作品から新しいものを作ることであり『翻案権』の行使であると考えられますが、これは財産権であり、著作権が切れていれば自由に行うことができます」
●文章自体の書き換えは「同一性保持権」を侵害する可能性がある
このように村瀬弁護士は著作権法上「セーフ」といえる事例をあげる。だが、次のような場合は「アウト」だという。
「挿絵を入れるだけでなく、『女生徒』の文章自体を書き換えるようなことは『同一性保持権』の侵害となるのです。これに対しては、孫の代までの遺族に訴える権利があり、また理論的には永久に刑事罰の対象となります」
このように述べつつも、次のように補足する。
「もっとも、書き換えであっても、それが『作者の意を害さない』場合には禁止されないとされています。どの程度なら許されるのかは、ケースバイケースで考えざるを得ませんが、文芸作品の場合は、今読んでわからない言葉や単語の書き換え程度ならば、許容されるのではないかと思われます」
最後に、大手出版社の勤務経験をもつ村瀬弁護士は、会社員時代のエピソードもまじえながら、著者が亡くなった作品の書き換えがどの程度ゆるされるのかについて、次のように話している。
「これは人格権に由来するものですから、時間の経過によって『生々しさ』が薄まれば許容範囲も広がります。太宰はまだお子さんがご存命ですし、私ごとながら会社員時代の上司には、太宰が入水自殺した玉川上水の捜索に駆り出された人もいました。太宰あたりだとまだけっこう生々しさが残っている感じですね」
文豪たちの作品をもとにアンソロジーやスピンオフ作品を作ることは、一定の制約がありつつも、かなり自由にいろいろなことができるようだ。電子書籍を活用して、新しい世界を作り出せたら面白そうだ。