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難民問題を闘い続ける 「理由」 鈴木雅子弁護士インタビュー〈後編〉

難民問題を闘い続ける 「理由」 鈴木雅子弁護士インタビュー〈後編〉

いずみ橋法律事務所(東京都新宿区)の鈴木雅子弁護士は、長年外国人問題とりわけ難民問題を数多く手掛けてきた。前編に引き続きお届けする後編では、鈴木氏が手掛けた「ボビー・フィッシャー事件」の経緯を中心にお話を伺った。(弁護士ドットコムタイムズ<旧・月刊弁護士ドットコム>Vol.27<2017年12月発行>社会正義に生きる 弁護士列伝No.19より)

政治的な思惑に巻き込まれた 元世界王者を救え!

弁護士登録後、さまざまな事件を一通り経験した後、鈴木氏はアメリカ留学を決意する。

「元々留学したいという思いはあったんです。せっかく留学するのだから、難民と移民の勉強したいと考えて、留学先を選びました」

アメリカで本格的に難民問題、移民問題を学び、1年後に帰国する。

「留学から戻ってきてすぐって割りとヒマなんです。行く前に一度、仕事も整理していますから。その頃、私にとって非常に強烈だった事件を受けることになりました」

ボビー・フィッシャー事件。チェスの元世界王者であるボビー・フィッシャー氏が、2004年7月に成田空港からフィリピンへ出国しようとしたところ、入国管理法違反の疑いで東京入国管理局成田空港支局に収容されてしまう。しかしこの事件の裏にはきな臭い事情があった。

「彼はアメリカ人なのですが、彼が日本に来てからアメリカ政府が彼のパスポートを時期を遡って無効にしたんです。それを知らずに日本から出国しようとしたら『あなたのパスポートは遡って無効にされているから不法入国です』と言われて捕まったんです」

1992年、旧ユーゴスラヴィアにアメリカが経済制裁を実行している際、フィッシャー氏は旧ユーゴスラヴィアで行われたチェスの世界大会に出場し優勝、賞金を受け取った。このことが経済制裁の方針に反するとしてアメリカ政府はフィッシャー氏に逮捕状を出した。しかし、その後もフィッシャー氏のパスポートは在外公館では発給が続けられ、事実上フィッシャー氏が海外で生活する限りはアメリカ政府はこれを容認しているように思われた。それがなぜか突然それから10年以上経ってからパスポートを無効にされた。

「彼は政治的な発言をするのでにらまれていたということはあると思うのですが、なぜこのタイミングでアメリカ政府がそのようなことを行ったのかは、今も分かりません。アメリカ政府が本人にも知らせずに有効に発給されたパスポートを無効にして日本政府に伝え、それを理由に当時有効なパスポートで入国した人を日本政府が不法入国者として拘束した、というのがこの事件です」

アメリカ政府は身柄引き渡しを要求していたが、本人はそれを拒否していた。アメリカ政府に対するのは留学から帰国直後の若手女性弁護士・鈴木氏。大勝負の火蓋が切って落とされた。

時間があり英語が話せる そんな理由で話が来た

「きっかけは弁護士会に来た相談だったんです。当時、第一東京弁護士会に所属していたのですが、チェス協会の顧問をされている先生が一弁にいて、その流れで一弁の外国人部会に話が来たようです」

こんなことが起きていて困っているのだが、誰かやれる人はいないかと受任してくれる弁護士を探していた。

「そんなとき、たまたま私はアメリカ留学から帰ってきてすぐで時間もあるし、英語もできるだろうということで話が来て。『チェスの有名な人だから』と言われても分からない。『信じられないかもしれないけど、とにかくすごい有名な人だから行ってみてくれ』と言われて、とりあえず行ってみました」

話を聞き、事情を調べていくと事態は想像以上に深刻であることが分かってきた。

「彼は不法入国者だから、退去強制されるべき人として収容をされていました。収容は送還のためにされていて、このような場合、送還先、つまり受け入れてくれる国さえあれば、それが国籍国だろうと第三国だろうと、どうぞどうぞとウェルカムな形で進むんです。しかし、この事件のときはアメリカ政府からおそらくかなりのプレッシャーを掛けられていたのか、日本の入管が『彼に限っては国籍国じゃなければ絶対に返せない』と言って聞かないんです」

アメリカ大使館に直接話しもしに行った。

「大使館にも行ったんですが、つまみ出されました(笑)。私相手に、屈強なボディーガードが出て来て追い出すんですよ。領事に面会するのを求めただけなのに、散々待たされた挙句、『あなたのような失礼な人には会ったことがない』とまで言われて追い返されました」

フィッシャー氏を救うためにはどうすればいいのか。多方面から手を打った。

「難民申請をしたりもしました。認められませんでしたけど。そのほかにも、人身保護請求など、思いつくことはありとあらゆることをやりました」

逃げ切った大国相手の「鬼ごっこ」 差し伸べられた救済の手

時間は刻一刻とすぎていく。当時、フィッシャー氏は茨城県牛久市の収容所に入れられていた。週に3〜4日、事務所と牛久を往復する日々。家に帰れない日が続いた。そんななか、吉報は思いもよらない国からもたらされた。アイスランドだ。

「フィッシャーさんはアイスランドでも大変なヒーローだったんです。アイスランドの大会で、冷戦当時のソ連の選手を破って世界王者になったのが西側の歴史的勝利とされ、舞台となったアイスランドも世界に知られるようになったということで。そのため、アイスランドが受け入れると言ってくれたんです」

ところがアメリカ政府も奥の手を用意していた。フィッシャー氏の脱税を理由に、犯罪人引渡条約を使ってアメリカに連れ戻そうと準備を進めていた。

「脱税だと犯罪人引渡条約が使えてしまう。単なる退去強制だと他の国でも良いはずなのですが、犯罪人引渡条約になると、いよいよアメリカに引き渡しということになってしまうので、私たちの一手が先か、アメリカの手配が先かという状況になりました」

拘束から8ヵ月後の2005年3月、アメリカ政府と鈴木氏の「鬼ごっこ」は、滑り込みで鈴木氏が逃げ切った。

「アイスランドが現地で国籍を出すということで、なんとか日本から出国できたんです。法的な手続きで勝ったわけではないですけれども、私にとってとても印象的な事件です」

ランドマークとなる判決を目指して これからも活動は続く

鈴木氏はこれまで一貫して外国人問題、難民問題に携わってきた。

「私が弁護士になって以降『外国人の権利は在留資格の範囲内』とした、40年も前のマクリーン最高裁判決の思考からいまだに抜け出せていません。外国人の権利は、むしろ以前より悪くなっています。難民事件についても、進んでいる国ではどこでもランドマークとなる判決がある。でも日本ではそれがまだありません。そうなるかもしれないと思える判決もありましたが、その後、上級審で取り消されてしまいました。これからの弁護士活動で、そういった記念碑的な判決を勝ち取れればうれしいですが……」

難民問題という難題に鈴木氏は今後も挑み続けていく。

インタビューの前編はこちら

鈴木雅子弁護士プロフィール

いずみ橋法律事務所、弁護士。上智大学卒業後、弁護士登録。海外留学後、東京パブリック法律事務所三田支所共同代表などを経て現職へ。外国人ローヤリングネットワーク共同代表、国際人権法学会理事、全国難民弁護団連絡会議世話人などを務める。著書多数。

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