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弁護士は「社会が与えてくれた資格」罷免から50年…「司法の危機」時代を生きた阪口徳雄弁護士が歩んだ道

弁護士は「社会が与えてくれた資格」罷免から50年…「司法の危機」時代を生きた阪口徳雄弁護士が歩んだ道

1971年4月5日。23期の司法修習終了式で「任官不採用者に10分だけ話をさせてあげてほしい」と発言するなどしたことを「品位を辱める行状」を理由に罷免され、法曹資格を失った男性がいた。 男性は、2年後の1973年に法曹資格を取り戻し、株主代表訴訟や森友問題などに力を入れてきた。現在は国の公文書の情報公開請求などに取り組んでいる。阪口徳雄弁護士(78歳、大阪弁護士会)だ。 終了式から50年を機に、23期の弁護士有志による「23期・弁護士ネットワーク」は4月、罷免に至った経緯や50年の歩みを綴った書籍「司法はこれでいいのか。」(現代書館)を出版。阪口弁護士も著者の1人として、これまでの取り組みなどを紹介している。 現在、阪口弁護士は、罷免をどう考えているのか。その後、弁護士として、どのように活動してきたのか。話を聞いた。 ※取材は7月3日、オンラインで実施した(写真は阪口徳雄弁護士、2021年7月3日、弁護士ドットコム撮影)。

任官拒否、クラス委員長の罷免…「司法の危機」を生きた23期修習生たち

罷免の背景には、青年法律家協会(青法協)があった。青法協は、本来、若手研究者や法曹を中心に構成され、憲法、民主主義、基本的人権を守ることなどを目的に活動する団体だった。しかし、1960年代後半、政府与党であった自民党や右翼団体などから、青法協をリベラルな政治色を帯びた団体と考え、「意に沿わない裁判の判決が出るのは、裁判官の中に青年法律家協会(青法協)の会員がいるから」という声があがり始めた。

最高裁判所は、政権与党の見方に同調し、青法協の会員である裁判官に脱会勧告などをおこなうようになる。裁判官や司法権の独立が犯されていると考えた、弁護士らは「司法の危機」と指摘するようになった。

青法協の会員であることを理由として、裁判官志望者の任官拒否の可能性を感じた23期の司法修習生たちは、阻止に向けた署名活動などを実施。しかし、青法協の会員だった6人とその同調者とみなされた1人の計7人が任官拒否された。具体的な拒否理由の説明はなかったという。

23期の修習生たちは、クラス委員会の決議で、クラス委員会委員長の阪口弁護士が司法研修所所長の守田直氏(当時)に願い出て、終了式で任官拒否された人たちの発言許可を求めることとなった。


※写真はイメージ(StudioPenguinLibra / PIXTA)

1971年4月5日の司法修習終了式で、阪口弁護士は挙手して発言を求め、3回ほどお辞儀した後、「マイクを貸してほしい」と壇上にいる守田所長に頼んだ。所長に制止されなかったため、そのまま所長が床に置いたマイクを借り、「任官不採用者に10分だけ話をさせてあげてほしい」と話し始めた。すると、突如、中島一郎司法研修所事務局長(当時)が式の終了を宣言。式の開始から終了宣言まで、わずか約1分15秒。会場はパニックに陥り、憤慨した複数人の修習生が所長を取り囲んだ。

同日夜、ひとり所長室に呼び出された阪口弁護士が受け取ったのは、罷免通知。阪口弁護士が守田所長に理由を尋ねると、一連の行為のほか、終了式を実質おこなえないほどの会場の混乱を招いたことなどが「品位を辱める行為にあたる」との説明だった。

阪口弁護士は「今も処分については明らかに不当だと考えているが、やはり終了式で発言することは妥当ではなかった」と当時を振り返る。

クラス委員会で終了式について検討したときに、正直なところ、危険ではないか、なんらかの処分を受けるのではないか、という一抹の不安もあったため、個人的には終了式で発言することに反対した。ただ、『クラス委員長がひよるのか』などの厳しい声もあり、委員会での多数の要請にこたえなければならない状況だった」

罷免されたことを機に「社会派弁護士」として歩むことを決意

罷免された後、阪口弁護士は全国を行脚し、講演したり、集会に参加したりした。激励、支援する人は多く、600から700通の手紙や電報、カンパなども受け取ったという。

「全国行脚の中で、多様な人がいることを学んだ。東京・杉並区のプールつきの家に招かれたこともある。市民運動は労働者や一般市民がおこなうものだと思っていたので、都内でプール付きの家に住むような人たちが応援してくれることに驚いた」

罷免から2年後の1973年1月31日。修習生としての再採用が決まり、同年4月16日に法曹資格を回復した。

「(再採用の背景には)全国行脚による市民運動、支援者や日弁連の活動、国民の批判の高まりなどがあったと思う。弁護士になれたのは、多くの国民に支えられたおかげ。多くの国民に喜んでもらえる仕事をする『社会派弁護士』になろう」と決意し、弁護士としての道を歩み始めた。


※写真はイメージ(Ystudio / PIXTA)

法曹資格が回復してからの8年間は、澤藤統一朗弁護士(東京弁護士会・23期)が在籍する東京の事務所で、労働者などの事件を中心に取り組んだ。しかし、仕事の忙しさから、裁判官の給与差別などの裁判所内部の問題に取り組む余裕がなかったため、出身地である大阪にうつり、井上善雄弁護士(大阪弁護士会・23期)の事務所に在籍。裁判官の給与差別などの実態を調査、公表するなどした。

20年目に、松丸正弁護士(大阪弁護士会・25期)と出会い、意気投合。株主代表訴訟などに取り組むようになり、手がけた事件は40件をこえる。「企業改革」に焦点をあて、原因の解明と再発防止に取り組む前提であれば、和解に応じる方針で進めた。「最初は企業の監視をおこなう『知的な総会屋』『弁護士報酬狙いの弁護士グループ』『売名行為』などと批判されたこともある。ただ、3年ほど続けていくうちに評価されるようになり、企業内で働く人たちからも情報提供してもらえるようになった」。

2017年4月には、学校法人森友学園(大阪市)への国有地売却と財務省の公文書改ざん問題を問題視し、200人をこえる全国の弁護士や研究者とともに元財務省理財局長らを告発。森友国家賠償事件の原告側(神戸学院大学・上脇博之教授)弁護団長などとして活躍した。現在も、財務省の決裁文書の改ざんに関与させられ、亡くなった近畿財務局の職員赤木俊夫さんの妻・雅子さんの支援を側面からおこなっているという。


※写真は「瑞穂の國記念小學院」(ミッキー / PIXTA)

最近では、2020年11月には弁護士や研究者などからなる「政府の公文書のあり方を問う弁護士・研究者の会」を設立。「国の作用に対して、国民が1人で異議を申し立てる方法は、情報公開しか道がない」とし、黒川検事長の定年延長をめぐる法務省内部の意思形成過程や、アベノマスク1枚あたりの単価など、「政治とカネ」に関する真相を明らかにすべく、奮闘中だ。

「武勇伝にしたくなかった」ため、弁護士として活動していく中で、罷免された過去を、自ら明かしたことはない。「司法はこれでいいのか。」を出版後は、著書を読んだ顧問先などから驚かれたが、「阪口弁護士を選んで間違いなかった」と言われたという。


※写真は「司法はこれでいいのか。」(現代書館)

弁護士として「信頼」を獲得するために

罷免処分から50年、弁護士として活動し続けて48年。若い弁護士と接する中で、阪口弁護士は「依頼者獲得のみに奮闘している若手弁護士が少なくない」とした上で、持論を展開する。

「社会貢献活動をしたり、個人として幅広く活動したりするべきだと思う。活動を知った人に『この弁護士に依頼してみたい』と思ってもらえれば、結果的に依頼者の獲得につながる」

最後に「弁護士になってよかったか」と質問すると、阪口弁護士は笑顔で「やりたいことができる喜びがある。『けしからん』と思うような出来事があったとしても、サラリーマンであれば自分で何かすることは難しいが、弁護士は法律を使い、自分で動くことができる。これは弁護士の特権だと思う。それに、弁護士資格は最高裁ではなく、社会が与えてくれた資格。修習中も給費制だったため、余計にそう思う。社会のために働きたい」と答えた。

阪口徳雄弁護士プロフィール

あさひパートナーズ法律事務所。23期。大阪弁護士会。1973年4月〜1981年4月までの8年間は東京で活動。その後、大阪へ。株主代表訴訟等、森友問題など、弁護士としての活動は多岐にわたる。「政府の公文書のあり方を問う弁護士・研究者の会」代表。

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