参院選の「一票の格差」は憲法違反だとして、弁護士グループが7月22日、全国の高裁に一斉に提訴した。これは「投票する側」の不平等を司法に訴えたものだ。一方、「投票される側」にも不平等が存在する、と指摘している人がいる。
ドキュメンタリー映画『選挙』『選挙2』の監督である想田和弘さんだ。二つの映画で、地方選挙に出馬した一人の候補「山さん」を追い、日本型選挙の表と裏を描いた想田監督に、「選挙に立候補する権利」について聞いた。(取材・構成/亀松太郎)
●高額な供託金は、憲法44条が禁じた「財産・収入による差別」にあたる
想田: 去年の東京都知事選に出馬した弁護士の宇都宮健児さんが、面白いことを言っていました。日本の選挙の「供託金」制度は憲法違反じゃないかというんですね。
宇都宮さんは都知事選に立候補するために300万円を供託しました。国会議員の選挙でも同様に、供託金が必要です。衆議院や参議院の小選挙区だと300万円。比例代表だと600万円です。しかしこれは、憲法44条に違反するんじゃないか、と宇都宮さんは言うんです。
憲法44条には、「両議院の議員およびその選挙人の資格は、法律でこれを定める。ただし、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産または収入によって差別してはならない」と書かれています。つまり、高額な供託金を課すのは、「財産または収入によって差別」しているということで、違憲なのではないか、と。
最近は、衆議院選挙や参議院選挙の「一票の格差」が裁判で争われていて、「選ぶ側」の権利に関する憲法違反はよく議論されています。でも、「選ばれる側」、つまり、選挙に立候補する側の機会の均等については、ほとんど議論されていません。これは注目されていないけれど、すごく大事なことじゃないかと思うんですね。
●日本の選挙制度は、新しい勢力が出にくいように「構造化」されている
想田: 供託金制度は外国にもあるそうですが、宇都宮さんによると、日本の供託金は突出して高いんだそうです。たとえば、参議院選挙の比例代表では、供託金が1人600万円も必要なうえに、国会議員のいない新しい政党は最低でも10人の候補者を立てないといけません。つまり、供託金として6000万を用意しないといけない。新しい勢力が非常に出にくい構造になっているんです。
日本の選挙制度というのは、いままで勝ち残ってきた人がその存在をおびやかされないように「構造化」されているわけです。公選法を決めるのは、選ばれた議員だから、それは当然といえば当然です。だから選挙制度はなかなか変わらない。ところが、「これは憲法違反じゃないか」と言って提訴すれば、判断するのは裁判所になります。
三権分立の原則にしたがって、国会ではなく裁判所の目で、供託金制度の是非が議論される。そうすると、公選法も変わっていくかもしれないということですね。国会でいくら議論してもダメだけど、裁判所が出てくると、もしかすると新しい議論が生まれるかもしれない。これは面白いですよ。
いまは一般市民が選挙に出ようとすると、破産覚悟でやらないといけない感じですが、それはおかしなことでしょう。この「立候補のしにくさ」が、一般市民と政治が遊離してしまっている一つの原因ではないかと思います。「いまの政治はおかしい」と思った人が気軽に選挙に出られるほうが、健全ではないですか。
もちろん、立候補するためにずっと準備してきたというプロの政治家もいてもいいですが、そういう人ばかりではなく、「何かものが言いたい」というときに、「投票される側」になることができるというのはすごく大事なことだと思うんですよね。(談)