知人女性の自宅マンションで、「覚せい剤」を所持した疑いで逮捕された歌手のASKA(本名:宮崎重明)容疑者。警察の調べに対し、容疑を否認したうえで、「覚せい剤ではなく、アンナカだと思っていた」と供述したと報じられている。
あまり耳慣れない言葉だが、「アンナカ」とは、安息香酸ナトリウムカフェインの通称で、白い粉状の薬品をさす。眠気を取り除いたり、偏頭痛や倦怠感をやわらげる効果があるとされる。
劇薬指定されているが、医師の処方箋があれば、購入できる代物だ。もしASKA容疑者が供述どおり、「覚せい剤ではなく、アンナカだ」と本当に思って所持していたのだとしたら、どうなるのだろうか。いわゆる「故意」がなかったとして、無罪になるのだろか。秋山直人弁護士に聞いた。
●「故意」がなければ、犯罪は成立しない
「覚せい剤所持の罪は、犯罪の『故意』がないと成立しない『故意犯』です」
このように秋山弁護士は説明する。「故意」という言葉はニュース記事でもよく目にするが、どんな意味なのか。
「『故意』とは、おおざっぱに言えば、自分がすることが犯罪行為に該当する事実であることを認識し、それでも構わないと認容していることです」
では、「覚せい剤でなく、アンナカと思っていた」のが本当だとしたら、「故意」がないということになるのか。
「覚せい剤取締役法違反が成立するために必要な『故意』の程度については、判例があります(最高裁H2.2.9決定)。これは、覚せい剤であるという明確な認識がないまま、覚せい剤を輸入・所持したという事案です。
この事案で、最高裁は、『覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識』があったのであれば、覚せい剤の輸入や所持の罪が成立するために必要な『故意』があるといえる、と判断しました。
逆に言えば、被疑者に『覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識』すらなく、被疑者が『これはアンナカである』(合法的な薬品である)との認識しかなかったのであれば、覚せい剤所持の罪は成立しません」
●その供述は信用できるか?
なにか腑に落ちない気もするが、なぜ、そうなるのだろうか。
「なぜならば、《合法的な薬品を所持している》という認識しかない人に、そういうものを所持してはいけないと非難し、刑事責任を問うことはできないからです」
このように秋山弁護士は、「故意」がない場合に犯罪が成立しない理由を説明する。そうなると、所持していた薬物について、どのような認識をもっていたのかという点が、重要なカギとなってきそうだ。
今回の事件では、いまのところ、ASKA容疑者は「覚せい剤ではなく、アンナカだと思っていた」という供述をしているというのだから、無罪の可能性もあるということだろうか。秋山弁護士は「これは、一般論ですが・・・」と断ったうえで、次のように話していた。
「仮に、被疑者が『覚せい剤ではなく、アンナカだと思っていた』と供述していたとしても、その供述に信用性があるかどうかは、また別の話です。供述の信用性を判断するにあたっては、さまざまな事実が考慮されることでしょう。
具体的には、《アンナカだと思っていたもの》の入手経路のほか、尿から覚せい剤が出ている場合には、身体内に摂取した経緯が問題となります。また、被疑者が注射器等の覚せい剤と関連する物品を所持していたかどうかといった点も、重要です。
検察や裁判所では、このような間接的な事実を総合的に考慮して、供述の信用性を慎重に検討することになると思われます」