裁判所側からみた民事控訴・抗告事件における訴訟戦略 岡口基一
民事事件の控訴審及び抗告事件では、民事第1審におけるものとは異なる特殊な「訴訟戦略」が必要となる。そして、それは、高等裁判所自体の特殊性に由来する。 そこで、まず、高等裁判所の特殊性を明らかにしたうえで、事件類型ごとの訴訟戦略を考えてみたい。 (弁護士ドットコムタイムズVol.76<2025年9月発行>より)
高等裁判所の特殊性
ア 多忙な高裁裁判官
高裁は全国に7つあるが、どこも民事部は多忙極まりない。次々と地裁から事件が上がってくる。裁判官にとって高裁裁判官であることでよかったと思うのは刑事の令状当番から解放されることくらいである。
とりわけ忙しいのは東京高裁である。また、それ以外の高裁でも、裁判長はとりわけ忙しい。ということは、東京高裁の裁判長はこのうえなく忙しいということであり、記録を十分に読んで検討することが事実上困難であるということでもある。主任裁判官(陪席裁判官のうちの一人)の判断や原審の判断を信用して、いわば「信頼の原則」で対応しなければ過労死するレベルである。
イ 事実の最終認定権者としての高裁裁判官
最高裁判決は、必ず次のフレーズで始まる。「原審が適法に確定した事実によると・・・」というものである。最高裁は法律審であり、高裁判決がした事実認定を変更することは基本的にはできない。控訴審で確定した事実を変更することなく、それを前提に法律判断をする。
そのため、高裁裁判官は、上級審に取り消されるという心配をすることなく事実の認定をすることができる。いわば「王様」状態である。これに対し、地裁裁判官は事実の認定に慎重である。おかしな事実認定をすると、控訴審でそれが変更させられてしまうだけである。それは、裁判所内部でも悪い評判になりかねず、その裁判官にとって大変にリスキーである。そのため地裁裁判官は念には念を入れて事実を認定しようとするが、高裁裁判官はそこまでのプレッシャーを受けることなく事件処理をしている。
ウ 1回結審
民事訴訟の控訴審の審理のプラクティスとして悪評高いのが「1回結審」である。これは、大型事件を除くと、ほぼ全件について、第1回口頭弁論期日で結審してしまうというものである。控訴棄却相当の事件はもちろん、原判決を取り消す事件であっても法廷を1回開いただけで結審してしまう。
かつて、大阪弁護士会が、これを問題視し、判例時報に批判記事を掲載したことがあったが、裁判所の実務には何の影響も与えなかった。
1回結審というプラクティスが続いている理由には、上記ア、イの高等裁判所の特殊性が関わっている。本来、民事控訴審は続審なのであるが、だからといって控訴理由について双方に数回の期日にわたって主張立証することを許せば、当然ながら、未済事件の数は、今の数倍に膨れ上がることになる。裁判官は今よりはるかに忙しくなり多くの裁判官の事務処理能力のキャパをオーバーしかねない。他方、控訴審は事実認定では「神様」なのであるから、精度の高い事実認定をしなくても、それがそのまま確定する。時間をかけて事実の存否を正しく判断するための資料を集めようとするインセンティブは裁判官にはないということである。それよりも裁判官が過労死してしまう方が問題である。
実は、東京高裁では、数年前に、この1回結審がよろしくないとして、原則2回結審というプラクティスに挑んだ裁判長がいた。しかし、当然に予想されたことが起きた。その部だけ、毎月の未済事件が突出して多くなったのだ。東京高裁では、各部の毎月の未済件数の一覧表が全裁判官に配付されるため、他の部の裁判官からも、この突出具合が明らかになってしまった。すると、その裁判長は、再び、1回結審のプラクティスに戻してしまった。未済件数一覧表は、裁判官にとっては、唯一公表される「成績表」である。その数字が突出して悪くなることにその裁判長は耐えられなかったのだ。
エ 専門部の不存在
知的財産権事件を除くと、高裁にある「専門部」は、大阪高裁の家事抗告集中部及び民事抗告集中部だけである。なお、東京高裁は、家事事件は、24か部で、2年ごとの持ち回りになっている。
それは、高裁の裁判官が専門事件の処理に必要な専門性を有しているとは限らないということである。
例えば、私は、「付加金」という言葉を知らない高裁裁判官に遭遇し、その意味を一から説明したことが複数回ある。東京地裁の通常民事部ばかり回っていた裁判官は、労働事件の経験が全くなくてもおかしくない。労働事件に限らず、専門事件について、高等裁判官が、その初歩的な知見すら持ち合わせていないこともあり、まさに「裁判官ガチャ」となっている。
他方、知的財産権事件については、経験豊富な裁判官が、特許庁からの出向者である調査官を従えて、それこそ専門的な判断をしてくれる。他の専門訴訟についてもこういう体制がとれないのであろうか。
オ 許可抗告でも「王様」
抗告事件では、高裁裁判官は、最高裁への抗告を許可するか否かを自分たちで決めることができる。しかも、不許可とする場合に、その理由を述べる必要はない。理由も述べずに不許可にしてしまうことで、自分たちの判断を最終判断にしてしまえるものであり、抗告事件でも、高裁裁判官は王様だということである(なお、特別抗告は、最高裁が認めることはまずないので、特別抗告をされても全く怖くない)。
高等裁判所における「訴訟戦略」
以上のような高等裁判所の特殊性を考慮すると、各事件類型ごとの「訴訟戦略」として次のようなことが考えられる。
ア 通常民事事件
民事控訴審の裁判は1回終結、つまり1回勝負であるから、主張立証すべきことは第1回口頭弁論期日までに全て済ませておく必要がある。
もっとも、裁判官は、何が何でも1回終結するのではなく、これは仕方がないという事情があれば、一度は続行してくれることもある。そこで、そういう事情があるのであれば、早い段階から、上申書を提出したり、控訴理由書・控訴答弁書に記載するなどし、さらに、主任裁判官に事前面接を求めたり電話をするなどして、猛烈にその事情をアピールしておく必要がある。そこまですれば、続行の可能性がほんの少し見えてくるが、逆に言えば、そこまでしなければ1回終結の可能性がかなり高いということである。
実は、控訴審がリスキーなのは、控訴人ではなく被控訴人である。控訴人としては、控訴棄却になったとしても、それは、原審同様に控訴審でも自らの主張立証が認められなかったというだけのことである。他方、被控訴人は、控訴理由については十分に反論反証をしていたのに、それ以外のところで原判決に問題があったとして、まさかの逆転敗訴を食らうことがある。しかし、民事控訴審は続審であるから、これは違法ではない。控訴理由に全くなっていない原審の事実認定を高裁が変更することもある。しかも、その際、高裁お得意のアバウトな事実認定(=被控訴人からすると事実誤認)がされ、唖然とすることもある。そして、高裁は最終審であるから、そのままそれが確定してしまう。これは、完全に「不意打ち」であり、こういう訴訟運営が適当でないことはいうまでもないが、1回終結のプラクティスでは、これが現実に起こってしまう。そのため、被控訴人としては、控訴理由以外でも、原判決の弱い点については、補強的に主張立証しておいた方がいいこともある。原審判決を前提に、多少妥協してでも訴外の和解をしてしまうことで「控訴審リスク」を回避することも考えられよう。
もっとも、控訴人であっても、控訴理由が認められても、それ以外の理由で原審の結論が維持されることはあるので、そういう意味では、リスクは被控訴人と同じである。
民事訴訟の控訴審での訴訟戦略は他にもいろいろと指摘しておきたいことがあるが、文字数の都合もあるため、これ以外のことは『裁判官! 当職もっと本音が知りたいのです。』(2025年、学陽書房)の控訴審の部分をお読みいただきたい。
イ 専門訴訟(知的財産権以外)
知的財産権を除く専門訴訟では、裁判官ガチャが著しいというのが最大のポイントである。
労働控訴事件で、3人の裁判官の中に労働事件経験者が一人もいなかったりすると目も当てられない。労働法的視点を一切欠いた民法の答案のような判断がされるリスクすらある。しかし、他方で、バリバリの労働部出身者である可能性もあり、その場合は、逆に、労働法分野では極めて常識的な判断となる。
そこで、裁判官の経歴の調査が不可欠である。主任裁判官又は裁判長が当該専門分野の経験者であれば、そういう前提で主張立証をすることができるが、どちらも全くの未経験者であれば、素人裁判官に重大な決定権を委ねていると考えた方がよい。基礎的なことを当然に知っているとは思わずに、控訴審で新たにする主張は、学生に教えるかのように丁寧にわかりやすく記載すべきである。
ウ 家事抗告
家事抗告を専門的に判断してもらえるのは大阪高裁である。東京高裁は、各部の2年ごとの持ち回りであるため、担当裁判官らは、徐々にその処理には慣れてくるが、事件処理の感覚が掴めてきた頃には、隣の部にバトンタッチをする感じである。また、大阪・東京以外の高裁には家事事件を集中して担当する部はない。
そこで、ここでも、大阪を除くと、裁判官ガチャが起こり得ることになる。家裁の事件処理の感覚を持ち合わせていない裁判官は、家裁に広い裁量が認められていることがなかなか理解できない。例えば、財産分与については、一定の算定式はあるが、それは参考のために計算をするだけのものにすぎず、その計算結果のとおりの結論とする必要はない。家裁では、その計算結果のうち1万円未満の数値は丸めることも多いが、民事的感覚しかない裁判官は、それを嫌い、1円単位まで定めてしまい、記録が戻ってきた家裁の裁判官らに苦笑いされている。もっとも、こういうのは、まだ笑い話で済むが、より深刻なのは、子供の関係である。東京、大阪高裁には、専属の家庭裁判所調査官がいて、記録を全件確認しているため問題がないが、それ以外の高裁では、そういう処理ができないため、基本的には素人裁判官らが判断することになる。
そこで、裁判長及び主任裁判官が家裁での勤務経験があるかを事前に確認しておきたい。もし、勤務経験がないのであれば、当事者側で、家裁実務の感覚がない裁判官にも伝わるように、丁寧な主張・疎明をする必要がある。
また、家裁での勤務経験があるのであれば、その裁判官の判断の傾向も知っておきたい。家事事件は、その裁判官の個人的な感覚によって結論が左右されることも少なくないからである。例えば、有責配偶者からの婚姻費用の請求については、それを緩やかに認めるか、それとも、これを基本的に認めないか、裁判官によって、かなりのばらつきがある。判例検索で、当該裁判官の名前を入力し、その裁判官が過去にした家事抗告決定を眺めることで、傾向を知ることができる。
エ 執行抗告
執行抗告のほとんどは、売却許可決定に対する債務者所有者からの抗告である。執行事件についても裁判官ガチャが起こり得るが、判断はほとんどぶれていない。それは、高裁のどの部にも、過去の決定例が多く残されており、それを参考にして起案をするからである。売却許可決定に対する債務者所有者からの抗告は、過去の例はそのほぼ全てが棄却であり、それを参考にして起案をする。そのため、執行抗告は棄却ばかりであり、私自身も、棄却以外の決定をしたことがない。
そのため、執行抗告が容れられるのは、かなり限定的な場合に限られることになる。担当裁判官が執行のベテランであり、かつ、執行のベテランの代理人がついて、原決定の過ちを理論的かつ説得的に論じたような場合くらいであろう(なお、この場合の高裁決定は、執行実務を変更させる威力がある関係で、最高裁のお墨付きを得るため、抗告許可は認められることが多い)。
オ DV保護命令
DV保護命令は、高裁に比較的多く係属する非訟事件である。そのほとんどは、申立てが認容されたため相手方が抗告をするものである。高裁裁判官は、原審がいわば緊急避難的に申立てを認容している側面もあると考えており、また、原審申立時から時間も経過しており、認容決定後の事情も分かるため、原審よりも状況を把握しやすくなっていると思っている。
そこで、高裁の裁判官は、事件をより客観的に判断しなければならない、即ち、緊急避難的に申立人に有利に判断されたものについてはその判断を修正しなければならないというバイアスがかかるのが通常である。
そこで、保護命令の申立人側が反論を求められた場合、上記のことを意識して、なお保護を継続する必要が十分にあることを説得的に論ずる必要がある。
終わりに
以上、簡単ではあるが、高等裁判所における「訴訟戦略」のポイントを裁判官の視点から説明してみた。
第1審とは異なる特殊な考慮をすべきことがあることがお判りいただけたと思う。みなさんの参考にしていただければ幸いである。