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過労死の認定ハードル、変化の兆し 労働弁護士に聞く「労災基準」20年ぶり見直し論議
厚労省(kash* / PIXTA)

過労死の認定ハードル、変化の兆し 労働弁護士に聞く「労災基準」20年ぶり見直し論議

仕事が原因で脳や心臓の病気になった人の労災認定は「狭き門」です。過去10年の平均では、労災の請求が1年につき約830件あり、実際に労災認定された件数は年間約260件でした。労災を請求しても認めてもらえないケースがかなりあることが分かります。

脳・心臓の病気ですから死に至ることも珍しくありません。しかし、亡くなっているケースに限定しても、仕事が原因の労災だとは認められないことの方が多いのが実態です。

脳・心臓疾患の労災認定基準をつくるのは厚生労働省です。昨夏から医師ら有識者を集めた「専門検討会」を開いてきました。今年7月に専門検討会の「報告書」がまとまったため、この報告書を元に厚労省が9月中に新しい認定基準をつくり、全国の労働基準監督署で使用する予定です。労災は認められやすくなるのでしょうか。(牧内昇平)  

●ポイント①「過労死ラインは引き下げない」

20年ぶりとなる認定基準の見直しは、「過労死ラインを引き下げるか」が大きなポイントでした。2001年にできた認定基準は、疲労の蓄積について以下のように示しています。

<(病気の)発症前1か月間におおむね100時間、または発症前の2~6か月間にわたって、1か月あたりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強い>

ここに出てくる「1か月で100時間、複数月の平均で80時間」という数字が、いわゆる「過労死ライン」です。2020年度の統計を見てみると、労災が認められた事案のうち、時間外労働が80時間未満だったケースは1割を下回っていました(病気になった方が存命の場合を含みます)。過労死ラインが労災認定の現場でいかに重視されているかを物語っています。

一方、近年になって過労死ラインを下回っていても健康リスクはあることが指摘されるようになっています。代表的な例として、WHO(世界保健機関)などは今年5月に次のように発表しています。

<週55時間以上働くと、週35~40時間働く場合に比べて脳卒中のリスクが約35%、虚血性心疾患で死亡するリスクが約17%高くなる>

「週55時間」労働とは、1カ月の時間外労働で考えると「おおむね60~65時間」です。

こうした指摘をもとに過労死ラインを引き下げるかどうかが、今回の基準見直しの最大のポイントでした。しかし、専門検討会は疫学調査の論文を比較・検討した結果、過労死ラインを引き下げない判断を示しました。

これについて、「過労死弁護団全国連絡会議」の事務局次長・岩城穣弁護士は「現在の過労死ラインは非科学的で実態に合っていません。きちんと見直すべきでした」と残念がります。

現在の過労死ラインには、人間には1日6時間の睡眠確保が必要だという前提があります。残業が長くなるとその分睡眠時間が短くなり、結果的に健康を害することになるという理屈です。しかし、岩城弁護士はこう指摘します。

「通勤時間が短く、家事をする必要もない人は、月に100時間の時間外労働をしてもある程度の睡眠を確保できるかもしれません。逆に遠距離通勤の人、子育てや介護中の人は、時間外労働が80時間未満でも睡眠は削られます。労働時間と睡眠時間を結びつけ、それ以外を考慮しないのは無理があります」

岩城弁護士はその上でこう話しました。

「私たち過労死弁護団は、『月65時間』への過労死ライン引き下げを求めてきました。その主張が受け入れられず、厚労省と専門検討会の頑迷さにあ然としています」

オンライン取材中の岩城弁護士(牧内撮影)

後述しますが、この時間設定には2019年から施行された「働き方改革関連法」も関係していると筆者は考えます。

●ポイント②「ハラスメントや退職強要が考慮される可能性も」

一方で変化もありました。専門検討会の報告書がこう指摘したのです。

<労働時間のみで業務と(病気の)発症との関連性が強いと認められる水準には至らないが、これに近い時間外労働が認められ、これに加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには、業務と発症との関連性が強いと評価できる>

「労働時間のみで業務と発症との関連性が強いと認められる水準」というのは前述の過労死ラインのことです。つまり、報告書は「時間外労働が月80時間未満でもその他の負荷があれば労災を認めるべきだ」と指摘しています。「これ(過労死ライン)に近い時間外労働」とはどれくらいかと言うと、報告書からは「月65時間~70時間」だと読み取れます。

「労働時間以外の負荷」とは、報告書によると勤務時間の不規則性や出張の頻度などです。ハラスメントや退職強要などの「心理的負荷」も検討するように示しています。この点について、岩城氏と同じく過労死弁護団に所属する平本紋子弁護士はこう話します。

「これまでは『時間外労働月70時間+その他の負荷』というケースでも、労働基準監督署では労災認定されず、行政訴訟でようやく認定を勝ち取った例がいくつもありました。そういう例を考えると、この点は一定の評価ができます。今後、過労死ラインに満たないケースでの労災認定を積み重ね、最終的には『月80時間』という過労死ライン自体の引き下げにつなげたいと考えています」

また、今回の専門検討会報告書を精読した平本弁護士は、「時間外労働が月65時間を下回っても労災認定される余地はある」と指摘します。

平本弁護士が注目しているのは、報告書の以下のような記述です。

<労働時間以外の負荷要因による負荷がより大きければ、または多ければ、労働時間がより短くとも業務と発症との関連性が強い場合がある>

「この部分は『時間外労働が月65時間を下回っていても、労働時間以外の負荷が相当程度大きい場合は労災とすべきだ』と読み取ることができます。厚労省にはぜひこの一文を新しい認定基準にきちんと落とし込んでほしいと思います」(平本弁護士)

平本弁護士(本人提供)

●ポイント③残業の上限規制との微妙な関係

およそ40年にわたって過労死問題に取り組んできた松丸正弁護士が評価するのは、「交代制(シフト制)勤務・深夜勤務」の負荷をめぐる考え方です。

これまでの認定基準は、急なシフト変更などがなくスケジュール通りに行われている「交代制勤務・深夜勤務」の負荷を考慮していませんでした。専門検討会の報告書は、これらの勤務の負荷を考慮するように指摘しています。

もう一つ、松丸弁護士が注目するのは、残業の上限規制との関係です。2019年4月以降、「働き方改革」の一環として、法律的な制限がなかった時間外労働に「上限」が設けられました。具体的には「最繁忙期でも1カ月100時間、複数月平均で80時間」という、過労死ラインと同じ時間設定が法律上の上限になりました。

「働き方改革」が議論されていた時、残業の上限の法制化が過労死ラインの固定につながるのではないか、という指摘がありました。心配していたことが現実になった感はありますが、松丸弁護士はこう話します。

「現状では、ここが労働組合など職場の頑張りどころだと捉えるべきでしょう。過労死ライン自体は変わりませんでしたが、今回の報告書で、少なくとも『時間外労働が65~70時間くらいあり、かつ労働時間以外の負荷がある場合は労災認定する方向で検討しよう』という考えが示されたわけです。実質的には過労死ラインが引き下がったという見方もできます。

この変化の背景には、労基署段階で労災を認められなかった遺族が、裁判で労災認定を勝ち取ってきた歴史があることを忘れてはいけません。各職場の労組が『月80時間という規制では実質的に過労死を防げない』と強く主張し、職場の運動として残業の『天井』をもっと引き下げていくべきです」

松丸弁護士(2017年9月9日、編集部撮影)

●「心の病」の労災基準も見直しを

労災の認定基準には2つの役割があると筆者は考えます。一つめはもちろん、病気になった本人や、本人が亡くなった場合にはご遺族の、暮らしの「補償」です。もう一つは、新たな被害を生まないための「予防」です。実態に即した認定基準を設け、経営側に「少なくともその基準を超えないように」と意識させることで、新たな犠牲を防ぐ効果があります。厚労省がどのような労災認定基準を発表するかが注目されます。

また、今回新しくなるのは、脳出血や心筋梗塞など「脳・心臓疾患」の労災認定基準です。過労やハラスメント被害が原因でうつ病などの「心の病」を患う人も多くいますが、こうした人たちのためには、別の労災認定基準(「心理的負荷による精神障害の認定基準」)があります。

心の病は、労災の請求件数が10年前の倍近くに増えていますが、実際に労災が認められる「認定率」は3割台(自殺・自殺未遂はおおむね4割台)が続いています。こちらも認定基準の見直しが必要だと筆者は考えます。

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