「いただきます」のあいさつと同時に、もりもりと給食を平らげ、校庭へと一目散に駆け出していく児童たち。そんな彼らを横目に見ながら、給食が食べられないばかりに、昼休み中ずっとうつむいて過ごさなければならない児童もいる。
先生から「給食を全部食べ終わるまで、昼休みナシ!」を告げられてしまったからだ。小学校時代、こんな経験をしたことがある人もいるのではないか。
もし自分がそんな立場に置かれたとしたら、どうだろうか。楽しそうに遊ぶ友だちの声を聞きながら、苦手な食べ物とのにらみ合いをさせられたら、残るのは嫌な思いばかりだ。教師の厳しい声と友達に取り残された焦りが、食べられない給食の臭い、色、形と一緒になって脳裏に刻み込まれる……。
たまたま苦手な食べ物が給食で出たことを理由に、そんな「懲罰的」な仕打ちを受けなければならないのだろうか。「食べるまで座っていろ」というのも、ある種の体罰と言えるのではないだろうか。足立敬太弁護士に聞いた。
●食べ終わるまで座らせても「体罰」ではない
「文科省の考え方によれば、体罰とは『当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する』とされています。
つまり、体罰か否かの明確な線引きはなく、ここであげたような事情を考慮しながら、ケースバイケースで判断せざるを得ないことになります」
足立弁護士はこのように前提を述べたうえで、「給食を食べない児童に対して、たとえば無理矢理口に押し込むとか、はき出した物を食べさせるといった指導は、体罰と評価されるでしょう」と指摘する。
しかし、今回の例は「体罰にならない」という考えだ。それはなぜだろうか。
「指導の対象となっているのは、心身が未発達の小学生です。さらに、学校給食は完食することを前提に栄養を考えられています。
また、完食するまで給食が終わっていないと解釈して、児童をその場に残すという手法自体は、場所的・時間的にも、態様としても、著しく不当とはいえません」
●嫌いなものを無理やり食べさせても、むしろ悪影響
それでは、「食べ終わるまで座らせ続ける」という指導は妥当なのだろうか。足立弁護士は次のように結論づけた。
「体罰ではないからと言って、これが適切な指導かと言われれば、答えは『ノー』だと思います。
好き嫌いは学校教育だけで解決するものではなく家庭での食育との連携が必要です。また、嫌いなものを無理矢理食べさせたとしても、ますます嫌悪感が強くなるだけでむしろ悪影響です。
『好き嫌いをなくす』という目的と指導方法(手段)がマッチしておらず、指導として不適切でしょう」
なお、学校給食法は「学校生活を豊かにし、明るい社交性および協同の精神を養うこと」を目標に含めている。現場での指導は一筋縄ではいかないとは思うが、こうした理念に近づけるような工夫を、先生たちにはお願いしたい。